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第147話 ヴァージルのこれから

 お茶のお替わりを二度して、小腹が満たされるほど菓子を食べ、それでも侯爵家のこどもたちとの会話は尽きなかった。

 ジョナスはハーブの事にかなり詳しくなっており、温室にある薬草についても庭師のトムにいろいろと教わっているという。

 アナベルはグリエルマから礼儀作法を学びながら、錬金術自体に関しても興味を持ち始めたらしい。とはいえ、大錬金術ではなく、やはり彼女が実際に目にした簡単な化粧品作りに対する興味だ。


 好奇心旺盛で賢いこどもたちと話すのは楽しいが、合間合間に今ヴァージルがどうしているかが気になってしまう。

 待たされる時間の長さにカモミールの不安が募ってきた頃、応接室のドアがノックされた。


 びくりと身を固くしたカモミールに、侯爵がカモミールを呼んでいると伝言がされた。

 席を外す非礼をふたりに詫び、心臓を跳ねさせながらカモミールは使いの侍女に付いて歩く。


 一歩一歩が酷く遠く感じた。

 平静な侍女の様子からするに、大きな問題が起きたわけではないと思う。――いや、思いたい。それはあくまでもカモミールの願望でしかない。


「カモミール嬢をご案内いたしました」

「やあ、カモミール嬢、久しいね」


 ソファにゆったりと座ったまま、カモミールを迎えた侯爵の声は軽い。その場にはヴァージル以外にタマラとクリスティンも同席していて、護衛らしき騎士以外はお茶を飲んでいたのでカモミールは内心胸をなで下ろした。


「それでは、私はここで失礼いたします」


 カモミールの姿を確認し、クリスティンが立ち上がる。すれ違うときに彼女はカモミールの肩に軽く振れ、微笑んでいった。


「侯爵様におかれましては、ご機嫌麗しゅう存じます」


 その場の空気が重くなかったので、カモミールは挨拶の言葉をそう選んだ。

 もし侯爵が険しい顔をしていたり、ヴァージルが縄を打たれていたりしたら、なんと言ったらいいかわからなかっただろう。


「長く待たせてしまったね。悪いがもう一杯お茶に付き合って貰おう」

「お心遣いに感謝いたします」


 頭を下げて、カモミールはヴァージルの隣に座った。その動作全てを、侯爵が軽く笑いながら見守っている。


「ミリー、心配させたね。大丈夫だから」


 侯爵の面前であるというのに、笑みを浮かべたヴァージルが髪を撫でてくる。それを受け入れながらも、どういう態度を取ったらいいかにカモミールは戸惑った。


「いやはや、ゼルストラの間諜を詰問するつもりが、盛大に惚気られてしまった。ヴァージルは愛するカモミール嬢に賭けて真実を述べると誓ったよ。ははは、お熱いことだ」

「えっ……ヴァージルったら」


 隣のヴァージルをたしなめはしたが、カモミールの頬は一気に熱を持った。確かにヴァージルにとっては命を救ってくれたカモミールの存在は重いに違いないだろうが、自分に賭けて誓われたなどと聞いたら面映ゆい。


「だが、私にとっては神に誓われるよりも真実味があったからね。我が妻に賭けて誓ったら、私も一切の偽りを述べることはできないだろう。くれぐれも、ヴァージルはカモミール嬢を大切にするように。二度と、こんなにやつれさせるようなことをしてはならないぞ」

「はい、侯爵様の御下命の通りに」


 胸に手を当てて礼をするヴァージルは、やはりそういった動作のひとつひとつが様になっている。それが男爵家時代に仕込まれたものだろうということは、おそらく侯爵も気づいているのだろう。


「結論から話そう。ヴァージル本人の希望も聞いた結果、当家で召し抱えることにした。普段はクリスティンで働きながら、事あるときには我が手足として動いて貰うことになる」

「……侯爵様の御厚情に、心より感謝を申し上げます」


 御厚情どころの話ではない。カモミールが思っても見なかったほどの厚遇である。確かにヴァージルはゼルストラの情報を差し出しはしたが、侯爵からこれほどの待遇を引き出せる対価としては釣り合わない気がした。

