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第138話 ギルド長の職権乱用

 テオがお茶に魔法を掛けてくれたおかげなのか、気持ちに焦りはあったがカモミールはすぐに寝付くことができた。

 目が覚めたのはいつも起きる時間と同じで、いつもよりも頭はすっきりしているくらいだ。最近は熟睡できなかったことが多かったのだ。


 隣のヴァージルの部屋を覗くと、工房で使っている椅子が持ち込まれていて、テオがそこに長い脚を組んで座っていた。

 ヴァージルの腕には輸液がされており、テオはそれを見守っているようだ。


「おはよう、テオ。昨日はありがとう。おかげで久しぶりによく眠れたわ」

「おう、少しは顔色もマシになったじゃねえか。エノラは今朝食作ってるぜ。ガストンは輸液をした後で戻って毒の分析してるが……まあ、わからねえだろうなあ、魔法毒じゃ」


 ガストンが離れざるを得なかったため、テオが代わりにヴァージルの様子を見ているのだろう。エノラも休まないと保たないから当然のことだし、眠らなくても平気なテオを連れてきたガストンの見立ては的確だ。


 ヴァージルは意識を失っているが、呼吸は浅く、表情も苦しげだ。額に汗が滲んでいるのに、触れた手足はとても冷たい。足下に畳まれた布団を掛けようとして、カモミールの手はテオに止められた。


「温めるな。今は生命維持ができるギリギリまで体温を下げた方がいい。体温を上げると血流と代謝が良くなって、毒の効果が強くなる」

「そうなのね……」


 ヴァージルの姿は痛々しく、テオの言葉もカモミールの胸を抉る。この冷たくなった手を温めることも叶わないほど、彼は命の瀬戸際に立たされているのだ。

 せめて額の汗だけでも拭こうかと思ったが、そもそも発汗で体温を下げているのだから、それも危険だろう。カモミールの医学に関する知識は、ガストンとテオには遥かに及ばない。


「おはよう、ミリーちゃん」

「おはようございます、エノラさん」


 顔を洗ってから、台所にいたエノラと挨拶をする。

 こんな時だからこそ、普通の挨拶をしたいと思ったのはカモミールだけではなかったようだ。


「テオさんからエリクサーのことを聞いたわ。ミリーちゃん、頑張って」

「はい。……まずは、ヴァージルの命を助けないと。全てはその後です」


 今日はまずマシューの家へ向かい、土の華を回収してからギルドでグリーンドラゴンの鱗を買う。見かけたことはあったが値段を確認したことがないので、念のために小切手帳を持って行った方がいいだろう。

 そうやって頭の中で行動を考えながら食べた食事は、やはり味がわからなかった。


 マシューに簡単に事情を話し、土の華を渡して貰う。今まで飾っていたそうで、すぐに引き渡して貰えたのがありがたい。

 それから錬金術ギルドに向かって、いつも窓口にいる男性の職員にグリーンドラゴンの鱗について尋ねた。


「すみません、グリーンドラゴンの鱗っていくらですか?」

「グリーンドラゴンの鱗……あれを買うんですか? 何に使えるわけでもないのに」

「何に使えるわけでもない、って……」


 職員の言い様に、カモミールは驚きすぎて呆れたような声が出てしまった。

 ドラゴンの鱗は大錬金術の素材だとは誰もが認識しているものだ。だからこそ錬金術ギルドで販売されているのだから。

 けれど、「現代の」錬金術師にとっては使い道がないものであるのは間違いない。魔力を使う高度な錬金は再現できないものになっているのだから。


「大錬金術に使うとしか言えないんですが……私には必要な物なんです」


 カモミールが小切手帳を取り出して詰め寄ると、名前は知らないが顔馴染みである職員は、少し顎に手を当てて考え込んだ。


「ちょっと待っててください。ギルド長に確認してきます」


 カモミールの焦りも知らず、彼は急ぐわけでもない足取りでギルド長室へ入っていった。落ち着かない気持ちを抱えたままカモミールが立ったままでいると、すぐにバタン! とかなりの勢いでドアが開いた。


