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第137話 彼を救うためなら

 ヴァージルを診察したガストンは、カモミールが見たこともないような難しい顔をしていた。

 エノラの家でヴァージルが使っていた部屋は幸いそのままになっており、今はベッドに寝かされたヴァージルの他に、ガストンとカモミール、そしてテオとエノラがいた。それだけで部屋はいっぱいになっている。


「毒と言っていたな? 私の知る毒の何にも該当しない。血液を少量採取して、より詳しく調べてみるしかないな」

「ねえ、率直に言って欲しいの。ヴァージルはどうなるの?」


 真っ白になった手を握りしめているカモミールの問いかけに、ガストンはヴァージルの腕に注射針を刺して血液を採りながら、しばらく答えなかった。


「正直に言ってやれ」


 やはり厳しい顔をしたテオの一言で、ガストンはゆっくりとカモミールに振り向いた。その顔には口惜しそうな表情がありありと浮かんでいる。


「毒の種類が断定できない以上、はっきりとした診断は下せない。だが、このままでは助からない。

 衰弱も激しいし、白目に黄変が見られるからおそらくは肝臓の機能不全をおこしている。毒ならば他の臓器にも影響を及ぼしている可能性もある。

 外傷がないのでできる治療はいまのところない……せいぜいが、輸液での栄養補給くらいだ。だが、それもどこまで効果があるか。ヴァージルの苦しみを長引かせるだけしかないかもしれない」


 あまりにも暗い見通しに、エノラが顔を覆い、カモミールはその場に崩れ落ちた。気休めではなく率直に言って欲しいと願ったのは自分だが、現実はあまりにも厳しすぎる。


「一度家に帰って、この血液を調べて毒を分析する。――カモミール、彼の延命を望むか?」


 突きつけられた宣告に、カモミールは全身から血が引くのを感じていた。目の前が真っ暗になるとは言うが、本当に視界が暗くなったのは頭から血が下がってしまったせいなのだろう。

 ガストンは、輸液がただの延命措置でしかないことを遠回しに言っている。カモミールが首を横に振れば、彼の命の火は遠からず消えるだろう。


「いやよ……」


 どれだけ泣いたかわからないのに、まだ泣ける自分が不思議だった。今まで重ねてきた後悔に、最も苦い結末を自分で付け加えるのは耐えられない。


「お願い、ガストン。ヴァージルを死なせないで」


 妹弟子の必死の懇願に、以前よりも表情が出やすくなった医師は顔を歪めた。言う方はたやすいだろうが、医師にもできることとできないことがある。


「死なせないということと、治療することとは意味合いが異なる。わかっているな?」

「わかってる! 彼のためになんでもするから、少しでも望みがあるならそれに賭けたいの! お願い、毒を分析して! 解毒の方法があるなら私もできることはやるわ」

「……私の最善を尽くそう。とりあえず輸液の用意をしてくる」


 カモミールの意思を確認し、ガストンは足早にその場を立ち去っていく。ヴァージルの側に付きそうとしたカモミールは、テオに強く肩を引かれた。


「おい、ヴァージルを生かしたいなら、確実な方法がある」

「何? 教えて!」

「エリクサーを作れ。あれなら魔法毒だろうがなんだろうが、問答無用で癒やす。内臓が損傷していようが、まだ心臓が動いてる限り、全快させる力がある。

 ガストンが毒をどこまで分析できるかわからねえ。俺は今の医学については詳しくないからな。だから、もしかするとあっちのアプローチでもヴァージルの命が救える可能性はないわけじゃない。

