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第103話 彼女が怒っている理由と彼が悲しんだ理由

「……中で話を聞こう。きっとここでは近所迷惑になる」

「そうね」


 ガストンはタマラとカモミールを居間に招き入れた。診察室にもなるこの場所は掃除が行き届いている。

 神経質なガストンらしいと、周囲を見て家がきちんと整頓されているのを確認しカモミールは思った。


「あ、お茶とか別に要らないわよ。言うこと言ったら帰るから」

「私はミリーの付き添いよ。前があんな別れ方だったから心配だしね」

「そうか」


 ガストンはカモミールの向かいに座り、妙に神妙な様子でいる。


「私、怒ってるの」


 カモミールがわかりやすく感情を示すと、ガストンは俯いて指を組んだ。


「それはそうだろう。勝手な言い分で家から追い出しておいて、綺麗事のように売上金だけおいてくるような真似をされれば――」

「違う。マリアさんのことで、ガストンも傷が治せなかったらお化粧で隠せばいいと思ったんでしょ? そこでヴィアローズを買うなら、私に相談した方が早いし確実でしょう? 怒ってるのはそっちのこと!」

「マ、マリアさんのこと……何故それを」


 目に見えてガストンが狼狽した。カモミールとタマラは顔を見合わせ、ふふんと彼に向かって鼻で笑う。


「昨日王都から帰ってきてガストンの手紙を見たわ。ガストンが殊勝なのが気持ち悪くて今朝タマラに相談に行って、その後クリスティンにお披露目会の様子を訊きに行ったの。そしたら、ガストンが来て化粧品をいろいろ買っていったし作り方も訊かれたって言われて、なんでだろうって思ったのよ。

 その後、買い物のために歩いてたら、ガストンがマリアさんと談笑してるところを見ちゃった」

「そう! ガストンがいたから思わず物陰に隠れて見てたんだけどね」

「あれを見て……ロバート……おまえ、おまえのそういうところが……」


 ガストンは眼鏡を外して顔を覆った。相当ふたりには見られたくなかった事柄のようだ。 カモミールはガストンの珍しい反応に気を良くして、更に追い打ちを掛ける。


「マリアさんの相談に乗って欲しいってお父さんにも言われて、話もいろいろ聞いたわ。ガストンに何度も求愛されてるけど、こんな傷が残ってる自分と結婚してくれる男性なんていないだろうって思ってることとかね。

 ねえ、傷痕を消すのは難しいから化粧で隠せないかって思ったんでしょう? それで、マリアさんの負担にならないよう自分で化粧品を作れば安く上がると思った。違う?

 なんで私に訊かないの! 化粧品のことなら私の方が詳しいって知ってるでしょ? そもそもガストンは化粧品に興味持ったことないじゃない。今の白粉が何で作られてるか言える? 鉛とか水銀とか言ったらはっ倒すわよ?」


 ガストンはしばらく無言でいたが、やがて深いため息をついて「違わない」と答えた。


「そうだ。マリアさんはあの傷痕に心を囚われすぎている。女性なのだから、顔の傷は他が思うよりも心に傷を与えているだろうと言うことを鑑みても、気にしすぎて彼女の美点を彼女自身が否定している状態だ。

 それに対して私は彼女の傷は他の美点を損なう物ではないと思っている。だから」

「あんた話が長いのよ! はっきり言いなさい、顔の傷なんか取るに足りない物で、そんなものがあってもなくてもマリアさんのことを愛してるって! それと、私はタマラよ。ロバートって呼ぶなって言ってんでしょ! ジェンキンス侯爵夫人ですらタマラって呼んでくれてるのよ?」


 タマラがテーブルを叩いて立ち上がると、降参だというようにガストンは両手を挙げた。


「わかった、タマラ。おまえの言うとおりだ。私はマリアさんを愛している。彼女の美しさや父思いのところ、そして私のことまで心配してくれる優しさに惹かれた。

 彼女と出会ったのは、私の気持ちが最も荒んでいた時期だった。その時に優しくして貰ったことは本当に身に染みたんだ。

 カモミール、おまえにも謝罪をしたい。私は結局、母の病気に気づけなかった自分を責めていた。それから目を逸らしたくて、君に八つ当たりをしていた。

 娘のように可愛がられるカモミールを羨ましいと昔から思っていた。母にはずっと自分だけの母でいて欲しかった。

 なんという子供じみた我が儘と八つ当たりか……あの日、誰もいなくなった家で私は『家族が誰もいなくなった』ことを実感した。

 頭に上がった血が下がって冷静になれば、こどもが駄々を捏ねたのと大して違いのない話だった。それで、何年も寝食を共にした妹弟子を泣かせ、追い出した。……頼めるわけがない。おまえを追い出したのは私だ。ヴィアローズの作者がカモミールだと言うことは聞いていた。相談する相手として最も適任なのがおまえなのもわかっていた。だが、母の病気に気づけなかった自分の無力さを転嫁した腹いせに傷つけた相手になど……頼める、わけがない」


 胸の内を一気に吐き出しきったガストンは、疲れ切って心細いこどものような表情をしていた。

 カモミールも彼の語った胸中の重さに思わずため息が出る。


 ガストンは錬金医だ。今までそこに思い至らなかったことが口惜しいが、ロクサーヌの病死で一番自分を責めたのはガストンで間違いないだろう。

 あの時は、自分のことで手一杯でガストンの胸中を察する余裕は全くなかった。


「……あの時のことを少しも恨んでないと言ったら嘘になるけど、少なくとも私がガストンからロクサーヌ先生にまつわるいろいろなものを奪ってきたのは事実だわ。

 私はいずれ独り立ちしなければいけなかった。それが多分数日早まっただけよ。

 ヴィアローズという自分のブランドを作り出すこともできた。いろんな経験の末に今の私がいるから、私はあの時のガストンを否定しない。否定できない。

 あの時どうするのが良かったのかとか、考えなかったわけじゃないわ。でも、私は前に進むしかないと思ったから、自分の道を歩んできた。その結果として、ヴィアローズは高い評価を得ているし、侯爵夫人やいろいろな人と親しくなれた。王都にも行けた。ずっと一緒にいてくれたヴァージルとも恋人になって、今は幸せよ」

「今は幸せ、か。それならば良かった」


 カモミールの言葉を聞いて安心したように、ガストンが目を和ませた。


「だから、これは私の分野なの。逆に、化粧品について素人のガストンに踏み入られたくないの。わかる?」

「ああ、私も錬金医の分野でおまえに口出しをされたら腹立たしく思うだろうしな」

「もしかしたら口出しするかもしれない。驚かないで聞いて。うちの工房に精霊がいるの。しかも、1000年経って人の姿を取れるようになった錬金釜の精霊よ。

 錬金術について、多分彼以上に詳しい存在はいないし、彼のおかげで現代では制作不可能な品質のいいポーションが入手できるの。元ギルド職員のうちの従業員が真顔で『世間に流通させちゃいけない物』って言うくらいのポーションよ――ヴィアローズの化粧水には、そのポーションが入ってるわ。それで、シミやそばかすを薄くする効果や、肌に張りを与えて皺を改善する効果が実際確認できてるの。

 だから、もしかするとポーションを直接マリアさんの傷痕に塗れば」

「傷痕が、徐々に薄くなるかもしれないと?」


 目を見開いて立ち上がったガストンに、カモミールは頷いて見せた。

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