エミリアはヴィアローズの商品を全て手に取り、事細かにカモミールに質問をした。それに対してカモミールも詳しく説明をする。
この化粧品に関わる人々の中で、「女性であり錬金術師」なのはカモミールだけだった。エミリアはカモミールと同じ立場と目線で質問をしてくれるので、ロクサーヌとのやりとりを思い出す。
「よし、さっきの話だけど、やるよ。アタシはこのアトリエ・カモミールの一員になって、王都で石けんに関する指導と商品管理を受け持つ。自分の石けんも作りながらだけどね」
「えっ? まだ石けんを作るところを見せてませんが、決めてしまっていいんですか?」
カモミールが困惑していると、エミリアは切れ長の目を和ませた。
「アタシの質問に、あんたは真摯に答えてくれた。アタシが錬金術師である以上、ここまで喋ったら模倣品を出されるかもしれないという危険があるにもかかわらずね。
その信頼を受け止めるだけだよ。利害関係じゃなくて、錬金術師同士だけに通じ合うものがあんたとアタシの間にはある。いやー、やっぱり来て良かったわ!」
彼女が豪快に笑う様は実に頼もしい。イヴォンヌとはまた違うタイプの姉ができたようで、カモミールもつられて一緒に笑った。
「あ、そうそう。彼はここの工房の一員でテオです。化粧水に入ってるポーションは彼が作ってます。それと、私のことはカモミールかミリーでいいですよ。さっきここにいた人はうちの経理兼諸々のキャリーさんです」
カモミールに紹介され、テオに今更のように会釈したエミリアは驚きの声を上げた。
「……えっ、今まで気づかなかったけど、えらい男前だね!? まあ、うちの夫には負けるけど!」
「興味ないものは目に入らねえんだなあ……よろしくな、エミリア。ところで、おまえ石けん作ってないで大錬金術やれよ。おまえならそこそこのもんが作れるだろ?」
「テーオー! 余計なこと言わないでよ!」
エミリアの夫の容姿を思い出そうとして、カモミールは「眼鏡しか憶えていない」ことに気がついてしまった。つまりは十人並みの容姿なのだろうが、エミリアにとっては彼が一番なのだろう。
そして、せっかくまとまった話に大錬金術で切り込んでくるテオに、思わず文句が漏れる。
「そう、興味ないもんは目に入らないのさ。だから大錬金術も目に入らないね。アタシは作りたいものを作る。錬金術師はみんなそうだろう?」
「はぁ……全くもってその通りなんだよなあ」
取り合う気のないエミリアに、肩をすくめてテオが諦めの様子を見せた。そこへタイミング良くドアが開き、キャリーとマシューが入ってくる。
「戻りましたー。道々、先生には今までの状況をお話しましたよ」
「キャリーさん、いつも助かる! マシュー先生、冷製法の石けんに興味を持って王都から来てくださったエミリアさんです。
エミリアさん、こちらが私たちの石けんにおける師匠で、長年冷製法で石けんを作ってきたマシュー・キートンさん。これから実際に作る工程を見せながら説明して貰います」
「おおおおお! あの石けんに興味を持って王都から! なんとありがたいことじゃ!」
「エミリア・ニュートンです。よろしくお願いします、師匠!」
マシューと手を握り合ったエミリアの宣言に、テオとエミリア以外の全員が目を丸くした。まだ弟子入りの話はしていなかったが、エミリアの中では既に決まったことらしい。
「え? なんでそこで驚いてるわけ? アタシはあの石けんの事を知りたくてカールセンまで来たんだから、弟子入りするに決まってんでしょ!」
勢いのあるエミリアに、キャリーは若干付いていけない様子だ。散々弟子を増やせと言われていたマシューは感涙にむせび、「これで弟子を探さなくても良くなった」などと言っている。
「多分、情熱で言えばエミリアさんが一番ですよ。というわけで、一番弟子の座はエミリアさんに譲ります」
「え? 先にふたりも弟子がいるのにアタシが一番弟子? まあ、ご期待に添えるように努力はするけどね」
マシューの弟子ではあるが他にもやることが多いキャリーは、熱意のあるエミリアに一番弟子の座を譲ることにしたらしい。
「アトリエ・カモミールの石けん部門の師匠であるキートン先生の一番弟子、というと箔も付きますからね。ささやかですけど」
「あ、なるほど、本当にキャリーさんっていろいろ考えてるのねえ」
その肩書きは、今後王都で石けん部門を稼働させるときにも役立つだろう。なにせ、工房主であるカモミールよりも、弟子としての序列が上と言うことなのだ。
