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第131話 告白

 カモミールの暗い表情と重い声に、ヴァージルは笑顔を消した。目に心配の色を浮かべてこちらに歩み寄り、足下にしゃがんで覗き込んでくるのは体調をおもんばかっての事だろう。


「ミリー、何かあった? もしかして、また頭痛が起きた?」


 彼の声はあくまでもカモミールを心配するもので、それが今のカモミールには余計に辛い。

 彼が保身に走って誤魔化してくれたら、どんなに良かっただろう。


「……村でよく一緒に遊んでた、私と同い年のエドナが結婚したんだって」

「エドナが? それはおめでたいね。でも、それが……」

「あなた、エドナの髪と目の色を言える?」


 一瞬笑顔に戻りかけたヴァージルが、カモミールの一言で真顔になる。完全に表情が消えたヴァージルの顔は見たことがなかった。概ねにこにことしているが、彼は表情豊かな方だ。

 やはり、とカモミールは確信した。苦しみや愛しさという今まで抱えていた様々な想いが、鋭い詰問になってあふれ出す。


「村の事なんて本当は知らないのよね。私たちが初めて会ったのはカールセンに来てからだもの。――ねえ、私の記憶を消していたのは、恋人じゃなくて友達同士の方がずっと一緒にいられるからだったんでしょう? じゃあ、私に近付いたのは何故?」

「ミリー……思い出したんだね、全部」

「エドナの結婚の話になって、相手がジルバードだって言われて……私が川に落ちたとき一緒だったのは、お兄ちゃんとエドナとジルバードだったって。あなたのことは、みんな名前しか知らなかったわ。私が当たり前に名前を出すけど、カールセンでの友達だと思ってたって。そうしたら、全部記憶が蘇ったの。

 ジョナス様に求婚された日にあなたと話していて頭痛が起きて記憶を消されたのは、私が告白したからだわ。……侯爵邸で頭痛のせいで倒れる前に考えていたのはあなたのことだった。私の頭痛は、全部ヴァージルへの想いが引き金になっていた」

「やっぱり……そうなんだね」


 ヴァージルは床に視線を落とすとくたりと膝をつく。うなだれているので表情はよく見えないが、彼の声には諦めのようなものが滲んでいた。


「ごめん、ミリー。君が今まで苦しめられていた頭痛は、僕が魔法を使ったせいだよ。テオにも言われたんだ、拒否反応でもっと酷くなっていくって。僕は知らなかったけど、テオはこれが禁呪と言っていた。――そうだよね、テオ」

「少なくとも魔法使いが世界の表にいた時代では、記憶や精神を操るような魔法は禁呪だった。掛けられた側の負担がでかいからな。自我を押し込めるってのは、それだけとんでもねえことなんだよ」


 魔法を掛けて操ろうとした者と、操られた者――それも恋人同士の断罪の場面に遭遇しながら、テオは冷静だった。彼は様々な人間を見てきてはいるが、ここはあくまで工房で仕事の場だから、恋愛感情には理解が乏しいのだろう。


「わからないわ、そんな魔法を使ってまで、どうして私に」


 夏なのに寒気がする。急に冷たくなった手を握りしめ、歯が鳴るほど震えながらカモミールは問いかけた。しばらく黙っていたヴァージルは、蒼白な顔でふらりと立ち上がる。

 悲しそうなのにいつものように口元だけは微笑んでいて、その痛々しさにカモミールの胸は引き裂かれるような痛みを憶えた。


「全部話すよ。長くなるかもしれないけど、聞いてくれる?」


 聞いちゃいけない、聞いたら全て終わりになる。そう思う気持ちがカモミールの胸の奥で警鐘を鳴らしていたが、それは重い塊に押しつぶされたように沈黙していく。カモミールが少し迷ってから頷くと、ヴァージルは力なく微笑んだ。


「僕の名前はヴァージルじゃない。……でも、本当の名前なんてわからないし、もしかするとないかもしれない。僕が物心つく前に、精霊眼を持っていることに気づいた親が僕を裏ギルドの魔法使いに売ったんだ。

