目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第101話 パン屋の娘と錬金医

 ガストンの謎の行動に苛々とはするが、カモミールはガストンに直接訊きに行きたいとまでは思えない。

 結局、カリーナや他の店員にヴィアローズの評判を訊いて安心し、最初の納品分以外にも継続して工房から追加納品があったことについて感謝された。

 そちらはテオとキャリーが頑張った物が「置き場がない」という理由で納品されたようだが、売れ行きがいいので助かったとまで言われた。


 クリスティンの差配で、お披露目会の日の売り上げだけ先に精算するようにという指示があったそうで、カモミールはこの日かなりの金額を受け取った。これは工房の運転資金としてとてもありがたい措置だったので、店を出てすぐに銀行に預けに行く。


 銀行に行った後、カモミールはテオに何か食べ物を買って帰ろうと思っていた。屋台に誘うのもいいが、昼にも何かあげておかないとキャリーが居心地悪いだろう。


「パンと、ベーコンとチーズくらい買っておこうかな。それくらいだったら工房に置いても大丈夫でしょ。あ、あと蜂蜜も買っておこう。テオは甘い物が好きだし、お茶を飲むときにちょっとあったらいいわよね」

「そうよ、私も食材少し買っておかなきゃ。ミリーとこういう買い物行くの久しぶりね。ロクサーヌさんが生きてた頃は時々行ったけど」


 タマラと意見が一致したので、食料品を扱っている店の方へと歩いて行く。通りすがりの肉屋でベーコンを買い、その近くの店でチーズを買った。タマラは他にもいろいろと買い込んでいる。

 だいたい食料品を扱う店は固まっているので、近くにパン屋もあるだろうと踏んでカモミールとタマラは近くをぶらぶらする。

 そうして歩いていたら、突然タマラがカモミールの腕を掴んで路地に引っ張り込んだ。


「何よ、突然」

「しっ!」


 声を出すなと仕草で伝えられ、カモミールは言葉を飲み込む。タマラが先程歩いていた通りのとある店を指さして、「見て」と小声で言った。


 路地の暗がりにしゃがみ込んで、カモミールはそっとそちらに目を向け――そして固まった。


「う、うそぉ」

「私も、できればただのそっくりさんだと思いたいところよ……」


 叫びそうになるのを必死に堪え、カモミールも小声で呟く。カモミールの頭の上でタマラも唸っていた。


 カモミールとタマラが見た物は、真面目で融通が利かない性格のガストンが、照れを含んだような笑顔でパン屋の女性と談笑しているところだったのだ。



 ガストンは鞄を持っていたので、患者のところへ行く途中に寄ったのかもしれない。彼の姿が完全に遠くに消えたのを確認し、タマラとカモミールはパン屋に向かっていた。


「いらっしゃいませ」


 店頭に立っていたのは、カモミールよりも歳上に見える女性だ。店員らしくないくらいに声が小さく、優しい声音なのに俯きがちという不思議な女性だった。


「あ、このパン、今朝ガストンが持ってきたのと同じだわ」


 並べられたパンを見てタマラが声を上げる。すると店員の女性がはっとタマラを見上げた。

 褐色の髪を顔の右側だけ垂らし、のこりは後ろでくくっている。その髪が揺れて、カモミールは彼女が髪の下に傷を隠していることに気づいた。


「確かに今朝、ガストン先生がパンを買って行かれましたが」


 女性はタマラを見て戸惑っているらしい。タマラの外見は美しい女性だが、肩幅があるし背はとても高い。混乱する気持ちもカモミールには少しわかった。


「あー、なるほどなるほど、わかっちゃったわ! あいつめ、自分が毎日パンを買えないからって口実を付けてうちに置いていったのよ。ところであなた、ガストンとはどういうご関係?」

「えっ? あの……」


 カモミールがまだ話が見えないうちに、タマラが女性に尋ねている。口調はあくまで軽いが、女性の方は見てわかるほど慌てふためき、また俯いてしまった。


「あのー、うちのマリアに何かありましたかね?」


 店頭の騒がしい空気を察したのか、奥からパン職人とおぼしき男性が姿を現す。


「あらー、お父さんが店主さん? いえ、私しばらく仕事で家を空けてて昨日帰って来たんだけど、幼馴染みが今朝わざわざ『まだパンを買ってないだろう』って持ってきてくれたんですよー。あのガストンがそんなことをしてくれるなんてって驚いたんだけど、きっとここのパンはあいつが贔屓にしちゃうくらい特別美味しいのね」


 パチリ、とタマラが片目をつむっておどけてみせる。いざこざではないとわかったようで、店主は胸をなで下ろしていた。


「ああ、ガストン先生のお友達ですか! 少し前に俺が体を悪くしましてね、その時にガストン先生に診てもらったんですよ。顔は厳しいけど腕はいいし優しい先生だねえ」

「優しい?」


 思わずカモミールは小声で聞き返してしまった。ガストンが診察するところを何度か見たことがあるが、ガストンは患者に対して厳しい方だ。原因を改めろとか予後をこうしろとか、指示も細かい。


「ええ、ガストン先生はとてもお優しくて……父の病気が治った後も、何度も様子を見に来てくださったり、私の相談にも乗ってくださったりして。その、お世話になっております」


 か細い声でマリアが言い微かに頬を赤らめたので、カモミールもガストンとマリアの関係についてさすがに察した。


「マリアさんの相談というのは、もしかしてそのお顔の傷跡のことですか?」

「やっぱり……見えてしまいますよね。見苦しい物をパン屋でお見せしてごめんなさい」


 カモミールが尋ねると、マリアがますます俯く。慌ててカモミールは手を振ってそれを否定した。


「そんなことないですよ! マリアさんはとても優しそうでお綺麗だし……あ、あー、ガストンもマリアさんがそれを凄く気にしてるから、相談に乗ってるんですね。わかりました。ガストンったら、私に相談すれば済むことなのに!」


 マリアが不思議そうにカモミールを見ている。カモミールは彼女を不安にさせないように、わざと明るく言った。


「私、カモミールといいます。ガストンのお母さんであるロクサーヌ先生の弟子で錬金術師なんです。つまりガストンの妹弟子ってことですね。でも私は錬金医じゃなくてロクサーヌ先生と一緒に化粧品を作ってたんで、今は独立してるんですよ。顔の傷とかに関しては仕事柄いろいろ知ってるので」

「そうなんですか」


 カモミールの話を聞いてマリアはあからさまに安心したようだった。その様子を見ていた店主が、マリアの背中を押す。


「カモミールさん、良かったらマリアの相談に乗ってやってくれませんかね。マリア、もう店は一段落してるから、少し話しておいで」

「私は大丈夫ですよ、マリアさんさえ良かったら、お話を聞かせてください」


 マリアは父とカモミールの顔を何度か見比べ、カモミールに小さく頭を下げると店から出て来た。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?