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第143話 繋いだ糸の先

 賢者の石が起こした奇跡を、カモミールは以前目にしたことがある。いや、それは奇跡などではなく、錬金術として正当な現象であった。

 万物の素たるエーテルは、何物へも変容できる可能性を持つ。だからこそ、ガラスにもなればコルクにも、そしてトゥルー・ローズの精油にもなった。


 固形でもあり液体でもある賢者の石は、不思議な手触りをしていた。

 冷たくもなく、温かいわけでもない。摘まんだ感覚はしっかりとあるのに、どこかふにゃふにゃとしていて、気を抜いたら指の間から落としてしまいそうだった。


 賢者の石を持ち上げる前とは少し種類の違う「落としたらどうしよう」という恐怖に襲われて、カモミールは急いでそれをビーカーへと入れた。

 すぐに何らかの反応があるかと思ったが、ビーカーの中をゆらゆらと落ちていった紅い宝石は底に留まっている。


「まだ入れただけで、何の力も掛かってねえからな。これからだ」


 テオの言葉は重みがなく、彼にとってこの状態は異常ではないのだとわかった。

 いくらテオでも、想定外の事態になれば驚くのだから。


「風の精霊の加護よ、その翼をはためかせ、炎の力を呼び覚ましたまえ」


 両手の間にグリーンドラゴンの鱗を挟み、ギルド長は祈るように言葉を紡いだ。そして、そっとビーカーの中にエメラルドに輝く鱗を滑らせる。


「よし、混ぜろ」


 テオから混ぜろと言われて、カモミールはガラス棒をビーカーに差し入れるとゆっくりと中身を攪拌した。固いものがぶつかる感触を想像していたが、ぐるりと一周攪拌しただけで素材が溶け出して液体がエメラルドグリーンに変化していく。


 その急激な変化にカモミールが息を飲んでいると、テオに促されてマシューが進み出た。


「次はマシューな」

「何かうまいことを言った方がいいのかのう」

「気分的に口に出した方がいいなら、適当に言えばいい」


 ギルド長が口にした言葉は、特に決まった呪文ではないらしい。風は火を煽ってその勢いを増す。それを願う言葉だったのだろう。

 マシューは無言で炎の核を見つめると、一呼吸置いてからビーカーの中にそれを入れる。

 これも物がガラス棒に当たるような手応えはなく、今度は青に赤に揺らぐ炎の核の色そのままに液体を変化させた。


 ふと、カモミールは賢者の石が「固形であって液体」である理由がわかった気がした。

 賢者の石はエーテル凝集体だ。決まった形があるわけではない。

 他の素材と混ぜて何かを作り出すとき、例えば三角形と四角形を足して円を作らなければならないような時にこそ、エーテル凝集体は力を発揮するのだろう。

 定まった形がなければ、形は如何様にも変えられる。三角と四角を並べて、その形を補って円へと導くような、そんな力だ。


 思考がカモミールの脳裏を駆け抜けていったが、すぐに意識がビーカーに引き戻される。

 もしも自分の考えが正しいとしたら、形のないものに対して「円になれ」と導く力が必要だろうと思い至ったのだ。


「私の中にある魔力を使い果たしてもいいわ。ヴァージルちゃんに……あの寂しい子に自分は必要とされてるって気づかせてあげて」


 ごつごつと尖った土の華を柔らかな手のひらで一度包み込み、エノラが真剣な顔でそれを燃えるような液体の中へと入れる。カモミールがガラス棒を動かすと、それは見慣れた隣家のドアのような明るい茶色へと変わっていく。

 見ているとほっとするような気がするのは、それがエノラらしい色だからだろう。

 この明るい老婦人には、人を和ませる雰囲気がある。


「人体の6割以上は水でできていると言われている。ならば、体内の水を浄化することで癒やしを得ることも可能なのかもしれないが――大錬金術に理論を飛び越えられると少々腹が立つな」


 滴が飛び散ったりしないように気を付けながらも、ガストンが愚痴を言いながらセイレーンの涙を入れた。ガストンらしい理屈っぽさだが、彼は錬金医も大錬金術に分類されることについてはどう思っているのかとカモミールは疑問に思う。


