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第117話 ガストンの瞬発力

 シンク家の前でマシューとは別れ、カモミールはガストンと共に工房へ戻った。

 時間が時間なので、既にカモミールが外出していた間にキャリーは帰宅しており、工房にはテオだけがいた。


「失礼する」


 カモミールに続いて入ってきたガストンが硬い声を投げる。テオは一瞬だけガストンを見て、訝しげな表情になった。


「彼が錬金釜の精霊よ。便宜上、名前はテオ・フレーメ。この工房を昔使ってた大錬金術師のテオドール・フレーメの姿なんだって」

「彼が……精霊?」


 人間と全く変わらぬ外見のテオに、ガストンは戸惑いを隠せないようだ。無理もない。

 カモミールにも当たり前に見える精霊そのものがおかしいし、彼が人間ではないと見抜いたのはヴァージルだけだ。


「ああ、まあ信じられないよな。これでいいだろ」


 テオは姿を消して見せ、ガストンは大いに驚いている。確かにこれが一番手っ取り早いのだが、何度見ても慣れない。


「姿が、消えた……にわかには信じがたいが、これ程の魔法を使える魔法使いがいるとも聞いたことはないし、信じるしかないな」


 ガストンは納得しきっていない感情を、理論で抑えることにしたらしい。実に彼らしい行動だとカモミールは思った。

 こういう人だと知っているから、あの日、感情をぶつけられて追い出されたことは殊更にショックだったのだ。


「テオ、もう出てきていいわよ。この人はここで時々話に出てたガストン。ロクサーヌ先生の息子で錬金医よ」

「錬金医か……おまえ、大錬金術やれよ! 大概の病気も怪我も効果の高い薬が作れれば治せるぜ?」


 テオが勧誘をするのは、ガストンが魔力持ちだからだろう。錬金医は魔力を使って薬品の調合をすることがあるので、微量でも魔力がないと務まらない。


「残念ながら、私はたいした魔力は持っていないんだ。私たち錬金医の役目は、通常の医師ではできぬ部分を補うことだと思っている。通常医学と錬金術の橋渡しだな。いずれ魔力がもっと消えていく世界になれば、錬金医という役目も消えるだろう。それまで、自分のできることをするのみだ」

「頭が硬えなあ! 錬金術師の割に!」

「こういう人なの、こういう人なのよ!」


 四角四面のガストンに、テオは呆れたようだった。確かにカモミールが知る錬金術師の中では、ガストンはひとり飛び抜けて「らしくない」。好奇心に流されるよりもやるべき事を優先させるのは、ガストンくらいしか知らない。


「早速だが、『魔女の軟膏』について教えて欲しい。カモミールが材料を憶えていなかったので、君に直接訊いた方がいいと判断したのだが」

「おい、カモミール! それくらい憶えておけ!」


 すかさずテオに怒られ、カモミールは首をすくめた。叱ったテオの方も、カモミールが大錬金術に興味がないことを知っているので、すぐに諦め顔で嘆息している。


「仕方ねえな……カモミールだもんな。『魔女の軟膏』の材料は癒やし草の根、リコリスの根、ムラサキ草の根、白アロエの葉とラベンダーの花だ。基本的にはポーションに近いが、白アロエとラベンダーにある傷に働きかけて『治す力』を最大限に引き出す効果が魔女の軟膏の特徴だな」

「なるほど、材料的には現在でも医薬品に使われるものと大差ない。ただ、その性能をかみ合わせ、発揮させるところに魔力が干渉しているのか。この軟膏は色素沈着すら消しているから、新陳代謝のみならず色素の生成にも関わってきているようだが?」


 テオとガストンの間で、早くも専門的な話が始まった。新陳代謝や色素沈着に関してはカモミールも知ってはいるが、「何故新しく生まれる肌にも前と同じように色素が沈着してしまうのか」までは知らない。


 専門用語が飛び交い、耳が滑り出して理解出来なくなったところで、カモミールははたと鏡に目を止めてそれを引き寄せた。


「色素沈着を消すって事は、もしかしてそばかすも消せるんじゃ!?」


 早速、鏡を覗き込みながら魔女の軟膏を鼻の上に散ったそばかすに塗ってみる。突然叫んだカモミールに、ガストンとテオは驚いた様子だった。


「カモミールは……そういう発想に行くのか」

「おまえ、考え方がどこまでも小さいんだよなあー」

「いや、これ大事なことなの! 侯爵夫人とかそばかすを気にしてる人は多いのよ! でもさすがに売れないのよね……」


 これを売り出すことができたらどんなにいいだろうと、カモミールはため息をついた。


「ミリー、夕飯を食べに……ガストンさん!?」


 帰宅してカモミールがいなかったため、工房を覗いたらしいヴァージルがガストンの存在に気づき、険しい声を上げた。常日頃ふわふわしている彼が、ごく稀に見せる緊迫感のある表情にカモミールはドキリとする。

