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第148話 突然ですが

「侯爵様はお優しい方だよね。昔からだけど」


 帰りの馬車の中で、小さく笑いながらヴァージルが呟いた。

 目の前で起きたいろいろなことが予想外すぎて、カモミールは未だに少し混乱している。ヴァージルの言葉にも、どうしてそういう話が出て来たのかがわからず首を傾げてしまった。


「確かに侯爵様はお優しい方よね。ヴァージルのことも許して……あれって許してくださってることになるのかしら。罪を償う機会をくださっている事は間違いないけど」


 改めてヴァージルが噛みしめるように言っていることが気になって、カモミールはヴァージルの表情を窺った。

 今夜にはもうこの街を出立するという恋人は、妙にスッキリとした表情で笑っている。悲壮感などは欠片もなくて、どうしてそんなに明るくいられるのだろうと逆に疑問だ。


「騎士は一代とはいえ貴族だしね、僕に万が一のことがあってもミリーが困らないようにしてくれたんだよ」

「どういうこと?」

「もし僕が死んだら、ミリーには恩給が出る」

「なんで?」

「さっきの侯爵様の君への扱いだよ。僕の仕える主は侯爵様だけど、命を捧げてる先はミリーだから。それはもう公認なんだ。結婚してないけど、ミリーの扱いは僕の妻として同等のもの。ついでに言うと、僕がこの先ヴァージル・オルニーとして生きていくことも認めてくださってる。順序が逆だけど、『侯爵家の臣であるヴァージル・オルニーの妻』ってことでミリーの囲い込みもできる。ただの平民だったら他領への流出もあるかもしれないけど、その家に仕える騎士の妻だったらそれはない。だから、侯爵様は僕と君のことを認めて、ついでにまとめ上げて、ヴィアローズの貢献をこの領に繋ぎ止めたんだよ。

 お優しいけど、食えないところもある方だよね。主君としては凄くいいけど」

「…………は?」


 ヴァージルの話していることはわかる。

 表面上はわかるが、途中からカモミールの頭は混乱し始めた。

 ヴァージルとの結婚を考えたことは確かにある。それこそ、彼をまだ幼馴染みだと思っていた頃だ。その直後に偽りの記憶に気づき、淡い夢は砕け散った。――と思っていた。


「私がヴァージルの妻として扱われてたの? なんで? 結婚してないじゃない」

「でも、僕が侯爵様に対して『愛するカモミールに賭けて誓います』って言っちゃったから」

「待って待って? うわあああ、恥ずかしい! ええっ、そうよね、確かに言ってたわ。でもあの時は心配の方が先に立って……待って待って、じゃあもしヴァージルがこの任務で死んじゃったりしたら、私いきなり未亡人って事なの?」

「そうならないようにするよ。せっかく僕の望んだ生活が手に入るんだから、平穏に長生きしたいし。――ミリー、僕が帰ってきたら、結婚してくれる?」


 柔らかな緑色の目が、カモミールを見つめている。揺れる馬車の中なので、あの劇場の時のように跪かれたりはしなかったが、その時と同じように突然で、前振りのない求婚だった。


「あなたね……そもそも、私に断られるって思ってないでしょ」


 この場にキャリーがいたら、ヴァージルに「散々振り回して置いてどういう言い様ですか!?」と平手打ちくらいしていただろう。

 カモミールがそれをしないのは、結局のところヴァージルを愛しているからだ。


「だって、僕はこうして生きてるから。……だからね、わかってるつもりだよ。君をどんなに苦しませてしまったかも、それでも僕の命を助けるために頑張ってくれたってことも。僕が君に返せるのは、この命を捧げることだけだよ」

「捧げられても困るわ。でも、ここでヴァージルと平和に暮らせるなら、それが私にとっての幸せのひとつではあると思う」

「他の幸せは?」

「もちろん、ヴィアローズを発展させて、たくさんの人に受け入れられる事よ。私の弟子になりたいって子も村にはいるし、人を雇う立場の工房主として自分のブランドを発展させたい」

