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第120話 マリアの本心

 カモミールはマリアが選んでくれた服を買った。彼女が言うとおり、レースのリボンをあしらうだけで華やかになるし、別のリボンで楽しむこともできるからだ。


 何点か服を選ばせていくことで、マリアの好みも大体把握できた。彼女は柄物よりもコルセットやボタンなどの飾りがシンプルに付いた、品の良い傾向の服が好きだ。色は暗めを選びがちだが、それはやはり自分への自信のなさが関係しているように見える。

 そして、フリルよりはレースが好きで、精緻に編まれたレースなどはうっとりとため息をついて見ていた。やはり年頃の女性らしく、着るか着ないかは別としても綺麗なものに憧れるのだろう。


「やっぱりマリアさんと一緒に来て良かった! 私だったらこの組み合わせは思いつかなかったもの。タマラもこの色は避けるでしょ」

「だってこの色、一歩間違うと地味なのよ。でもレースを胸元で結ぶから、合格! あー、久々に楽しかったわ!」

「カモミールさんに喜んでもらえて良かった。……お友達と服を選ぶのって、こんなに楽しいのね。あ、勝手に友達だなんて言ってごめんなさい。私、友達らしい友達があまりいなくて、こういう事に無縁だったから」

「ううん、お友達って言ってもらえて嬉しいですよ! 友達はいくらいてもいいですもん! ほら、私は化粧品を作ってるでしょう? だから、いろんな意見を聞くために相談できる相手はいろんなタイプの人がいると助かるの。

 またお休みの日とかに一緒に街歩きしましょう? 時々、鉱石を探しに裏通りの露店を見て回ったりもするんだけど、鉱石だけじゃなくて珍しい物もあったりして見てるだけでも楽しいですよ」


 カモミールが誘うと、マリアははにかみながらも頷いた。

 服を選んでいる最中、首尾良く靴のサイズも確認済みである。

 だが、やはりマリアもヒールのある靴は履いたことがないらしく、それは避けた方が良いだろうとカモミールは思った。


 通りを歩きながら、カモミールはヴィアローズのことを話した。マリアはヴィアローズのことは知らなかったが、化粧品の話は興味深そうに聞いている。


「それでね、私の鼻の上、そばかすがあるのわかります?」

「ええ、でもかなり薄いから言われないとわからないですよ」


 昨日魔女の軟膏を塗ったそばかすがどうなっているのか、今朝カモミールも鏡で確認済みだ。確実に薄くなっていたので手応えを感じる。


「実はね……」


 そこで声を潜めてトーンを落とすと、タマラだけではなくマリアも耳を寄せてくれた。


「うちの化粧水、ポーションを入れてるんですけど、開発段階からずっと使っていたら薄くなってきたんですよ」


 嘘ではない。実際に、ポーションでもそばかすが僅かではあるが薄くなった。だが、今のレベルまで薄くなったのは魔女の軟膏のおかげだ。


「ちょっとポーションの濃度を上げたら、マリアさんの傷痕にも効くかもしれません」

「この傷痕に、化粧水が?」


 以前カモミールは彼女に解決法を探すと言ったが、それが薬ではなく化粧水であることに戸惑ったのだろう。

 カモミールは頷きながら、肌の新陳代謝について簡単にマリアに説明をした。

 色素沈着が起きているのは、肌の奥で色素が出続けているからだ。肌の機能を正常に戻すことで、色素の生成を抑え、シミやそばかす、そしてマリアの傷痕のようなものも新陳代謝で徐々に薄くすることができる。


 ――それは魔女の軟膏の効果であるが、マリアに化粧水のことを印象付けておかなければならない。そばかすがここまで薄くなるまでには、2ヶ月以上掛かったということもさりげなく混ぜておく。


「凄い……錬金術師ってそんなものまで作れるんですね。お医者様でも消せない私の傷を、もしかすると薄くできるかもしれないなんて。でも、私に手が出せるものかどうか」

「見てみます? この先にクリスティンっていう化粧品店があって、私はそこに卸しているんですよ。私のモットーとしては、華麗に装わないといけない貴族と違って、私たち庶民は素肌が綺麗でいれば無理にお化粧をしなくても良いかなと思ってて。だから、化粧水は庶民でも手に取れる値段で出しているつもりです」


 マリアの目の奥に迷いがあるのがカモミールにはわかった。

 昨日ガストンと話してわかったことだが、マリアは極端に散財を恐れているという。マリアの父の話では、店は今は安定しており、マリアの働きもあって生活も多少の余裕がある。

 けれど、怪我を負ったとき、家計が切迫していたがために十分な治療を受けられなかったことが心の傷になっているだろう。マリアはまるでかつてのカモミールのように、金を使うことに臆病――言い換えれば、ケチである。


 病気になった父の治療などには金を惜しまなかったそうなので、使い道が極めて狭められているのだろう。とにかく自分の価値を低く見るせいか、自分に関して金を使いたがらないようだ。


