「簡単に言わないでよ! そりゃ、テオが付いていてくれたら凄く心強いわよ。でも、そんなにホイホイ魔法を使われたらテオが人間じゃないってバレちゃうでしょ? それに、今回の任務は極秘になるはずよ? ヴァージルだって十分怪しいのに、侯爵家の家臣でないテオまで連れて行ってもらえるわけないでしょ!」
「こういうときこそヴァージルの魔法の使い時だろォ!?」
「いや、もう僕は味方に向かって魔法を絶対使わないからね!」
カモミールはともかくとして、普段は声を荒げることがないヴァージルにまで強い調子で否定され、一瞬前まで自信満々に笑っていたテオは不満そうに唇を尖らせた。
「テオさんが長期間いなくなると、工房的にも困るんですけど。ポーションもですけど、人手が足りなくなって」
帳簿を付けていたキャリーがペンを手にしたままでテオに目を向ける。更に拗ねた様子のテオだったが、続いたキャリーの言葉で目を見開いた。
「でも、それがテオさんの『やりたいこと』なんですね? だったら私は賛成です」
「キャリーさん!?」
なぜこの局面でキャリーがテオの味方をするのかわからない。カモミールの視線を受けて、キャリーはペンを置いた。
「この工房で作ったポーションが化粧水に使われているのを、侯爵様はご存じですよね。そのポーションはテオさんが作ってるっていうことも。白アロエを侯爵邸の温室からいただいたときにお話ししたって聞きましたけど」
「それは……そうだった」
「テオさんが作ったポーションをヴァージルさんに持たせたとして、それを使うことがあったら規格外なのはすぐわかってしまうことなんですよ。
だったら、もう侯爵様には全て包み隠さずお話ししてしまった方がいいんじゃないですか? 隠し事をしてるっていうのはカモミールさんに向いてませんし」
「で、でもね、それでポーションが軍用にされることがあったりしたら……」
「じゃあ、ヴァージルさんに持たせるのも諦めてください。それでなかったら、侯爵様を信じるしかありません」
とうとうカモミールは答えに詰まってしまった。
キャリーの言うことの方が筋が通っている。自分はヴァージルの安全のためにポーションを持たせたいと思っているのに、それが軍用に使われる事を心配しているのは後ろめたい。
「……フレーメの肖像画、確かギルドにあったはずですよ。正直、一目でテオさんがそっくりだとわかるかって言われたら微妙ですけど。共通点を探そうと思えば探せる程度だったと思います。もうおじさんになってから描かれたものらしいですしね。
それを侯爵様の前に持って行って、実際に魔法が使えることも見せたらいいですよ。結局何が脅威かって、対抗する術のない魔法を使われたら困るって事ですから」
「どうして?」
工房にとってテオの不在は不利益になる。なのに、キャリーはテオをヴァージルについて行かせようとしている。カモミールには、その理由がわからない。
「キャリーさんは、どうしてテオの言葉に賛成なの? テオを行かせない、ポーションも持たせないっていうのが、キャリーさんにとって一番いいんじゃないの?」
「いや、私そこまで冷徹じゃないですから……」
カモミールはキャリーの人間性を疑っているのではないが、彼女は情より理に従って動くタイプだ。それが今回に関しては情に寄っている気がしてカモミールが尋ねると、キャリーは不本意そうに額を押さえた。
「だって、テオさん自身がそうしたいって言ってるし、ヴァージルさんにとってもそれが一番安全じゃないですか。その上で、カモミールさんは隠し事が下手なんだから、テオさんを一緒に行かせるためには事情をお話しした方がいいと思ったんです」
「その……キャリーさんってヴァージルに対して怒ってたじゃない。だったら……」
「今でも怒ってるし、好きじゃないですよ! ここまで言わせますかね! ああもう、ヴァージルさん、なんでこの人こんなに面倒なんです? あなたが甘やかしすぎたんじゃないですか? 自分は感情的なのに、人の感情に斟酌がない!」
「それは、その……ごめんなさい。でも確かに甘やかしはしたけど、ミリーは元々納得できないことに関してはとことん追求するタイプだよ」
「ねえ、なんで私を飛び越して会話しちゃってるの!?」
申し訳なさそうに頭を下げるヴァージルと、顔が赤くなるほど怒っているキャリーが対照的だ。そのふたりに挟まれて、カモミールはわけがわからない。
「私がヴァージルさんを嫌ってようと関係ないんです。だってカモミールさんはヴァージルさんのことが好きじゃないですか。ヴァージルさんが姿を消してた間、カモミールさんはとんでもないことになってたじゃないですか!
