カールセンに着いたのは昼過ぎだった。今日は休みを貰っているが、ハーブを引き上げなければならないので工房へ行ってテオに声を掛ける。
ふたりで運べば、やらなければいけないことはあっという間に終わる。
兄は気遣わしげな視線を投げかけながら、体に気を付けるようにと言って去って行く。
結局、エドナとジルバードに結婚祝いをしに行くどころではなくなってしまい、化粧水を持たせる必要がなかったのが幸いだった。
そのままなんとなくカモミールは工房に居座った。
ひとりになるのが怖かった。きっとひとりになった瞬間から、悪い考えがカモミールの全てを捕らえてしまう。今は、何も考えずに手を動かしているのが一番楽なのだ。
本来休みのはずのカモミールが仕事をしているのをキャリーは訝しげに見ていたが、彼女の表情が暗いことで何かを察したのだろう。理由を問うこともせず、敢えていつも通りに振る舞ってくれるのがありがたい。
「じゃあ、私は帰りますね。カモミールさん……辛いときには、甘いものを食べて寝てしまうに限りますよ!」
「そうね……ありがとう」
夕刻を告げる教会の鐘で、帰り支度をしたキャリーが立ち上がり、カモミールの手を取った。半日様子を見てはいたが、帰る時にはさすがに何か言わないといけないと思ったのだろう。
キャリーの言う通りだ。何か美味しいものを食べて気分を変え、寝てしまうのが一番いい。例えば、一昨日行った店の――。
「ちょっ……カモミールさん、何があったんですか? 聞くだけだったら聞きますよ? 力になれる事かどうかはわかりませんけど」
一昨日ガストンがマリアにプロポーズした店を思い出したら、それは自然とヴァージルとの思い出にも繋がってしまった。彼のことを考えたら涙がこぼれてしまい、急に泣き出したカモミールにキャリーはあたふたとしている。
「なんて説明したらいいかわからない……」
「ああ……じゃあ無理に説明しなくてもいいです。泣いて楽になるなら泣いてください。ここにいますから」
迷子になったこどものようにしゃくり上げて泣き続けるカモミールを、キャリーがぎゅっと胸に抱きしめてくれた。いつも冷静で厳しめな言葉が多いキャリーだが、そうして貰えると温かさとカモミールを心配している気持ちが伝わってきて、余計涙が止まらなくなる。
「キャリーさんは、どうして私に優しくしてくれるの?」
少し落ち着いて泣き止むことができてからそう聞くと、キャリーは一瞬目を見開いてから、口の端を上げて軽く笑った。
「そりゃ、私はここの従業員で、カモミールさんがちゃんとお仕事してくれないと収入がなくなっちゃいますし……。てのもありますけど、私はあなたのこと結構好きですから。仕事がなくても友達だとは思ってますし、普段明るいのが取り柄の人がそんな風にしてたら心配するに決まってるじゃないですか」
「私のことが心配……ねえ、キャリーさんは私に嘘をつける?」
「嘘、ですか? そりゃまあ、必要とあらば。でも今のところ、カモミールさんに対して嘘をつかなきゃいけないようなことはありませんね」
「つけるのね……そうか、それもそうね……私だってテオのことでいろんな人に隠し事をしてるんだわ」
「聞いてますか、テオさん。カモミールさんに心労掛けてますよ」
「あぁ?」
我関せずという顔で化粧水を作っていたテオは、急に話を振られて機嫌の悪そうな声で返事をした。
「いや、俺の場合は貢献度の方が高いと思うぜ?」
「それはそう。ポーションのことも魔女の軟膏のこともあるし、確かに人に事情を説明しにくい存在だけど、テオがいてくれて良かったと思ってるわ。……キャリーさん、ありがとう。もう大丈夫よ」
キャリーでも「必要とあらば」嘘をつくと言われて、ようやくカモミールは心が定まった。とにかく、ヴァージルに話を聞かなければならないと。
弱々しくはあるがいくらか持ち直したようなカモミールに、キャリーは「とにかく寝るのが一番ですよ」と釘を刺して帰宅していった。
「ねえ、テオ。テオは私に隠してることとか嘘をついてることとかある?」
「あるぞ」
「あるんだ」
あっさりと答えたテオに、逆にカモミールが動揺してしまう。そして、テオが隠さなければいけないことは何なのかが気になった。
「私はテオに隠してることとかないけど……精霊って隠し事とかできるのね。聞いて自分で驚いちゃった」
「隠してるって言うのは、知ってるけども敢えて口に出してないことだろ? そんなもんいくらでもある。理由は、単に聞かれないからだったり、それを言うことで誰も得をしなかったりとか、そういうことだ。
ただ――俺は嘘はつかねえし、俺の主人であるカモミールを傷つけるようなことはしない」
「テオって私のことを主人だと思ってたのね……。待って、もしかしてテオは、ヴァージルが私の記憶を消してたことを知ってたんじゃないの?」
妙に改まった態度のテオに引っかかり、カモミールは過去にこの工房でヴァージルに記憶を消されたときのことを思い出した。それをテオは見ていたはずなのだ。
カモミールに問いただされ、テオは手を止めると普段の彼が見せないような苦悩に満ちた表情で頷いた。これが「知っていても敢えて言わないこと」だったのかと、腑に落ちる。
「なんで? それは私を傷つけることじゃないの?」
気持ちが昂ぶるままに責める口調をテオにぶつけると、テオはゆっくりと首を振ってそれを否定する。
「あいつの使う魔法が、カモミールの体に負担を掛けることはその時わかった。かなり拒否反応が強く出てたから、ヴァージルにはもうやめろと言った。俺の主人を害するなら止めるとも言った。
……だけどよ、あいつはおまえを傷つけようとしてやってんじゃないんだよな。カモミールを傷つけないようにと思ってやってんだよ。本末転倒だけども。
あいつはあいつで魔法使いとしてこの時代にそぐわない力を持って生まれちまって、そのせいで苦しい思いをしてる。
俺がおまえに本当のことを言って、誰が得をした? ヴァージルは余計に苦しんで、おまえも苦しんで、何もいいことなんかありゃしないだろう」
「知ってたのね……やっぱり、ヴァージルは魔法使いだったの」
心の中がぐちゃぐちゃになっていくのを感じる。今まで何度も倒れたほどの頭痛や、ヴァージルが自分を騙していたという事実はカモミールの心をささくれ立たせ、理不尽な怒りが湧いてくる。
それと同時に、あまり人の心を斟酌しないテオですら、ヴァージルが苦しんでいたことと、真実を教えればカモミールが苦しむこととを懸念したという事実。――それだけ、ヴァージルはカモミールの記憶を封じ、「友達で居続ける」ために苦しんだということだ。
こうして恋人になってしまったら、もしカモミールが真実を知ったとき何倍も苦しむだろうということを心配したのだろう。そして彼もまた、愛するカモミールを恋人として手に入れた後で、それを失うことは辛いことだと判断したのだ。
それは、わかる気がする。けれど――。
「ミリー、こっちにいたんだ。お帰り、村はどうだった?」
今日は休みのはずなのに、カモミールが家にいないので工房を覗きに来たのだろう。仕事から帰ったヴァージルがいつもの様子でカモミールに話し掛けてくる。
優しくて、それが行き過ぎて過保護で、いつでも自分を一番に考えてくれる幼馴染みの恋人。いや、幼馴染みは偽りだったが、彼が恋人であるのは間違いない。
「ヴァージル、訊きたいことがあるの」
彼がどう答えたら、自分は許せるのだろうか。
それがわからないまま、カモミールは重い声でヴァージルに声を掛けた。