「グリーンドラゴンの鱗を使うと!? 何に!?」

「そ、それは……」


 キャリーの父であるギルド長が飛び出してきて、カモミールの肩を掴む。

 エリクサーですとは言えない。そんなことを言ったら騒ぎになるに決まっている。カモミールが言葉を濁しながら悩んでいると、ギルド長は「失礼」と一言断ってからカモミールの手を引き、ギルド長室へ引っ張っていった。そこには先程の職員もまだいる。


 ドアを閉めてから、男性職員が木箱に入った緑色に輝くものを渡してくる。そして彼は声を潜めて説明を始めた。


「グリーンドラゴンの鱗、価格は300万ガラムです。……が、お売りすることはできません」

「どうしてですか!?」


 心の隅を絶望に侵食される。けれど、「ここで買えないなら隣町のギルドに行けば」とすぐに思うことができた。

 しかし、カモミールの思った方向とは180度違う言葉が、ギルド長の口から続けられる。


「グリーンドラゴンの鱗は、100年以上買い手の付かなかった死蔵品だ。いつの間にか紛失していたんだよ」


 そう言われるが、ならばカモミールが手渡されたこれは何なのだろう。角度を変えると色合いが変わる、不思議なきらめきをもつ鱗にしか見えないこれは――。


「紛失しても、ギルドの損にはならないということです。大錬金術の素材でこんなにも高価なものは、誰も買わないんですからね。カモミールさんだって、300万ガラムは払えないでしょう」

「まさか……くれるんですか?」

「紛失したと言っているだろう。カモミールさんには娘がいつも世話になっているし、大錬金術は扱っていなくても高名な錬金術師であることは間違いない。そこでひとつ提案なのだが、錬金の現場だけ見せてくれないか」


 ギルド長の目は好奇心に輝いていた。キャリーが常々父親の大錬金術について文句を言っているが、彼にとって大錬金術は廃れていくしかない古いものではなく、現在追いかけているものなのだろう。


「これは私の職権乱用でしかないが、どうか、どうかお願いだ」

「職権乱用……そう、なんですか」


 カモミールは呆然と手の中の木箱に目を落とした。300万ガラムの素材がただになるのはありがたいことだし、ギルド長はその素材を使って錬金する現場を見たいという。

 けれど、テオやヴァージルのことなど、秘密にしたいこともカモミールにはあった。


 少し悩んだが、背に腹はかえられない。ギルド長が知った秘密を言いふらす人間ではないと信じるしかない。


「わかりました。ただ、他言して貰いたくないことも私にはあります。……それだけ守っていただけるなら」

「もちろんだ。私は一錬金術師として、この素材が使われるところを見たいだけなんだから」

「よかったですね、ギルド長」


 職員の男性が笑顔でギルド長の肩を叩いている。彼はギルド長が大錬金術に傾ける情熱を知っていて、話を持って行ってくれたのだろう。


「ご厚意ありがとうございます。ではこれは、いつの間にか紛失していたということで」

「100年以上買われなかった高級素材なんて、保管しておくだけでもお金が掛かりますからね。これでいいんですよ」


 100年以上前に仕入れたときにお金が掛かったのでは、とカモミールは言いかけたが、言葉を出すことはやめた。100年前の損得など、今の誰が気にするというのだろうと思い直したのだ。

 それよりは、ヴァージルの命を救い、ギルド長の知識欲を満たす一助になった方が素材としても価値のあることだろう。


「ありがとうございます。素材が揃って錬金をするときには、ギルド長にもお知らせします。今日か明日か、わかりませんが」

「そうか、予定を空けられるよう、張り切って仕事をしておくことにするよ」


 カモミールの切迫した状況とは対照的に、ギルド長は純粋に嬉しそうだった。それでカモミールの罪悪感も軽くなる。


「よかったですね、カモミールさんも」

「はい、ありがとうございます」


 名前も知らぬ知り合いに頭を下げると、彼は笑顔をカモミールに向けてくれた。


「いつも元気だったカモミールさんが、そんなにやつれてるのを見ちゃったら……いつもみたいに明るく元気で、楽しそうでいてください。私はそういうカモミールさんが好きですよ」

「えっ?」


 彼の言葉の意図を図りかねて思わず聞き返したが、ただ笑顔を浮かべた職員は「お急ぎだったのでは?」とドアを示すばかりだ。

 カモミールもそれ以上のことを尋ねるのはやめ、バッグの中に木箱を滑りこませると急ぎ足でその場を立ち去った。


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