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第104話 広がっていく先は

「テオ、ちょっと教えて!」


 ガストンの家から帰るなり、カモミールは工房に駆け込んだ。キャリーは驚いたような顔でカモミールを見ており、テオは何かを計量中だったようだ。


「ちょっと待て! 今手が離せない」

「ごめん、手が空いたら教えて。キャリーさん、お疲れ様」


 いつでも工房でお茶が飲めるように、棚の一角にハーブがいろいろと置いてある。その時の気分でブレンドして飲んでいるのだが、カモミールはその棚に買ってきた食料品を置いた。ベーコンだけが日持ちしないので、これは早めに食べるよう説明しないといけない。


「もしかしてそれ、テオさん用のパンですか」


 尋ねてきたキャリーにカモミールは苦笑する。今日はまだ昼時にはなっていないが、既にテオは警戒されているらしい。


「そう、テオがなんか食べる癖が付いちゃったみたいだし、クリスティンに行ったついでに買ってきたの。キャリーさんが食べるところじっと見てたって聞いて。あ、これお披露目会の日の売り上げ明細よ、この分だけ先に精算してくれたから銀行に預けてきたわ」

「助かりますー。テオさんは迷惑なんですよ、本当に……。無言の圧力が凄くて」

「ご、ごめんね」


 テオに人間の常識を教え切れていないのはカモミールのせいであるので、謝っておく。キャリーは笑ってカモミールが謝ることではないと言ってくれ、すぐに売り上げ明細を確認し始めた。


「よし、これでいい。で、何を教えて欲しいって?」


 計量を済ませ一段落付いたテオが声を掛けてくる。カモミールはまずパンやベーコンを示し、先にテオのご機嫌を取ることにした。


「その前に、ここにパンとかチーズとか買ってきたから、物足りないなーって時は遠慮なく食べてね。ベーコンは2日くらいしかもたないし、パンも放っておくと固くなるだけだから。チーズと蜂蜜は結構保存が利くけど……まあ、パンも固くなったらエノラさんに頼んで料理に使って貰ったりすればいいんだけどね」

「食う! やったぜ!」


 テオは素直に喜んでいた。これでキャリーから食べ物を奪うこともないだろう。


「それで、教えて欲しいことなんだけど、古い火傷の痕を消したりできる薬ってある? ポーションを塗ってもいいのかな?」

「おおっ、ついにカモミールもポーション以外の薬に興味を持ったか! 古傷を治すにはもっと強力な奴がいるな。液体じゃなくて軟膏になるけど、材料が揃えば作れるし多分そこら辺で揃うぞ」

「本当!?」

「俺が嘘を言うかよ」


 自信満々にテオが胸を張る。確かに、テオは嘘をついたことはない。精霊の善悪の基準は人間とは違うし、嘘をつく必要もないのだろう。


「基本的な材料はポーションと一部一緒だな。癒やし草の根、リコリスの根、ムラサキ草の根……また根っこばかりだな。それと、白アロエの葉とラベンダーの花」

「待って、白アロエって何?」


 そこら辺で揃うと言われた割に聞いたことのない材料が混じっている。ラベンダーの花はちょうど今が季節だから探し回ればどこかに咲いているだろうが、問題は白アロエの方だ。


「白アロエっつったら、白アロエだよ。白いアロエ」

「だから、普通のアロエは知ってるけどそれは知らないわ」

「マジか!」


 テオが慌てて工房を飛び出していく。カモミールもそれを追った。

 工房の雑草生い茂る庭でテオがしゃがんだままで何かを探していて、すぐに彼はがっかりとした顔をカモミールに向けた。


「昔はこの辺りに生えてたんだがなあ。テオドールもよく使ってたぜ、何せ傷薬作るときに使うと即効性があって強力だからな。いかんせん、繁殖力が弱いのが問題だったんだが……うーん、やっぱりねえなあ」

「昔はあったのね? 今は一般的でないかもしれないけど」

「あったあった。そう特別珍しいもんでもなかったぞ。種ができにくいってだけで簡単に育つもんだったから、今でもどっかにあるだろうよ」


 カモミールは植物が多くありそうな場所をざっと頭に思い浮かべる。まず行くべきは花屋だろう。


「テオ、これから一緒に花屋を回りましょ!」

「おう、いいぜ。できればあれも栽培しておきたいところだしな」


 テオは軽くカモミールの提案を聞き入れた。テオは街歩きが好きだが、どんな行動を取るかわからないのでひとりではなかなか行かせることができない。

 なので、カモミールの提案は渡りに船なのだろう。


「キャリーさん、ちょっと花屋さんを回ってくるわね! あ、何かついでに買ってくる物とかある?」

「買ってくる物……というか、容器について発注を掛けてきて貰えると助かります。この数字でお願いしますね」


 キャリーは売り上げ明細を分析して、香水瓶と化粧水の瓶、そしてクリームや粉を入れる容器の必要数を種類別に数字を書き出した。


「カモミールさんも確認してください。お披露目会で出た分が消費されるのに2ヶ月くらいと考えて、今からこれくらい発注しておかないといけないかと思うんですが」


 キャリーが出した数字はカモミールの予想より大きかったが、容器は腐るわけではない――場所は取るが。足りないと慌てるよりも余分にあるくらいでいいだろう。


「いいと思う。私だったら多分もっと少ない数で発注掛けちゃったと思うけど、キャリーさんの出してくれた数字の方が後々困らないと思うわ。ありがとう、いつも本当に助かってる!」