「それも叶うよ。侯爵様とオーナーが認めてくださったから、僕はクリスティンの店員としても働けるし。きっとミリーの手助けが出来ると思う」

「そっか……そうだよね。化粧品を作る私のことを、ずっとヴァージルは支えてくれてたんだから」


 馬車が停まって、エノラの家の側に着いたことを知る。数秒だけ動きの止まった馬車の中で、カモミールは意を決してヴァージルに口づけた。


「死んだら恨み倒すからね!? おじいさんとおばあさんになっても一緒にいてくれなきゃ嫌よ!?」


 真っ赤になった顔でカモミールが叫ぶと、金色の髪を揺らしてヴァージルは心の底から嬉しそうに笑った。 



「テーオー! ポーション作って!」


 馬車を降りてすぐ、カモミールは工房に駆け込んだ。キャリーとテオがいつも通りに仕事をしていて、以前のように元気よくカモミールが叫ぶのに目を丸くしている。


「ポーション? まあ、いいけどよ」

「魔女の軟膏って少し残ってたわよね。これもヴァージルに持たせなきゃ。ポーションは作れるだけ作って貰って……」

「カモミールさん? 何があったんですか?」


 カモミールが赤い顔のままでばたばたと慌ただしく工房の素材を引っかき回していると、怪訝そうにキャリーが尋ねてきた。一瞬言葉を詰まらせながらも、話せる事情だけは話そうとカモミールは言葉を選ぶ。


「え、えーとね、いろいろあって、ヴァージルに求婚されたんだけど、これから危険な任務に就くことになっちゃったの……そう、求婚されたの! ヴァージルが帰ってきたら結婚するんだけど、そもそも帰ってこないかもしれなくて……あああああ!」

「はあ。ええと? 求婚されたことが問題なんじゃなくて、危険な任務に就くことが問題なんですよね? カモミールさんを見てると求婚の方が大事件に見えますけど」


 盛大に混乱して髪をかき乱すカモミールを見て、キャリーが冷静に現状を分析する。冷静なのは頼もしいが、恋人の生死の分かれ目を体験してきたところで求婚されたという、乱高下の激しい乙女心も理解して欲しいと思ってしまう。


「侯爵家に仕えることになったんだ。でも僕の命はミリーのものだから、侯爵様もそこのところは認めてくださって。危険な任務ではあるけど、諸々の後始末をしに行ってくるよ」


 カモミールから少し遅れて工房へ入ってきたヴァージルが、簡単にふたりに向かって事情を説明した。その途端にヴァージルに向けられたキャリーの視線が吹雪のように冷たくなる。

 相変わらず、キャリーはヴァージルに厳しい。


「そういうことか! じゃあ俺も行くぜ!」


 急にテオが立ち上がり、壁に立てかけられていたアゾットに手を伸ばす。え? とテオ以外の3人の困惑した声が綺麗に揃った。


「魔法毒を使う魔法使いが相手にいるんだろ? 俺は純粋な精霊だぞ。現代の弱り切った魔法使い如きに負けるわけがねえ。安心しろ、ヴァージルは絶対守ってやるし、刃向かう奴がいたら叩きのめしてやる」

「どうしてテオがそんなことを」


 ヴァージルや騎士たちの無事のために、ポーションは作って貰うつもりでいたが、テオにそこまで頼むつもりはカモミールにはなかった。

 確かに、テオの言うとおり、彼ならば魔法使いも手出しできないだろう。フレイムドラゴンを倒した剣技の持ち主であるフレーメの技量を引き継いでいるともなれば、確かに安心できる。


「テオが一緒に行ってくれたら、魔法使い相手には万全かもしれないけど。……どうして?」

「こいつが隣にいるのが、おまえの幸せだろ? 俺の主はカモミール、おまえだよ。道具の幸せってのは、持ち主の役に立つことだ。違うか」


 手のひらに炎を出して笑う美しい青年を見て、カモミールは今更彼が人間ではないのだと再認識した。


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