 おそらく、マリアは恐れているのだろう。自分が贅沢品である化粧品を欲しがってしまうことを。

 自分の見た目では似合わないと、そういった欲を抑えて生きてきたに違いない。それがおしゃれからも彼女を遠ざけた。けれど、今日カモミールとタマラはそれを揺らしたのだ。

 彼女自身に金を使わせることなく、買い物の楽しみだけを味あわせた。そして、マリアは「楽しい」と感じてしまった――だからこそ、揺らいでいる。


「行ってみません? クリスティンに」


 カモミールは答えを出せないでいるマリアに、もう一度誘いを掛けた。


「で、でも、そんなお店に私は場違いじゃないかなって……」


 ――また、「場違い」が出た。カモミールは内心で嘆息する。

 ならば、もう少し強引な方法で連れて行くしかない。


「私の恋人がクリスティンで働いてるんですよ。ちょっと顔を見ていきたいな、なんて」


 口実としてヴァージルを使うかもしれないとは、朝の内に了承済みである。

 ヴァージルは昨日のうちにガストンに謝罪し、ガストンもそれを受け入れた。そればかりか、カモミールが立てた今回の計画にも快く協力してくれた。

 マリアはカモミールの買い物に付き合っているつもりだろうが、全てはマリアを中心に動いている。もちろん、彼女はそれに気づいてはいないし、気づかせるわけにもいかない。


「えっ、恋人がいるんですか? ……ふふっ、それじゃあ、行きたくなるのもしょうがないですね」


 マリアが小さく笑う。彼女もガストンに恋をしているのだから、いつでも愛する人の顔を見たくなる気持ちはわかるのだろう。まるで、「仕方のない妹」を微笑ましく見守る姉のような目をカモミールに向けてくる。


「よかった! ついでに売り上げのことも聞いちゃおうっと。タマラもいい?」

「もちろんよー。『真珠の夢』の実物をまだ見てなかったのよね! せっかくこの前ミリーの工房に行ったのに、忘れてたわ」


 わざとらしくタマラが肩をすくめてみせるが、丸ごと嘘だ。王都でのお披露目会の前に、タマラはヴィアローズの全ての商品を確認している。

 マリアから見ておしゃれに見えるであろうタマラが商品に興味を示してみせれば、きっとマリアも乗ってくる。カモミールとタマラはマリアを迎えに行く前にそう打ち合わせてある。そして、その予想は当たった。


「真珠の夢? それはどういう商品なんですか? 素敵な名前ね」

「うふふ、材料はバラの花に宿った朝露と、恋をする乙女の夢でできておりますの。――なーんて。材料は秘密ですけど、白粉の上から付けるきらきらした粉なんですよ。

 ヴィアローズは王都のクリスティンでお披露目会をしたんですけど、真珠の夢の名付けをしてくださった侯爵夫人が、私に『お客様に夢を見せるために妖精として振る舞え』なんて言って大変だったんです」

「王都でお披露目会を? それに侯爵夫人も関わっていらっしゃるの? カモミールさん、凄いわ」

「ありがとうございます。ロクサーヌ先生が亡くなって独り立ちしてから、凄い頑張ったんですよ。……最初は、なんでこんなに早く先生が亡くなってしまったんだろうなんて、後ろ向きなことも思ったりしましたけど」


 明るく笑ってみせるカモミールに、マリアは目を見開き、細い指を組むと僅かに俯いた。


「カモミールさんは、自信があって羨ましい……。だから、恋人もいるんですね」

「だって私、明るくて元気なのが取り柄ですから。恋人にも『僕の太陽』なんて言われてるし。きゃー!」

「えっ、ヴァージルってばそんなのろけ方するの? なかなかやるわね、あいつ」

「太陽……確かにカモミールさんは、力強くて眩しい夏の太陽みたい。……私の太陽は、きっと冬の太陽。凍えそうなときに手を伸ばしたら、じんわりと温めてくれるような」

「えっ、ガストンが太陽? ないない! どっちかというとあの老け顔は、ただの曇った窓ガラスね」


 ささやかながらも自分の胸の内の思いを表したマリアに、タマラが容赦なく彼女なりのガストン評を突きつけた。それにカモミールも頷く。


「冬のイメージは凄くわかるけど、私にはとても太陽には思えないー。マリアさんって、あいつのことをそんな風に思えるくらい恋に落ちてるんですね」


 ガストンのことだと言っていないのに、ふたりには看破されたのがマリアは相当恥ずかしかったようだ。顔を覆ってしまっている。


「えっ、えっ? 私、ガストン先生のことだなんて言ってないのに……でも、私にとっては凄く優しい人なんです……」

「そりゃそうですよ……ガストンだってマリアさんのことが好きなんですから。そうじゃなきゃ優しくしないですよ。私が5年一緒に住んでて、片手で数えられるくらいしか笑った顔見たことないくらいなんですからね」

「笑った顔を、見たことがない……?」


 自分の中のガストンと、カモミールの視点からのガストンがあまりに乖離しているせいか、マリアが悩み始めた。だが、カモミールにとってはそれでいい。

 マリアには、自分がガストンにとって特別な人間だと自覚して貰わないと困るのだ。

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