「いえいえ、私の仕事ですから。新商品くださいね!」


 しっかり者の彼女に思わずカモミールも笑ってしまう。キャリーが欲しいものがあったら新しく作ってもいいくらいだ。


「そういえば、キャリーさんは私が作れそうな物で何かあったらいいなと思うものはある?」

「これから暑さが本格化しますし、体がすっきりする石けんとか欲しいですね。それは私が作ればいいんですが」

「そうそう、クレイの入った奴よね。あれは少しくらい材料のグレードを落としてでも安価に出せれば、男性の労働者が多いところでは重宝されそう。ちょうど良く王都で松の精油が少し安かったから大瓶10本買ってきたの。エノラさんが前に石けんをいろいろ試した時に『木の香りもいいし、男性も使いやすい』って言ってたから」

「わあ、それはいいですね。松の香りでクレイ入りの石けんか……ミントとかで爽快感を出せればなおいいかも。

 そうだ、雲母を仕入れてるアイアランド鉱工商会って憶えてます? あそこ、鉱山を何カ所か運営してて、そこで働く鉱夫さんも社員として雇ってるそうなんですよ」


 キャリーから突然出た話題にカモミールは首を傾げた。アイアランド鉱工商会の名前は憶えているが、どのくらいの規模があるのかなど詳しいことは全く知らない。


「キャリーさん、詳しいのね」

「そりゃあもう。行った時に世間話ついでに訊いてくるんですよ。どこに何が繋がるかわからないですからね。

 それで、あそこは鉱山ごとに働く人のために寮を作ってて、全部そこでまかなえるようにしてるらしいんです。――そこのお風呂に、クレイ入りのすっきり石けんを試供品で置いたらどうなると思います?」


 キャリーの笑い含みの提案に、カモミールははっと手を打った。

 火薬の技術が進んで鉱夫の厳しさは軽減されたが、「儲かるけれども体力的にきつい仕事」として世間では認識されている。商会の方でも安定した供給のために待遇を良くしているのだろう。

 鉱夫のための設備が整っていれば、無駄に外出することが減って自然と労働者もお金が貯まりやすくなる。もちろんそれは家族への仕送りなどになるだろうが、「使って良かった」と思う石けんを1個買うくらいの余裕は十分にあるだろう。寮に売店が付属していればそこに置いて貰ってもいいくらいだ。


「そこを起点に男性や庶民層向けの石けんを広めるのね?」

「そういうことです。カモミールさんがいない間、油脂の流通量と品質と値段をいろいろ勉強しまして、これなら品質的にも問題なくて庶民が気軽に買えるっていうレシピを作ってみたりしたんです。ただ、『ヴィアローズ』とはコンセプトが違うので同じブランドで出すのは良くないかもしれませんが」

「だったらそれ用にブランドを作ればいいのよ。名前が違うだけで印象はとても変わるしね。まず試作してみましょ、ミント入りとミント無しで2種類。ミント入りは夏だけしか使わなそうだもの」

「了解ですー。うーん、こうなってくるとやっぱり人をもうひとり増やしたいですね……いや、キートン先生に働いて貰えばいいのか。石けんのことだし」


 マシューに任せられる仕事は限られているが、石けんのことなら信頼できる。

 カモミールもキャリーもマシューの弟子なので、弟子が師匠に仕事を発注するという謎の構図になっているが、仕方ないだろう。


「花屋巡りのついでに、マシュー先生に明日来て貰えるよう頼んでくるわ。あー、白アロエ、見つかるといいけど……」

「大錬金術関連だったら、ギルドで訊いてみるのも有りですよ。私は白アロエは扱ったことはないですけど、意外に種とかだったら保管されてるかもしれませんし、種を扱ってたら前にそれを買った人を辿れば、今生えてる物が見つかるかもしれません」

「キャリーさんって、本当に賢いわね。何かキャリーさんのために作ってあげたいと思ってさっき訊いたんだけど、石けんって言われちゃったから話がちょっと逸れたのよね」

「あ、あー、そうだったんですか。私が欲しいものかー、うーん。……あ、今は夏ですけど、冬になると唇がよく切れるので困ってたんですよね。それがなんとかならないかなあ、って」


 唇が切れると聞いてカモミールはハッとした。ヴィアローズでは口紅を作ってはいない。それは既存の製品でかなり良い物が出回っているからなのだが、ロクサーヌから「唇は顔の中で唯一皮脂の分泌のない場所」と教わっていた。


 化粧というものの前段階として、素肌をよくする物が欲しいとカモミールは思っていた。それがよりよい性能を持った化粧水であり、化粧を綺麗に落とすための化粧落としクリームである。

 マリアに作りたいものも、その延長線上にある。貴族ではなく庶民なら、素肌が綺麗に見せられれば無理に化粧をしなくてもいいのではないかということだ。

 キャリーの言う「冬になると唇が切れて困る」というのは案外誰もが経験していることだ。唇が特別荒れるのは皮脂の分泌がないからだとわかっているのだから、解決策も難しいことではない。


「それ、作るわ! なんだかいろいろ頭の中で繋がってきたの。うん、そのためにも白アロエは見つけたいわね。じゃあ、行ってくるわ」


 キャリーとカモミールが話している間にすっかり退屈したテオの腕を取って、カモミールは街の中心部へと向かった。

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