食事の終わりにはデザートと紅茶が出た。ガストンとマリアはあまりこういう店でケーキを食べる機会がなかったらしく、ケーキを選ぶのに戸惑っている。
ヴァージルは甘いものが嫌いなわけではないが、テオやカモミールのように好むほどではない。ガストンはあまり好んでは甘いものを食べない。
自分用にはヨーグルトムースを選んだが、ここは選んであげるべきなのかと考えていると、馴染みのある香りが鼻腔をくすぐった。爽やかさも含んだ華やかな香りは、クイーンアナスタシアのもので間違いない。
王都でも今流行しているそうだから、この店でもそれを選んだのだろう。
「紅茶はクイーンアナスタシアですよね?」
ケーキの見本を運んできている店員に尋ねると、給仕役の店員はにこりと笑って頷いた。
「はい、今話題になっている茶葉ですので、ご用意いたしました」
「なるほど。ちょうどよかったわ」
クイーンアナスタシアはミルクティーで飲むのが美味しいとカモミールは思っているが、深みのある渋さが特徴でもある。甘いケーキに合わせるならストレートで飲めば良いし、さっぱりとしたケーキとならミルクティーで飲めば良いだろう。
「大丈夫よ、何を頼んでも、お茶で調節すればいいわ。ケーキを甘く感じたら紅茶はそのまま飲めばいいし、そうでなかったらミルクティーにするといい茶葉なの」
「カモミールさんは紅茶にも詳しいの?」
「いえ、このお茶だけ。クリスティンさんと侯爵夫人がお好きなの。だから、お呼ばれするとクイーンアナスタシアが出ることが多くて。
初めて飲んだときは渋みが強くて苦手だなと思ったけど、ミルクを入れると全然違った感じになるの。普段はハーブティーを飲むけど、この紅茶は好きよ」
カモミールの説明に店員は頷き、マリアとガストンは興味深そうに頷いている。
結局マリアがサバランを、ガストンがチョコレートケーキを頼んだ。ヴァージルは随分と悩んでいたので、カモミールがレアチーズケーキを選ぶ。
「マリアさんはお酒好きなんですか?」
カモミールが酒好きなのは知っていても、マリアのイメージと酒を飲みそうな印象が結びつかなかったのだろう。ヴァージルがマリアにそう尋ねている。
食事中もマリアはそれなりにワインを飲んではいたが、カモミールやヴァージルよりは少なかった。
「好きなお酒と苦手なお酒がはっきり分かれてるんです。ビールみたいな苦いお酒は苦手ですけど、オレンジリキュールのケーキなら美味しそうと思って。多分ミルクティーにも合いそうですし」
少し恥ずかしそうにしているところが、同性のカモミールから見ても可愛らしい。そしてマリアに言われて、確かにサバランはミルクティーに合いそうだと気づく。繊細そうなマリアらしい、想像力豊かな着眼点である。
そして、やはりそれは正解だったようだ。ヴァージルとマリアはミルクを入れずに飲んだクイーンアナスタシアの渋みに驚き、ミルクを入れて花のように変化した香りにもう一度驚いていた。ガストンは侯爵と同じようにこの渋みがいいらしく、チョコレートケーキを食べながら紅茶を味わっていた。
デザートが食べ終わった頃、ヴァージルがドアを開けて外で待機していた給仕に何事かを告げていた。さほど待つこともなくドアがノックされ、今度はガストンがそれに応じるために出て行く。
戻ってきたガストンは、マリアやカモミールならば両手でないと抱えられないような大きさの花束を持っていた。その花束を抱いてマリアに歩み寄り、跪いてそれを差し出す。
「今日という大切な日の記念に、これを受け取ってください」
「わあ……」
思わず声を上げてしまったのはカモミールの方だ。あまりにもガストンの行動がカモミールの知る彼とはかけ離れていて、驚くばかりである。
一方マリアは、驚きすぎてしまっているのか、声も出せない様子だ。
「マリアさん」
「は、はいっ! あの……ありがとうございます。なんだか夢みたいで……明日になったら全て消えていたらどうしようと思ってしまって」