 でもよ、それは確実じゃねえだろう。間違いなく助けるためにはエリクサーがいる。それを、おまえが作るんだ」


 カモミールがテオの言葉を理解するまで、少しの間があった。一瞬見えたと思った希望の光が消えていくほど辛いものはない。


「無理よ……私は魔力無しなの。ポーションすら作れないのよ? テオなら作れるんでしょう? 材料だったら駆けずり回ってでも探すから、エリクサーを作ってよ!」

「おまえは大事な人間の命がかかってるときに、他人任せで後悔しないのか?」


 テオの冷酷にも聞こえる言葉は、カモミールの心臓を握りつぶすような衝撃を与えてきた。すっと頭の芯が冷えていく。そこに、淡々と語るテオの言葉が滑り込んできて、崩れ落ちそうなカモミールを支えてくれる。


「今の時代の人間にはどうにもならねえエクスポーションと、下位素材から上位素材への錬金とか、手伝いならいくらでもしてやる。だけどよ、自分自身でやらねえと多分一生後悔するぜ。俺が全てを引き受けて間に合わなかったとき、おまえは俺を恨まずにいられるか? 人を恨みながら生きていく辛さを、おまえは十分知ってるんじゃないのか」


 テオの言葉は厳しいが正論だった。自分を恨んで生きるのは辛いが、人を恨み続けるのは更に辛い。

 ヴァージルのためならなんでもすると、ガストンに言ったばかりではないか。毒を受けながらも「最期に君に会いたくて」と命懸けで戻ってきたヴァージルに報いるには、カモミールも不可能と思えることに挑むしかないのだ。

 彼を死なすことがあっても、それをテオのせいにしてはいけない。それはあくまでもカモミールが選んで行動した末の結果でないと、飲み込むことはできないだろう。


 自分は、魔力がないとはいえ錬金術師なのだ。


「やるわ。私がやる。他の人のせいにしない。……だから、テオ、力を貸して」

「わかった。手伝ってやる」


 カモミールの目の中に力が宿ったことを確かめたテオが、その大きな手をカモミールの頭に載せてきた。人間ではないが、その手の温かさは傷だらけのカモミールの心を落ち着かせてくれる。


「エノラさん、ヴァージルをお願いします。私はテオと工房に戻ります」

「ミリーちゃん……頑張ってね」


 エノラに向かって力強く頷き、カモミールは階段を駆け下りる。テオがすぐ後ろに付いてきている足音が心強かった。


 ガストンに任せているだけでは、カモミールができることはほぼ何もない。けれど、エリクサーという目標があれば、動くことができる。


「エリクサーを作るためには4元素の最上位素材とエクスポーション、それに魔女の軟膏が必要だ。魔女の軟膏は前に作った分で足りるし、エクスポーションは俺が作る。問題は、元素の最上位素材だな」


 テオが物凄い勢いで紙に書き付けていくものの名前は、あらかたカモミールが知らないものばかりだ。はっきりと聞いたことがあるのはドラゴンの鱗くらいしかない。


「ドラゴンの鱗は最上位属性なのね」

「ああ、テオドールもそれを採るためにフレイムドラゴンを倒しに行ったんだ。ドラゴンは鱗も心臓も血も格の高い素材なんだが……今は手に入れられないよなあ」


 ドラゴンを初めとする魔物は、マナが少なくなった現代ではこの大陸から姿を消している。それは広く知られている話だ。


「……あるわ、グリーンドラゴンの素材。今ここにはないけど」


 まさか、自分がそれを求めるときが来るなんて思ってもみなかったが、カモミールはグリーンドラゴンの鱗を見たことがあった。今でもグリーンドラゴンの鱗だけは、定期的に出回るのだ。

 隣の大陸にあるレンデガルム帝国には、滅び行く魔物を集めて保護している場所があるという。おそらく最後の一頭であるグリーンドラゴンがそこにいるので、数年に一度の脱皮の際に決まった量の鱗が採れる。


 グリーンドラゴンに限った話だが、各都市の錬金術ギルドにはドラゴンの鱗が1枚ずつはあるはずだった。大錬金術の最上位素材など、現代では扱えるものがいないので死蔵されている。