それはそれとして、カモミールさんに幸せになって欲しい気持ちは本当なんですよ。それを考えたら一番いいのは、ヴァージルさんが無事に帰ってくることですよ! テオさんだって、錬金術と食べること以外で何かをやりたいって言ったの初めてじゃないですか。だから、私にはそれを妨げる理由はないんです」
「もー、理屈っぽい! キャリーさんだって十分面倒じゃない!」
「それは否定しません! 自分でも最近面倒くさいって思ってます! それで、どうするんですか? 侯爵様への説明が必要なら、ギルドから肖像画を持ってきますよ」
テオはかつて侯爵に対し、「テオ・フレーメ」と名乗った。その上にフレーメの肖像画があり、魔法を使えることを見せれば精霊であることを証明できるかもしれない。
けれど、カモミールにとってはそれは気が進まない。
「ヴァージルのこともだけど、テオのことも心配なの……。魔法を使える存在が、権力を持った人にとってどう扱われるかを想像したら。まして、人を超えて錬金術ができるとなったら」
「俺の主人はカモミールなんだよ。侯爵じゃねえ。仮に命じられたとしても、おまえの頼みじゃなければ俺に言うことを聞く筋合いはねえ。……あの侯爵だったら、おまえに危害を加えて無理に俺に言うことを聞かすってことはねえだろ。それは、300年前に金の製法を狙ってゼルストラがしようとしたことと変わらなくなるからな」
「……そっか。確かにそれは、侯爵様が一番嫌うことだわ」
カモミールは迷っていた。侯爵は親しみやすい人柄で、優しい人物だとは思っている。
けれど、そうした部分を知っていながらも、時折彼が見せる為政者としての合理的思考をする顔も知っているのだ。
迷いながらカモミールの目は工房の中をさまよう。そして、曇りガラスの香水瓶に入れられた最新の香水の上で止まった。
アトリエ・カモミールの一番新しい商品は、男性向けの香水である。侯爵が工房を視察したときに調香し、他ならぬ侯爵自身によって「勇気ある者」とて名付けられた。
侯爵家のタイムの丘を思い出し、彼の言葉をひとつひとつ思い出す。そして出した結論は、侯爵がテオの力を利用することなどはないと信じることだった。
侯爵は戦争を知るからこそ、それを厭っていた。力を持つ者が果たすべき正しい責任を、常に胸に掲げていた。
「わかった。もう一度侯爵家に行って、テオを同行させて貰えるようにお願いするわ。キャリーさん、悪いけどギルドから肖像画を借りてきて。私とテオは侯爵家の前で待っているから、そこで合流しましょう」
それが、最も自分が後悔しない方法。誰をも後悔させない方法。
そう信じてカモミールは侯爵に全てを明かし、テオの望まないことはさせないという約束を取り付けた。
持たせることができるものは、カモミールの手が及ぶ限りふたりに持たせた。
魔女の軟膏の残り全ても、使いかけのポーションも。そして、持ちきれないほどの携帯食も。
ヴァージルがいないばかりかテオまでいない日々は恐ろしく静かだったが、カモミールは祈りながらも心がすり切れるほどの不安には苛まされていなかった。
テオがいるからきっと大丈夫。テオならなんとかしてくれる。
それはこの工房に初めて来た時から今までの間に、ふたりの間で培われてきた信頼だ。
一月近くが経った頃、傷ひとつなくヴァージルは帰ってきた。
けれど彼の顔色は優れず、何より隣にテオはいなかった。
そして、テオが持って行ったはずのアゾットは、ヴァージルが持ち帰ってきたのだった。