 セイレーンの涙が入ったことで、ビーカーの中身は素材の持っていた淡い水色へと色を変えた。それだけではなく、攪拌をするごとに少しずつ嵩が減っていく。

 通常起こりうる変化ではないので焦ってテオを見たが、彼は「これが正しい反応だ」と頷くばかりだ。


「混ぜ続けろ。今、賢者の石が質量を効果へと変換してる。このビーカーいっぱいに拡散されていた力を、ぎゅっと質量を縮めることで濃縮するんだ」

「でもそれって、普通加熱とかで起こすことじゃないの!? いろいろ飛ばしすぎじゃない!?」


 本来、化学変化をする前と後では、質量は変化しないのが基本なのだ。少なくとも、カモミールがこれまで学んだ知識はそう言っている。けれど目の前の事象はそれを越えて、まるで「魔法」に見えた。


「変化前と変化後は必ずしもイコールじゃねえ。目の前で起きてることを受け入れろ。それが全てだ」


 これだから大錬金術は嫌いよと喉から出かかった言葉をカモミールは飲み込む。

 理屈に合おうが合うまいが、既に錬金術として一度は確立された現象ではあるのだ。ならば、条件を合わせれば再現可能であるし、今はその過程にあると思って間違いないのだろう。


「私に魔力はないけど、縁の糸を紡ぐ力があるなら……お願いよ、ヴァージルと一緒に生きる未来を私に掴ませて」


 形のいびつな真珠や、まろやかな曲線を描いたドラゴンの鱗。様々な物を組み合わせ、カモミールは生きている人間が見たことのないものへと手を伸ばそうとしていた。



 2リットルもの容量があったビーカーの底に、真珠を溶かしたような液体が残っている。

 容器を移し替えてみたらそれは50ミリリットルにも満たず、「賢者の石どうかしてるわ」とカモミールは思わずこぼした。


「これがエリクサー?」

「ああ、問題なく作れたな。やったじゃねえか、カモミール!」


 テオが満面の笑みを浮かべてカモミールの背中を叩いてくるが、テオが抱いているような達成感はカモミールにはなかった。

 その場に居るテオ以外の人間は、誰も彼もが一様に表情に困っているように見える。

 ギルド長とマシューは嵩が減り始めた辺りで唸りながら頭を抱え、キャリーとエノラはそのふたりの反応を見て顔を青ざめさせた。


 そして、今カモミールとガストンは少量の液体を前に「どうやってヴァージルにこれを投与するか」を悩んでいた。


「意識のないヴァージルにこれを飲ませることができるか、よね。無理に口に入れたら誤飲しそう」

「300年前はどういうケースだったんだ? 経口ではなく静脈注射でもいいのか? しかし、こんな得体の知れない物を血液中に入れたくないな」

「得体が知れねえだと!? こんなに材料がはっきりしてて、目の前で錬成された物に対して何言ってやがる!」


 テオは口を尖らせて怒っているが、カモミールとガストンは目を見合わせて同時に項垂れた。


「材料がはっきりしてるって言っても、多大に魔力の影響があるし……。こんなに水色できらきらしてる物を注射とかの形で体に入れるのって怖いわよ」

「私もカモミールと同じ意見だな。何せ、過去にエリクサーが運用されたのを見ていないものだから、正しく働かせることができるかが不安だ」

「信じろよ、万能薬だぞ! 賢者の石まで使ってんだぞ!」

「ミリーちゃん、そこは口移しじゃないの? まさか、お注射なの!?」


 エノラが悲鳴のような声を上げている。論点が激しくずれている一言に、「待ってください」とカモミールは片手を上げた。


「口移しはあり得ません。今のヴァージルは意識がないので、口から流し込んでも嚥下できるかどうかわかりませんから」

「ああ。気管支に入ってしまう誤飲ならまだ結果としてはいい方で、最悪飲み込むこともできずに口からこぼしておしまいと言うことが考えられる。なので、点滴に入れるか注射でゆっくりと入れるかのどちらかだな」


 カモミールとガストンが続けて説明をすると、ロマンティストの老婦人は肩を落とした。


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