 ヴァージルはガストンのことを未だ許してはいない。それを知っているカモミールは焦った。


「ヴァージルか……」


 カモミールがシンク家に住んでいた頃は、ヴァージルも時折家を訪れていた。クリスティンの店員であることでロクサーヌとの繋がりもあったし、カモミールの幼馴染みということもあってヴァージルはガストンとは知人である。


 カモミールが家から追い出された日、ヴァージルとタマラがカモミールを庇ったことをガストンも見ていた。だからこそ、彼は未だ抱え続ける負い目に苛まされるのだろう。カモミールと自分の間に立ちはだかり、険しい表情をしたヴァージルを見て、ガストンは目を伏せる。


 急に重い沈黙がその場を支配した。ガストンはカモミールに対して謝ることはできたが、当事者ではないヴァージルにはなんと言ったらいいか思いつかないのだろう。

 ヴァージルも黙ったままでガストンを睨んでいる。カモミールは耐えられなくなって、ヴァージルの腕を引いた。


「私たちご飯を食べに行ってくるわ! ガストンとテオはゆっくり話してて」

「ミリーはこういう子だからあなたのことを許してるけど、僕は許してませんよ。あんなにミリーを泣かせて、辛い思いをさせて……」


 なんとかガストンとヴァージルを引き離そうと努力したが、常にはない低い声でヴァージルがガストンに向かって言い放った。それは厳しい断罪の響きではなく、「自分は恨みを抱えている」という暗い想いの発露だ。

 それに対してガストンは、硬い表情のまま頷く。


「許さないでくれ。カモミールがこんな私を許した分、君が許さないでいてくれ」


 和解したとはいえ、ガストンの心にもあの事件は深い傷を残したらしい。思わぬ言葉にヴァージルが絶句しているところに、今度はテオが割り込んできた。


「空気が重い! おまえらさっさと飯食ってこい! 俺にもなんか買ってこいよ!」

「う、うん、そうね。テオはガストンに説明してあげて」


 テオに押し出されるまま、カモミールとヴァージルは工房を出た。そのままドアが内側からバタンと閉められる。テオが閉めたのだろう。


「……ごめん、ミリー」


 ヴァージルがカモミールを抱きしめ、頭を寄せてきた。その重みを感じながら、カモミールは彼の背をとんとんと叩く。


「ううん、ヴァージルがあんな風に怒るなんて思ってなかったから驚いたけど……でも、私のために怒ってくれたのは嬉しい。

 仕方ないと思うわ。ヴァージルは私じゃないし、私がガストンに対して持っていた負い目がないんだから。……そっかぁ、多分私たち、和解したんじゃないの。痛み分けってやつよ。お互い悪いところがあったって、自分にも相手にも認めることができただけ」

「僕は、とてもそういう風には思えないよ」


 ヴァージルは悔しそうに呻く。カモミールはそれでも仕方ないと思えた。


「無理に思うことないんじゃないかな。私とガストンとヴァージルは違う人間だから。あの件に関して、考えた行程は違っても私とガストンは同じところに結論が辿り着いた。でもヴァージルは考え方も違うし、辿り着くところも違う――多分、そういうことなの。

 ひとつだけ憶えておいて欲しいのは、ガストンも傷ついてるって事」

「それは……そうだけど。確かにガストンさんに『君が許さないでくれ』なんて言われるなんて思ってなかった。でも、やっぱりミリーをあの時傷つけたのはあの人なんだ」


 どうもこの件に関しては堂々巡りになりそうだった。ガストンが暴挙に走った背景には、数年に及ぶ鬱屈した思いがあるのだが、それを掘り返して説明するのもカモミールにとっては「何か違う」気がする。


「はいはい、結局ヴァージルは過保護よねー。ほら、ご飯食べに行きましょ! その間にあのふたりもたくさん喋ることだろうし」


 自分よりもヴァージルの方が恨みが深いタイプだとは思わなかった。

 カモミールの場合は、単に他に考えることが多いので過去のことにこだわり続ける気持ちがないせいなのだが。


 まだ微妙に納得がいかない様子の恋人をつつき、カモミールは屋台へと向かった。

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