3人で花壇の縁に腰掛け、カモミールの聞く体勢ができたところでマリアがぽつりと話し始める。
「……10歳の時でした。当時の私は母を亡くしたばかりで、父にいつもまとわりついていたんです。父は仕事場では危ないからと私を近寄らせないんですが、その日は明け方に悪夢を見て目を覚まして、泣きながら父を探したんです。
それで、仕事場では近付くなと言われていたのに、父が何をしているかも確認せずに抱きついてしまって、オーブンから出したばかりだった鉄板が顔に当たって」
「それは……」
カモミールは息をのんだ。オーブンの鉄板で顔を広範囲に火傷したなら、相当痛かっただろうし辛かっただろう。マリアだけではなくて、娘の顔に怪我を負わせてしまった父の心労も察して余りある。
「マリアさんもお父さんも辛かったわね」
カモミールが飲み込んでしまったことは、タマラが言ってくれた。タマラの方がカモミールよりも「女の子が顔を怪我すること」について心を痛めたのだろう。彼女は鼻をすすり上げるとマリアの背を優しく撫でた。
「私よりも、きっと父が辛かったろうと思います。
当時、多分うちにはお金がなかったんです。母が長患いをしたので、父は看病をしながらの仕事でお店も限られた数のパンしか並べることができなくて、収入は今よりずっと悪かったはずですし。
それで、とにかく冷水に顔をつけて冷やすことはしましたが、冷たい水に顔をつけ続けるのも辛くて、でも顔を上げればもっと痛くて……近所に住むお医者さんが来て薬を付けてくれても、その日一日中泣いていたことを憶えています」
「その火傷の痕が、残ってしまったんですね。できればその痕を見せて貰えませんか?」
カモミールが申し出ると、マリアは気が乗らない様子ながらも、髪を指先でどかして顔を見せてくれた。
火傷は頬から顎にかけてで、たしかに範囲が大きい。けれど極端に引き攣れたりはしておらず、一目見て火傷の痕とわかるが厚化粧で隠せる程度ではある。
「ガストンには、この傷痕についても相談を?」
尋ねると、マリアは再び顔を半分隠してこくりと頷いた。
「最初はいろいろ塗り薬を試してみたのですが、傷痕が薄くなることはなくて」
「うーん、古傷ですしね……今の錬金医では難しいのかも」
カモミールの言葉に、マリアがはっとして目に涙を溜めた。家業がパン屋であるから、彼女も父の手伝いをして店に立ちたいのだろう。けれど、その気持ちと傷の残る顔を人目にさらしたくないという気持ちが彼女の中でせめぎ合っている。
「ごめんなさい、私の言い方が悪かったんです。錬金医という方面からだと、その傷を完全に消すのは難しいのかなって。お化粧だったらかなり隠せますけど」
「お化粧で……?」
憶測だが、ガストンも「傷を治す」が無理な以上「傷を隠す」方向に目的を切り替え、カモミールと同じく化粧品を使うことを思いついたのではないだろうか。
そうするとガストンがクリスティンで化粧品を買い込んだり作り方を訊いたという話に繋がってくる。
化粧品は贅沢品だ。今のマリアにどの程度の金銭的余裕があるかはわからないが、毎日化粧をするのは難しいだろう。ならば、安価で済むように自分で作ってしまえと錬金術師であるガストンは思い至ったのではないだろうか。
そして、カモミールが思ったのは、テオのポーションがマリアの傷痕に効くのではないかと言うことだった。
「ねえ、マリアさん、率直に訊くけどガストンのことはどう思ってるの? ガストンの方は完全に恋しちゃってる顔よ?」
タマラがストレートに切り込んだ。カモミールが気づいていても言わなかったことだ。
けれど、マリアはますます俯く。
「あの……ガストン先生から何度か求愛されたことはあります……でも、私は自分があの人に求められるような価値のある人間には思えなくて、お応えできなくて」
「えっ、既に求愛済みなのね? やるじゃないガストン! ――じゃなくて、マリアさんはガストンのことを立派な人だと思ってるのね? 意外にそんなご立派な人じゃないわよ!」
「そうそう、好き嫌いも多いし、患者さんには厳しいし」
タマラが言ったことに便乗してカモミールも愚痴を吐く。けれどさすがにマリアの前では「ガストンに家を追い出された」という最大のクズエピソードは話せない。
「そうなんですか? 私が知っているガストン先生は、いつも穏やかで初めてお会いしたときから丁寧に父を診てくださる立派なお医者様で」
遠慮がちにマリアが告げるガストン像は、タマラとカモミールの中にはない。
「えっと……いつも眉間に皺が寄ってるならわかるんですけど、穏やかなガストンって正直あんまり想像つかないです」
「うーん、ロクサーヌさんが亡くなってからあまり顔を合わせることもなかったけど、ガストンも何か思うことがあって変わったんじゃないかしらねえ。マリアさんがガストンと出会ったのはいつ頃なの?」
「1月半程前でしょうか」
カモミールとタマラは顔を見合わせた。ロクサーヌが亡くなってから2人が出会ったのは間違いなく、ガストンの心境の変化にはマリアが関わっているだろう。
「お肌を整えることに関してはガストンより私の方が詳しいですよ。もしかしたら、その傷痕を薄くするくらいのことはできるかもしれません。それで、ひとつ教えて欲しいんですが、マリアさんは自分が顔に大きい傷痕を残してしまってるから、ガストンには相応しくないって思ってるんですか?」
「そう――ですね。こんな私と一緒になりたいと言ってくれる男性はいないと思ってます。ガストン先生も、きっと同情とかでそう言ってくださってるんじゃないかって」
それは違うと言いたかったが、カモミールはぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。
今のマリアには自信がなく、カモミールやタマラ、そしてガストンが何を言っても心の傷が邪魔をして素直に受け入れては貰えないだろう。
「マリアさんのその悩みについて、いくつか解決法があると思うんで調べてみます。とりあえず、また明日にでも来ますね。あっ、パン! 私もパン買わなきゃ」
パン屋は朝が早い分、閉店も早い。昼過ぎには店を閉めてしまうので、パンは今買わないといけなかった。
マリアは同性の錬金術師であるカモミールが解決法を探してくれるというので安心したのだろう。何度も頭を下げていた。
テオ用のパンを買って、ベーコンとチーズも持っているのでカモミールは両手が塞がってしまった。荷物を置くために一度工房に寄ってからガストンのところへ行こうと心に決めている。
往診は午前中で午後は研究をしつつ患者を待つのがガストンの日課なので、今すぐシンク家へ行っても誰もいないはずだ。
「タマラ、これから工房に寄ってから午後にガストンのところへ行くけど、どうする?」
「私も行くわよ。ミリーだけ行かせるのは心配だもの」
「ありがとう。ガストンが態度を変えてきたのって絶対マリアさんのことがあるからよね。あの冷血人間にも恋をしたせいで温かい血が流れたんだわ」
「その通りよ。さっきの笑ってる顔見たときには叫びそうになったわ」
「恋をして変わるのはいいわよ。でもね――くうう、これはガストンに直接言わないと!」
拳を握りしめたカモミールはずしずしと大股で工房へと向かった。
そして、午後――。
「はい、どうしましたか? 病気ですか怪我ですか」
シンク家のドアを勢いよくノックすると、ガストンが
ドアの前に腰に手を当てたカモミールが立ちはだかっているのを見て、彼は思わず口を開けて固まっていた。
「話があるわ! いろいろと!」
以前家から追い出されたときには泣くしかなかったが、今のカモミールはあの頃とは違う。怒気をはらんだカモミールの口調に、ガストンは視線を僅かに下げた。