 そして、続いた言葉にカモミールは息を飲むことになる。


「その最初の仕事として、偽装した騎士たちとともにゼルストラに赴き、ヴァージルが関わっていた裏ギルドを殲滅して貰う」


 カモミールの喉がヒュッと小さく鳴った。侯爵は「最初の仕事」などと言うが、それが危険極まりないものであることはカモミールにもわかる。

 下手をすれば、同行した騎士も巻き込んで、ヴァージルは今度こそ死ぬだろう。


 侯爵に異を唱えることはできない。けれど、素直に頷くこともできない。

 答えあぐねてカモミールがヴァージルを見つめると、彼は見慣れた笑顔でカモミールの手を取った。


 侯爵邸にやってくるときに馬車の中で握り合った手は冷たかった。けれど、今彼の手は温かい。極度の緊張からは解き放たれたのだろう。


「心配するなと言うのは無理かもしれないけど、僕を信じて。僕だって、手ぶらでこちらに帰ってきたわけじゃないんだ。それに、カールセンでの拠点が潰されたことがあちらに知られる前に片を付ける必要がある。

 これは侯爵様の命令じゃない、僕が望んだんだよ。僕はあの国が嫌いで、裏ギルドは潰したいと思ってた。

 それに、侯爵様が力を貸してくださることになった。そういうことだよ」


 それがヴァージルの発案なのか、侯爵の発案なのか、カモミールに知る術はなかった。けれど、穏やかで優しいヴァージルの中に、自分を道具として使い続けてきた裏ギルドへのどす黒い憎しみがあることはさすがに知っている。


 だからこそ、カモミールは「行かないで」と言うことができない。

 これは彼にとって必要なことなのだ。過去を清算し、光の当たる場所で生きるために。


「既にフォールズ辺境伯へは一報を入れた。国境に着く前に一度辺境伯家の戦力と合流し、商人などに紛れてゼルストラに入って貰う。

 あくまでも目的は、国家間の関係悪化を狙う裏ギルドに対するものであり、国家としてのゼルストラに対するものではない。

 殲滅とは言ったが、首都にある本部さえ潰せればいい。頭の潰れた諜報機関ほど役に立たないものはないからな。

 ――カモミール嬢、これは当家での大事でもあるが、ヴァージルにとっても今後の安全のために必要なことなのだ。彼の情報が欠片でもあちらに残っていたら、そこを突かれる危険がある」

「……はい、侯爵様の仰せのままに」


 指先が白くなるほど、カモミールはスカートを握りしめた。

 国家間の問題など、カモミールには関わりのないことのはずだった。今でも、カモミールにできることなどはない。


 なんとか気持ちを落ち着かせようと、自分の前に置かれたカップを手に取る。

 口にした紅茶は驚くほど渋くて、思わず一瞬眉を顰めてしまった。それでようやく自分だ飲んだのはクイーン・アナスタシアだと気づいて、どれだけ自分が動転しているのかを思い知らされる。

 何度も飲んだ紅茶の香りがわからないほど、意識が侯爵とヴァージルの言葉に向いてしまったのだろう。


「何度でも言うが、死ぬために行かせるのではないぞ? ヴァージルにまつわる全ての人間にとっては、彼を許す為の区切りが必要なのだ。表沙汰にできないことではあるが、この命を完遂すれば安心して暮らすことが出来るようになるだろう。真にこの地の民として、地に足の付いた暮らしをしながら」


 確かにそれは、自分とヴァージルの望むことではある。だから、カモミールは無言で頷くしかなかった。


「侯爵様、どうか私もこの任に加えてくださいませ」


 突然のタマラの言葉に、カモミールとヴァージルは揃って友人に目を向けた。

 床に跪いたタマラの表情はカモミールからは見えない。


「それは駄目だ。そなたはもう当家の騎士ではない」


 侯爵の言葉にタマラが項垂れる。しかし、その後に続いた言葉はカモミールが思っていたものと方向性が違っていた。


「マーガレットと約束しているのだよ。タマラ・アンドリュースに二度と剣を握らせることはしないと。その才を妻も認めているからこそ、騎士ではない道を歩んで貰いたい。

 そして、この任に着くからには、この場この時よりヴァージル・オルニーは我が臣下である。特例ではあるが、騎士の末席として叙そう。剣を」


 騎士から剣を受け取った侯爵は、跪いたヴァージルの肩に剣を置いた。首筋ギリギリに置かれた剣は、いつでも彼の命を奪えるのだとこの場の全ての人間に知らしめていた。


「我が主君に絶対の忠誠を捧げます」

「その忠誠を受け取ろう。我が騎士として名誉と誠実を以て仕える事を望む。剣は私に、命は愛する者に捧げよ」


 最後に茶目っ気のある笑顔を浮かべた侯爵の態度で、カモミールはそれが通常の騎士叙任とは違うと言うことに気づいたのだった。

 その場にいた3人の騎士のうちふたりが、肩を振るわせて必死に笑いを堪えていた。


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