 これも、本当の事かどうかわからない。僕が後から聞かされたことだから」


 淡々とヴァージルが話し始めたことの内容に酷いと叫びそうになり、カモミールはぐっとその言葉を飲み込んだ。本当に酷いのは、彼にこんな告白をさせている自分なのだから。


「魔法使いはどんどん力が弱くなっていってるけど、僕は精霊眼のせいか魔力が飛び抜けて高かった。僕が教えられたのは、人の精神を操って偽物の記憶を刷り込む魔法と、特定の記憶を封じる魔法だったよ。そんな僕の最初の『仕事』は、エドマンド男爵家に養子として入ることだった。

 それまで自分の年齢も知らなかったし、名無しだったけど、そこで僕は『5歳のトニー』として暮らすことになった」

「まさか、イヴォンヌ様が言っていたのは」

「そう、僕のこと。お姉様――いや、イヴォンヌ様は弟の僕をとても可愛がってくれた。お父様もお母様も、養子の僕に本物の愛情を注いでくれた。それまで愛情なんて向けられたことがなかったから、あの家で過ごした2年間はとても幸せだったよ。

 でも、お母様が産んだ子が女の子で、その時に体を壊してこどもが産めなくなって……そのままエドマンド男爵家に居続けたら、僕が家督を継ぐことになってしまう。それでは不都合だったんだ。僕に与えられた役割は、『嫡男の弟を支えて、自分はある程度自由に動ける養子の兄』だったからね。計画の続行を断念されて、僕はエドマンド家を去ることになった。元々偽物だった書類は全てギルドが始末して、僕は大好きな家族の記憶を封じて……」

「イヴォンヌ様にまで魔法を使っていたの!? あの時イヴォンヌ様が倒れたのも、あなたの魔法のせいだったの!?」


 悲鳴のような声でカモミールは叫んでいた。

 自分ひとりなら良かった。まだ許せるかもしれない余地はあった。

 けれど、カモミールにとっての大事な人でもあるイヴォンヌまでもが関わっていたらもう駄目だ。あの日、目の前で彼女が倒れたときの衝撃と心配を忘れることはできない。


「僕が、もっとうまくやれていたら……完全に記憶を消せて、思い出すことがないようにできていれば、お姉様を長い間苦しませることはなかったのに」

「そういう事じゃないわ! 人の記憶を、大事な思い出を消したり、嘘を刷り込んでるほうがおかしいのよ! 何が目的でそんなことをしてるの!?」


 立ち上がったカモミールを、ヴァージルが見上げる。激昂したカモミールと対照的に、彼の表情は凪いでいた。


「隣国ゼルストラで僕は生まれて育った。ゼルストラの裏ギルドの目的は、前回の戦争で一番の敵であったジェンキンス侯爵家との内通――ジェンキンス侯爵家の弱みを探り出して、それを握って寝返らせること。

 エドマンド家に狙いを定めたのは、あの家の家督を継がない男子ならジェンキンス家の家令にもなれるから。その次は出入りの宝飾店お抱えの職人の弟子にもなった。その時の名前はジャックだったよ。うまくいきそうだったんだけど、ふとしたことから師匠が酒浸りになっちゃって、そこも先がなくなった。

 君に近付いたのは、侯爵家が化粧品の領外への販売に力を入れ始めたからだ。ミラヴィアの制作者と繋がって侯爵家との繋ぎの役目を手に入れる。あわよくば御用商人でもあるクリスティンの内部に入り込む。そうしたらオーナーを操って侯爵家の担当になればいい。……そこまではうまくいったけど。

 僕は、ゼルストラの間諜なんだ」


 一市民のカモミールが思っても見なかったようなことが、愛する人の口から聞かされた。

 話が大きすぎて理解が及ばない。意識が真っ黒に塗りつぶされそうになる中、一欠片の冷静なままの自分が「腑に落ちたわ」と呟いた。

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