「そういえば、エミリアさん。滞在の予定はいつまでですか?」
マシューが来たところで、エミリアからの手紙の件すらマシューはキャリーに説明されるまで知らなかった事に気づく。そこでカモミールは、「家庭がある人に往復半月も家を空けさせるのは」と考えたことを思い出した。
「ああ、何日でも大丈夫。10才の娘がしっかりしてるから夫の世話くらいできるし」
けろりとした顔で言うエミリアに、今までもこんなことが何度もあったのではと思い、世話をする側は逆なのではとも思ったがカモミールは言わないでおくことにした。
王都のギルドで会ったエミリアの夫は、よく気の回るいい人だったという印象だ。この飛び出したらいつ戻るかわからないような気質の妻をサポートしているのは、優しげな夫なのだろう。
マシューがエミリアに説明をし始め、キャリーが材料を並べ始める。カモミールは以前マシューが持ってきたノートの写本を引っ張り出した。
あまりに内容が細かすぎるのと、需要がなさそうなので3冊しか写本して貰っていないのだが、今後は印刷することも視野に入れないといけないだろう。
3冊の内の1冊をエミリアに渡そうとカモミールは決めていた。彼女ならばここから自分でも学んでいくだろう。
マシューから講義を受け、実際に冷製法の石けんの作り方を見たエミリアは要所要所で声を上げて感動していた。これだけ反応がいいと、説明している方も気分がいいだろう。
「なるほどねえ。どうしても品質的に外しようがないマルセラ石けんしか頭になかったけど、そもそも他の油脂を使う石けんがあるのは当たり前だわ。大疫禍の影響は今でもこんなところに残ってるのか」
石けんで洗うと皮膚表面がアルカリ性に傾き、一時的に保湿機能が弱くなるので、石けんの中に油脂をわざと残してはどうかと言うところまではエミリアも考えたらしい。それが思いつくだけでも凄い話だとカモミールは思う。
「マシュー、いい弟子ができたじゃねえか」
加熱を控え、攪拌で化学反応を進める石けん作りを言われた通りに実践しているエミリアを眺めながら、テオがマシューをつつく。
「いや、まだ判断はできん。実演の後でレシピをいくつか組ませんと。それがこなせんとただの職人止まりじゃからのう。キャリーはレシピを組めるところまでは行ったが、油脂の個性を把握しきっとらん。まだ精査が必要じゃ」
「いくら私でもあれは憶えきれませんよ……。ノートを見て、この油脂を軸にしたらこんな石けんが作れないかな? とか考えてレシピ組んでるんですよ。それに、エミリアさん自身は品質管理の能力があれば、うちの工房としてはそれでも十分なんです」
キャリーがぼやく。確かに、何代もの錬金術師が積み上げてきたものは簡単に憶えられる量ではない。
「あっ、マシュー先生、この前の傷見せてください!」
「お嬢さんは唐突じゃなあ! ほれ、この通りじゃよ」
魔女の軟膏を塗ったマシューの左腕の古傷は、確実に小さくなっていた。メモを取り出して傷の形と大きさを照合すると、三分の二ほどになっている。
「カモミールさん、今それやっちゃっていいんですか」
「あ、うっかりしてたわ」
キャリーの指摘でカモミールはハッとした。カモミールの中ではエミリアは既に客人ではなくて、工房のメンバーになっていた。けれども石けんのこと以外をどこまで話すかは考えものだ。
結局、エミリアは3日逗留してみっちりと石けん作りを学び、マシューのレシピ構築のテストにも合格して意気揚々と帰って行った。
まずはエミリア自身が王都でヴィアローズの石けんを作り、できあがったものを一度こちらへ送ることになっている。それをマシューが確認して合格と認められれば、実際にクリスティンへ卸す。
その後はエミリアの知人で石けんを作っている人たちに声を掛け、人を集めるという手はずだ。エミリアだけがアトリエ・カモミールの従業員で給料という形で賃金が出るが、全てに置いて責任が伴う。ヴィアローズのブランド価値を下げてはいけないという契約書にも署名して貰った。
後の委託する職人は材料を渡して作って貰い、歩合で支払いということになった。
エミリアの石けんへの情熱は全員が認めるところで、品質への厳しさもキャリーが太鼓判を押すほどだ。
こうして、頼もしい仲間が増え、マシューの石けんを広めたいというカモミールたちの望みは一歩前進したのだった。