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第141話 最後の材料

 キャリーが買ってきた甘いもので腹を満たし、「さてと」とテオは勢いよく椅子から立ち上がった。


「これから俺が作るのはエクスポーションだ。ハイポーションの更に上級版だな」

「エクスポーションですと!?」


 ギルド長が声を裏返して叫ぶ。現代ではポーションこそ細々と出回ってはいるものの、ごく稀にしかハイポーションは出回らない。更に上の存在であるエクスポーションを見たことがある人間は、存命していないだろう。


 それほどまでに稀少な品なのに、今のハイポーションは200年前のポーションの半分の効果しか無いとも聞いたことがある。

 もちろん、テオのポーションは現在におけるハイポーションよりもはるかに強力だ。だからこそ出回らせることはできなかった。


「最上位素材とエクスポーション、魔女の軟膏、それとエーテル凝集体を使えばエリクサーが作れるからな」

「エリクサー、を、作る」


 先に説明を受けてはいたが、これまで最上位素材の錬成を目の前にしてきて、彼の中でそれがどれだけ大きな事かが変わったのだろう。白目を剥いたギルド長が体を傾げさせた。キャリーが慌てて支えたが、彼は意識を飛ばしている。


「ちょっと、お父さん、お父さーん!」


 キャリーはピシピシとギルド長の頬をはたき、それでも彼が目覚めなかったのを見てマシューに支えを頼んだ。その後に取った行動は、勢いよく顔に水を掛けることである。


「……お、おおう……」


 ぶるりと震えたギルド長が意識を取り戻すと、キャリーは無言で床にモップをかけ始めた。

 なんとなく、家の中での力関係が垣間見える出来事であった。


「材料は……まあいいか、どうせ俺以外には作れねえ」


 テオが手にしたのは窓辺に置かれた薬草の鉢だ。それは以前白アロエと一緒に、侯爵邸から株分けして貰ったものだった。

 あるものは柔らかい芽を摘み、あるものは鉢から引き抜いて根を洗っている。


「せっかくですし、解説して貰わなくてもいいんですか?」


 カモミールはそれとなくギルド長に尋ねてみた。エクスポーションを実際に作る場面など、この先見られるものではないだろう。


「ああ……いや、レシピ自体は伝わっているんだ。魔力が足りずにエクスポーションにならず、薬効がほとんど抽出されていない薬草の煮汁になってしまうだけでね」

「薬草の煮汁……」


 カモミールは耳慣れた言葉に眉を顰めた。自分だったら当たり前の事柄だが、ギルド長ですら「薬草の煮汁」を錬成してしまうと言う事実が悲しい。


「テオ様、魔女の軟膏とエーテル凝集体は既にあるのですか?」

「おう、魔女の軟膏はそこだ。エーテル凝集体は……虎の子だったがこれを使うしかねえなあ」


 テオは工房の隅に屈み込むと、床の僅かな隙間に工具を差し込み、床石を持ち上げた。よっこらしょっという気合いの入った声とともにカモミールだったらまず持ち上げられないであろうという石が動き、不自然な隙間が現れる。


「えっ……そんな隠してある空間があったの」


 蓋にされていた石をどかすと、くりぬかれた石が目に飛び込んでくる。

 その中に収まっていたのは、赤い宝石の嵌め込まれた一振りの剣だった。長身のテオが手にしても、かなりの長さがある。


「赤い宝石の……まさか、これフレーメの」

「そうだ。こいつがテオドールの剣、銘はアゾット。柄にはまってるのは前にも使った賢者の石のかけらだな」


 ヴィアローズのスタートになったトゥルー・ローズの精油は、テオが賢者の石のかけらを使って増やしたものだった。

 賢者の石とは万物の素であるエーテルの凝集体。それはカモミールも知っているし、以前一度見たことがあるからその存在は疑いはしない。


 けれど、それがまだ工房内に残っていたことは知らなかった。


「これでもう最後の最後だぜ。量的にもエリクサーを作るとなったらギリギリだ。……なあ、最後にもう一度確認するぜ? この賢者の石があれば、あのトゥルー・ローズをまた複製することはできるが、エリクサーに使っていいな?」


 問いかけるテオの黄緑色の目に浮かぶ色は、真剣極まりないものだった。


「いいわ」


 カモミールも迷いない言葉で返す。

 ヴァージルを救うためならなんでもすると決めたのだ。トゥルー・ローズは極めて稀少だが、賢者の石と違ってカモミールが作ることもできる。


 ヴィアローズも今後、看板商品にしていたトゥルー・ローズ入りの商品を他の香りに置き換えていかなければならないとは思っていた。本来高コスト過ぎて、価格と価値との釣り合いが取れないのだ。

 そのように考えていたのだから、今更賢者の石があったからといって、トゥルー・ローズを増やすことに使おうとは思わない。


「よし。これで材料は揃った。じゃあエクスポーションから作るとするか」


 テオは真顔で剣を壁に立てかけると、石を元通りに戻した。もう一度手を洗ってから薬草の根を乳鉢で磨り潰し始める。

 ギルド長は真っ白い顔でキャリーの後ろからアゾットをのぞき込み、手を震わせている。錬金術師の夢である賢者の石が目の前にあるのだから、錬金術師としての反応はこちらの方が正しいのだろう。



 侯爵家から分けて貰った薬草以外に、庭に生えているポーションの材料にもなる薬草がエクスポーションには使われている。

 工房の中ではかなり大きいビーカーには、なみなみと濁った紫色の液体が入っていた。ムラサキ草の根から出る色の影響が強いらしい。けれど加熱されながら最後の薬草が足されると液体の色味が緑色に変わり、透明になってくる。その変化はテオの魔力が引き起こしたのだろう。

 ごくり、とギルド長が唾を飲み込んだ音が妙に工房に響いた。言葉を発することを憚られるような緊張感がこの場に漂っている。


「よし、できた」


 透き通った綺麗な緑色の液体ができあがると、テオは詰めていた息を安堵したように吐き出す。その額にうっすらと汗が滲んでいて、常にはない集中を彼が求められていたことを表している。


「この美しい若草色は……まさに文献にあるとおりのエクスポーション」


 目の端に涙を浮かべてギルド長がエクスポーションを伏し拝む。そんな父の様子にキャリーは僅かに鼻を鳴らした。


「あー、腹減った。まあ、魔力食うのもこれだけだけどな。後はカモミールがエリクサーを調合するだけだ」

「ねえテオ、私は魔力がないのよ? 本当にできるの?」


 エクスポーションを作るのですら、テオはかなりの魔力を費やしたようだ。ガラス棒をビーカーに立てたまま、先程食べて余っていたパンに手を伸ばしている。


「大丈夫だ。魔力は使うがそれは4属性の最上位素材を入れるときだけだからな。そこはカモミールの代わりにそれぞれの属性の加護を持ってる魔力持ちを使えばいい。後は手順さえ間違わなければ材料同士が引き合う。

 今のうちにエノラとガストン呼んでこい。エノラが土の加護、ガストンが水の加護を持ってる」

「エノラさんとガストンが……そんな都合のいい事ってあるの?」

「何もおかしくねえだろ。元々医者ってのは水の加護持ちが多いんだ。ひとつのことにのめり込む性質の奴には火の精霊の加護が、好奇心旺盛で行動が軽い奴には風の精霊の加護が付きやすい。土の加護は、我が道を行く揺るがない奴だな」


 テオの説明にカモミールは唸ることしかできなかった。言われてみればその通りで、確かにそういった人間がカモミールの周囲にはいる。

 反面、自分になんの守護も付いていないことが悔しい気もした。

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