「夢じゃありませんよ」
ガストンに呼びかけられ、マリアが細い腕を伸ばして花束を受け取った。ピンク色を中心にした様々な花で作られた花束は、優しい色合いで甘い香りが漂う。おそらくガストンの中では、マリアはこういう花々のイメージなのだろう。
「いい香り……とても素敵です。ガストン先生、ありがとうございます」
花束に顔を埋めるようにして香りを嗅ぎ、マリアは夢見るような瞳をガストンに向けた。ガストンは優しく微笑み、彼女に向かって手を伸ばす。
何のことか分からない様子ながらもマリアがガストンの手に手を載せると、ガストンはそのまま驚くようなことを口にした。
「私と結婚して頂けませんか」
「えっ、はや……」
早すぎると叫ぼうとしたカモミールの口をヴァージルの手が塞ぐ。そしてカモミールは、どうやらガストンとヴァージルがこの段取りをあらかじめ立てていたようだと気づいた。
ヴァージルはカモミールの行動を予想していたから、素早く口を塞ぐことができたのだろう。
カモミールとヴァージルが息を詰めて見守る中、マリアは小さなピンク色のバラが花開くように満開の笑顔を浮かべた。
「……はい。これからずっと、よろしくお願いします」
「よかった!」
思わずカモミールが涙すると、間近で曲が流れ始めた。ふとドアを見れば、薄く開いているドアから僅かに楽器が見えた。
店を予約したのはカモミールだが、ガストンが花を手配して、ヴァージルが店に話を通したのだろうと予測する。もしかするとふたり一緒に下見に来たのかもしれない。でなければ、こんな演出はできないだろうから。
「おめでとうございます!」
先程ケーキを運んできた給仕が、心から嬉しそうな笑顔で祝福をしている。ガストンは見たこともないような笑顔で彼に近付き、握手をしていた。
個室前での演奏という普段見ないサービスに、すぐに店内がざわつき始める。マリアは少し躊躇う様子を見せたが、ガストンはマリアの手を取って部屋から出ようとする。
「大丈夫ですよ、あなたはとても綺麗です。堂々と降りて行きましょう」
その一言でマリアに魔法を掛けたガストンは、階段を降りながら階下の人々に手を振った。
「プロポーズが成功したらしいよ」
「個室で楽団を呼んでプロポーズしたの? 素敵ね!」
「凄い花束だわ、私もあんなのを貰ってみたい」
「よくやったな、おめでとう! 末永く幸せに!」
幸せそうなふたりに、たまたま居合わせただけの気のよい人々は、惜しみなく拍手と祝福の言葉を浴びせてくれた。
カモミールが個室で会計を済ませてから降りて行くと、この店に来るときよりも親密に腕を組んだふたりが外で待っていた。
こんなガストンを見る日が来るとは思わなかったし、出会ったときのマリアから今のマリアは想像できない。けれどそれを心から嬉しく思いながら、カモミールはバックから小さめの包みを取り出す。
「これは、私からマリアさんへプレゼント。今日使ったのと同じ化粧品です。化粧水と化粧下地とクリーム白粉だけだけど」
「そんな、いろいろして貰ってプレゼントまで……」
サテンのリボンが掛けられた包みに、マリアは驚いて遠慮をする。その腕にカモミールは無理矢理包みを押し込んだ。
「マリアさん、私は15歳でカールセンにやってきて、ガストンのお母様であるロクサーヌ先生に弟子入りして同じ家で5年暮らしました。いわば、ガストンは私にとっては兄代わりなんです。
自分の気持ちを表すのが下手くそで、頭は良いのに気は回らなくて、厄介な人だけど――兄を、よろしくお願いします。私は女性に幸せを運ぶヴィアローズの制作者として、そして妹として、姉になるあなたにこれを受け取って欲しいのです。
なーんていうのは建前で、実はガストンのことは正直割とどうでも良いの! マリアさんがお姉さんだったらいいなっていうのは、本気で思ってるけど。うちのお姉ちゃんはこんなに優しくないですし!」
