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第150話 幸せってこういうこと

 ヴァージルが無事に戻ってきて嬉しいのに、手放しで喜べない自分がもどかしい。


「ごめん、ミリー」


 いっそ出立する前より痛々しい表情のヴァージルが、長剣の鞘を抱きしめる。彼の目の下には隈が色濃く浮いていて、その心労を窺わせた。


「ごめんなんて……言わないで」


 ヴァージルに謝られたくなかった。カモミールはテオの望みを聞き入れただけなのだから。

 そのテオは、「カモミールが自分の主人だから」と、カモミールが幸せになれる道を考えてくれた末の結末なのだ。どうしようもない。


「何があったかだけ、教えて」


 エノラの家の中に入るようにと促したのは、彼がこの家にいない間に急に秋が深まってきたからだ。吹く風の中に冷たさが混じってきて、長旅をしてきたヴァージルを思えば少しでも早く休ませてあげたかった。


「僕が思っていたより、本部には大勢の人間がいた。僕たちも極力急ぎはしたけれど、伝書鳩なりなんなりでカールセンの拠点が潰されたことが伝わっていたのかもね。当然、激しい戦闘になって」

「ヴァージルは? 怪我したりしてない?」

「僕は大丈夫だよ。結局、テオに守られてたから。――テオは、魔法を使いすぎたんだ。僕がわかるくらいに魔力が目減りしていって、これ以上魔法を使わせちゃいけないと思ったんだけど、僕にはテオを止めることができなかった」


 テーブルの上に置かれたヴァージルの手は、手のひらに爪が食い込むほどに握りしめられていた。そっと彼の手を取って開かせながら、もし自分がその場にいたら、とカモミールは思う。


 おそらく、自分にでもテオを止めることはできなかっただろう。ヴァージルが苛まされている無力感は察して余りある。


「テオは――消えてしまったの?」

「……うん。テオ自身も驚いてたみたいだ。びっくりしたような声を上げてて。僕と同行した騎士もその場は見ていたよ。同じ事を言われると思う」


 ヴァージルは偽の記憶を人に刷り込むことができるが、この場でそんな嘘はつかないだろう。テオがいなくなっていいことなど、ヴァージルにはひとつもないようにカモミールには思える。

 逆に、テオがいなくなって困るのはカモミールなのだから、余計嘘をつく必要がない。


「誰も、責められるべきじゃないわ。テオはやりたいことをやったのよ。……そう思わないと」

「そう……だよね。ねえ、ミリー、僕たちは」

「結婚しましょう、予定通り。あなたが無事に戻ったんだから」


 ヴァージルの言葉を遮り、カモミールは強引に話を繋げた。ヴァージルはテオのことを気にして、カモミールが落ち着くまでそれを先延ばしにするだろうと思ったのだ。


「多分だけど、こういうことって勢いが大事だわ。特に私たちにとってはね。機を逃すとはっきりしない形でこれからもずるずるし続ける気がするの。テオはそれを喜ばないと思う」

「うん。ミリーの言う通りだ。じゃあ、今から指輪を買いに行こう! 今なら思い切った買い物をしても、多分僕は気にならないから!」


 何かを振り切るように一度頭を振って、ヴァージルが立ち上がる。

 今から? と言いかけてカモミールは言葉を飲み込んだ。今だからいいのだ。悲しいことがあったときには、立ち動いているに限る。

 それはヴァージルにとっても同じ気持ちなのだろう。


「お店に入るのに恥ずかしくない支度をしてくるわ。ヴァージルも着替えた方がいいわよ」


 互いに視線を交わして、ささやかながらも笑い合う。今はこうして、失ったものから目を逸らしながら生きていくしかできそうになかった。



「なんなのよ、大口叩いておいて……テオの馬鹿!」


 自分の左手の薬指に嵌まった指輪を見ながら、カモミールはひとりきりしかいない工房で大声を出した。ヴァージルとふたりで選んだのは、カモミールの目の色に似たブラウンダイヤモンドの指輪だ。

 ヴァージルの目か髪の色を選ぶのが一般的な選択だったろうが、カモミールが既にフローライトのブローチを持っているので、ヴァージルとしてはそれでいいらしい。


 ダイヤモンドは近年になってカッティング技術が進歩し、ブリリアントカットという透明な原石を美しく輝かせる方法が開発された。

 それまで、硬度が高い以外は特に重宝されなかった宝石だが、今は曇りなく透明なダイヤこそが最高の価値を持つと思われ始めている。採掘量の多いブラウンダイヤモンドは、色の付いたダイヤモンドの中でも安価である。


 似た色の宝石は他にもあったが、「並ぶものなき固さ」をふたりは望んでこの指輪を選んだ。何度も壊れかけたふたりの繋がりが、壊れることがないようにと。


 ヴァージルは確かに隣に戻ってきた。けれど、テオに犠牲になれなんて決して思ってはいなかった。

 カモミールはふたりがゼルストラに旅立ってから、錬金釜を毎日磨きながら、彼らの無事を祈り続けていた。

 あの時テオをヴァージルと共に行かせたことは正しかったのかを、どうしても考えてしまう。――それが詮無いことと思いつつも。


「おい」

「何よ、今考え事してる――誰!?」

「俺だよ! わかんねえのか?」


 驚いたカモミールのすいの声に、錬金釜の後ろから、5歳ほどの少年がひょっこりと姿を現した。妙に整った顔立ちに青い髪は、紛れもなくテオの面影を宿している。

 ――けれど、彼は消えてしまったとヴァージルが言っていたではないか。


「テオ? 本当にテオなの? 魔力が尽きて消えたってヴァージルが……」


 子供の悪戯かもしれないと疑いながらも、カモミールは少年の前に屈み込んで尋ねる。テオによく似た少年は、妙に大人びた動作で肩をすくめた。


「ああ、うっかりやっちまったぜ。魔力切れで体が維持できなくなってよ」

「どういうこと!? 死んだって事じゃないの!?」

「おまえなあ……俺は精霊だぞ? しかも4元素の精霊みたいな下位の精霊じゃなくて、人間から見えて実体を持てるほどの上位の精霊なんだぜ? ここにこの錬金釜がある以上、そして世界に魔力がある以上、精霊である俺の存在は完全に消えたりはしねえ。――ま、そのうち世界の魔力もなくなる日が来るだろうけど、それは大分先……うおっ!」

「馬鹿馬鹿馬鹿! 心配したんだから! ヴァージルだって凄い責任感じちゃってるんだからぁ!」


 青年の姿だったらそんなことは決してしなかっただろうが、テオがこどもでしかなかったのでカモミールは彼を力一杯抱きしめていた。


「うわぁーん! 良かった……良かったよぉ。ヴァージルが帰ってきてもテオを犠牲にしたなんて思ったら手放しで幸せになれるわけないじゃない! 何なのよ、うっかりやっちまったって! 馬鹿ー!」

「待て待て、いいから何か食わせろ! 自然回復した魔力でなんとか姿は現せるようになったけど腹ぺこだ!」

「そっか、魔力! 待ってて、エノラさんから何か貰ってくる!」

「待て、俺は置いておけ! 抱えていくな!」


 カモミールにも抱き上げられるほど小さいテオを抱き上げて、バタバタとカモミールはエノラの家へ向かう。


 ――うん、この落ち着かない感じがいいのよ。


 自分の周りの人が全て欠けずに明日を迎えられる。その幸せを噛みしめながら。


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