「あるのか!? よし、これでふたつは確保したも同然だな」

「え? ふたつ?」


 最上位素材のリストを見ながら、カモミールは聞き返していた。知っているものはドラゴンの鱗くらいで、後は聞き覚えも見覚えもないものばかりなのだから。


「カモミールが王都で買ってきてマシューの土産にした鉱石があるだろう。あれが『土の華』だ」

「あっ!? そうか、テオが反応してたから大錬金術に使う素材だとは思ったんだった! 確かに、使い道がないといえばない……まさか、そんなものだったなんて」

「そういうこった。で、グリーンドラゴンの鱗はどこにある?」

「錬金術ギルドよ。誰も使わないから売れ残ってるの」

「明日ギルドが開いたらすぐに行って買ってこい! ついでにマシューから土の華を回収しとけ!」

「わかったわ。緊急だけど、マシュー先生の家を今訪ねるのは無理ね……」


 時刻は既に真夜中だ。気持ちとしては走って行ってマシューを叩き起こしたいが、息子夫婦と同居しているのであまりにも迷惑だろう。


「……明日の朝までにヴァージルが死んじゃったらどうしよう」


 どうしても悪い方に傾く気持ちを止めることができない。カモミールがうなだれると、テオが黙ってお茶を淹れ始めた。

 目の前に出されたお茶は、前にテオが淹れたものと同じだ。爽やかな香りはほんの少しだけ心を軽くしてくれる。


「眠りの魔法を掛けた。俺の使う魔法なんて気休めでしかねえけどな。これを飲んだら10分くらいで眠くなるから、とりあえずおまえは朝まで寝て体力を少しでも回復させろ。明日は忙しいぞ」

「テオ、あなたから見てヴァージルはどのくらいもちそう?」

「今日明日死ぬことはない……と思うぜ。あいつの魔力は強い。魔法毒で死なずにここまで来られたのも、その魔力で抵抗してるからだ。魔力を使えば腹が減るが、輸液が始まればいくらかはマシになるだろうしよ」

「そうか……そういうことなのね。なんでヴァージルって細いのにあんなに食べるんだろうって思ってたけど、あれは魔力の維持だったのか」


 今になって腑に落ちることが次々と出てくる。テオが食べることで魔力を回復していることは知っていたのに、自分はどれだけのことを見落としていたのだろうと思うとまた泣きたくなった。


 今の自分にできることはないが、明日の自分にできることはある。

 カモミールは自分にそう言い聞かせながら、テオの淹れてくれたお茶を飲み干した。


「ねえ、テオ。さっき言ってたことだけど」

「なんだ?」


 エクスポーションを作るためだろう、素材を落ち着いた様子で揃えながらもテオがカモミールの問いかけに答えた。


「自分自身でやらないと一生後悔するって、そういう人を見たことがあるの?」

「そうだな……ここには長い間にいろんな奴がいたからよ」


 カモミールは改めて、推定築1000年の古い工房を見回した。

 この工房で様々な人々の想いが降り積もって、テオは魔力のないカモミールにも見える精霊になった。

 この工房にかつていた錬金術師は、戦争を引き起こす切っ掛けになった。

 そして、敗北した隣国は、約300年が経っても諦めることなく、ヴァージルという間諜を送り込んでいた。

 そのヴァージルが、魔法を使ってまでカモミールのためにと力を尽くした結果、今ここはカモミールの工房になっている。


 テオの助力でヴァージルの命が救えるかもしれない。それはどんな巡り合わせなのだろう。自分とヴァージルとテオ、誰が欠けても成り立たないのだ。


「ありがとう、テオ。テオがああ言ってくれたから目が覚めたわ。テオがいなかったら、何もかも諦めるしかなかったかもしれない」


 目の前に錬金術の申し子がいる奇跡。そして齢1000歳の精霊の言葉は説得力がある。

 必ずヴァージルを助けてみせる。

 そう決心しながら、カモミールはエノラの家へと戻っていった。


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