ガストンが途中から「何を言っているんだこいつは」という微妙な顔をし始めたので、思いっきり舌を出してみせる。途端に彼は苦虫を噛み潰したようになった。
「カモミールさんったら……そうね、私もこんなに頼りになる妹がいたらとても嬉しい。兄弟はいないから、妹ができるのはとても素敵な事ね」
「やった! 化粧水はちゃんと毎日朝の洗顔後と入浴後に付けてくださいね。足りなくなったらガストンが買ってくれますよ。それと、時々はそれでお化粧をして、ふたりで外出でもしてください」
本当に大事なのは、この中に入っている魔女の軟膏が配合された下地クリームをマリアが使うことだ。カモミールが念押しすると、マリアは何度も頷いた。
「自分に自信を持てるようになりたいから、毎日手を掛けて、お化粧も勉強します」
「わからないことがあったらミリーに聞いてください。僕でもいいですけど、ガストンさんがやきもちを焼くかもしれませんから」
「ヴァージル……君までそんな事を言うのか」
ガストンが苦い顔のままでため息をつく。マリアはクスクスと笑うと、甘い声でガストンに向かって囁いた。
「ガストン先生は、私のためにやきもちを焼いてくれますか?」
「やきもちは……します。当たり前です。今も正直、綺麗すぎるあなたに他の男が声を掛けるかもしれないと思って警戒しているくらいです」
「そんなこと、思ってもみませんでした」
ふたりがすぐに自分たちの世界にひたってしまうので、カモミールはヴァージルの袖を引きながら別れの挨拶をすることにした。
「それじゃあ、私たちはここで。後はふたりでゆっくり話してね」
「カモミール、ヴァージル、ふたりには本当に世話になった。ありがとう。おまえたちも幸せにな」
「おふたりとも、これからも私たちと仲良くしてくださいね。今日のことは一生忘れません」
「僕たちにとっても素敵な夜になりましたよ。では、また」
再会を約束して、2組の恋人たちはそこで別れた。カモミールは差し出されたヴァージルの腕に自分の腕を絡め、ガストンとマリアが見送る中で家路につく。
カールセンは夏でもそれほど暑くなく、夜になれば爽やかな風が吹く。それを心地よく思いながら、カモミールは店でのことを聞いてみることにした。
「あの花束って、やっぱりヴァージルの入れ知恵?」
「ううん、ミリーがガストンさんに『店で花束持って待ってろ』って言ったって聞いたよ?
ガストンさんから相談されたから、店と花屋に相談して事前に花束を手配すればいいって説明はしたけど。花束はガストンさんが自分で頼みに行ったし、僕は店に案内したくらいかな。こうしたいって言うのは聞いてたから、手助けはしたけどね」
ヴァージルの答えに、そういえば自分がガストンにそんなことも言ったかと思い出す。そして改めて思うのは、ヴァージルが優しいと言うことだ。
彼はとても優しい。優しいけれど――。
魔法を使ったことを誤魔化すために、誰かに消された記憶。――どんな記憶が消されたのかはわからない。
ひとつだけ引っかかったのは、「忘れていたことを思い出した記憶がある」ことだ。
ヴァージルに告白し、そして断られたことをカモミールは一時憶えていなかった。それを思い出したのはヴァージルの方から劇場で愛の告白をされたときだった。
消されていた記憶と関係するかはわからないが、心当たりはそれしかない。
「ミリー、どうかした?」
思考に沈んでしまって立ち止まったカモミールを、心配そうにヴァージルが覗き込んでくる。
ヴァージルはいつでも優しくて、言葉にも態度にも「愛してる」とたくさん表してくれるから、愛されていることを毎日実感できる。
だから、彼が自分に何かをしたとは思えない。――思いたくはない。
「ううん、なんでもない。帰りましょ」
泡のように浮かび上がった不安を胸の奥に押し込めつつ、カモミールは恋人に笑いかけた。