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第98話 メリッサの意外な特技

 翌日、カモミールたちは再び船上にいた。帰りは川の流れに沿って下っていくだけだ。

 侯爵夫人は社交シーズンでもあるし、王都でやらなければならないことがあると言って残り、イザベラとイヴォンヌもそれに付いている。

 カールセンの侯爵邸から一緒に来た中で、メリッサだけが一足早くカモミールたちと帰路を共にすることになった。



 船旅1日目、カモミールはメリッサとラウンジにいた。

 昨日カモミールがバラを持ち帰った時、偶然メリッサが居合わせたのだ。試験管に大事に生けられたバラの花を見ていた彼女は、船に乗ってすぐにカモミールに声を掛けてくれた。


「カモミールさん、そのお花を大事に取っておきたいなら、綺麗なうちにばらして押し花にして、元のバラのように組み立てたらどう?」

「しおれてきたら、綺麗な花びらは取っておこうかと思ったのですが……元のバラのように組み立てることができるんですか?」


 カモミールの質問に、彼女は1枚の栞を見せてくれた。それはバラではなくスミレだったが、綺麗に色合いを残した花の形は整っており、茎や葉に至るまで揃っていて見事な出来映えだ。


「バラのように花びらが多いと手間は掛かるのだけど、できないことはないのよ。私も何度か作っているし、元は母の趣味だったからたくさん見てきたの」


 イザベラには厳格さが漂っていたし、イヴォンヌも初対面の印象は「厳しそうな人」だったが、メリッサは声も柔らかくて圧力はない。今回侯爵夫人に同行したからには侍女の中でもイヴォンヌに近い立場のはずなのだが、他に使用人がほとんどいない中、私服で間近にいる彼女はシンク家の側に住んでいて交流のあった年上の女性に近い印象がある。


「メリッサ様、よろしければご指南ください。できるところは自分でやりますので――」

「そんな、様を付けて呼ばれると気恥ずかしいからメリッサさんでいいのよ。私も平民だし。それに、侯爵邸で逗留した最後の日にカモミールさんが練り香水を作るのを見せて貰って、とても楽しそうだったから私も趣味の手先を使うことを再開したの。あなたにできないところは私がやるから安心して」


 侯爵邸の侍女やメイドの採用基準は、人柄の良さが含まれているのだろう。出自が良くとも人に気を使えない人間は不要ということかもしれない。

 カモミールから見て、イヴォンヌの持つ姉のような慈愛や、ドロシーとサマンサのような親愛はとてもありがたいものだった。メリッサも今は侯爵夫人の世話をするという仕事がないので、親しみやすい素の姿でいるようだ。


「では、お願いします、メリッサさん」

「うふふ、少し緊張するわね。あの時練り香水を作るのを見ていた私が、今度はあなたに何かを教える日が来るなんて思ってもみなかったわ」


 メリッサはラウンジにカッティングボードとナイフを持ち込み、小さなスケッチブックも持ってきた。

 出先で綺麗な花があれば摘んで持ち帰ることができるように、彼女はこれを持ち歩いているそうだ。


「お花が傷む前で良かったわ。きっと綺麗な押し花になるわよ」


 メリッサの声は歌声のように軽やかで柔らかい。イヴォンヌは見た目からして才女という印象だが、メリッサは控えめで物静かだった。

 本を読むことも好きだから、侯爵家の図書室から借りて読むことも多いという。そんな話をしながら彼女は手にしたナイフでガクの付け根の部分に切り込みを入れ、バラの花を丁寧に開いた。


「じゃあ、この花びらを1枚1枚引き抜きましょう。傷を付けないように」

「はい」


 ヴァージルがくれたバラをそのままの形で留めておけないのは残念だったが、押し花にすれば長く保存出来る。色あせていくバラを見続けて、最後に捨てる羽目になるよりはその方がずっといい気がした。


 やったことのない作業に緊張しながらもカモミールが花びらを全てばらすと、メリッサはカモミールにナイフを持たせ、「茎のこの部分を切るといい」などの指示をしてくれた。

 分解されたバラを見れば、確かに葉は葉で、茎は茎で別個に押し花にした後に組み立てやすいように工夫されている。


 それらを十分な隙間を空けつつスケッチブックにはさみ、カモミールはほっと一息を付く。


「完全に花びらが乾いてから、元の形のように立体感を持たせつつ組み立てるのよ。難しいけれど手を掛けるだけの物になるわ。それはさすがに難しいから私に任せてね。できあがったら工房宛てに送るわ」

「ありがとうございます! いい思い出になります」

「このぐらいのお手伝いなんでもないわ。私も楽しかったし。やっぱり、好きなことをするのって大事ね。侯爵邸のお仕事はやりがいもあるしいろいろと勉強にもなるけど、この前久々に少し難しいお花を綺麗に組み立てたとき、お仕事で得るのとはまた別の喜びを感じたの。

 いつか、大きいキャンバスを私の押し花で埋め尽くしてみたいと思っているのよ。季節を問わずに花々が咲き乱れる様は、きっと綺麗だと思うから」

「素敵ですね。それができたら私も是非見てみたいです」


 スミレにオシロイバナにバラにラベンダー――いろいろな花が同時に咲き乱れるところは、想像しただけでも華やかで楽しげだ。カモミールがそう思っていると、メリッサがカモミールを見つめて微笑む。


「本当に、練り香水を作っているときのあなたとお嬢様が楽しそうで、『ああ、素敵だな、私も何かを作りたいな』って思ったのよ。

 そろそろお茶にしない? 奥様から帰りも好きにお茶を淹れて飲んで良いと言われているの。せっかくだから、庶民ではなかなか飲めないいいお茶を飲みましょう。お茶菓子のグレードはすっごく落ちるけどね」


 カッティングボードとナイフを持ち、厨房に行くついでのようにメリッサが提案してくれた。これもきっと侯爵夫人の気遣いであり、カモミールたちが帰路で快適に過ごせるようにメリッサを同行させてくれたのかもしれなかった。


「ありがとうございます。では、遠慮なくご馳走になります。タマラとヴァージルを呼んできますね」

「お願いね。私はこれを片付けてお茶の準備をするわ」


 スケッチブックをメリッサの部屋に置き、カモミールはタマラにお茶の誘いを告げた。そちらはすぐに行くと答えが返ってくる。

 ヴァージルの部屋にも行き、ノックして中に声を掛けたところで、中から勢いよくドアが開いた。


「酷いよ、ミリー。恋人になったばかりの僕のことを放っておくなんて」


 カモミールを抱きしめたヴァージルが、拗ねたような声で甘えてくる。それがおかしくて小さく笑うと、「なんで笑うの」と問われた。


「だって、今までは私がずっと甘やかされてばっかりだったのに、こうやってヴァージルに甘えられるなんて新鮮なんだもん」

「そうだね、僕もそれはちょっと思うけど。……僕、もしかしたら本当は凄く甘えん坊なのかもしれない」


 ヴァージル自身も、恋人という立場のカモミールに接する態度が変わった自覚はあるようだ。

 その背に腕を回してぎゅっと抱きしめてから、カモミールは彼の耳元で告げる。


「だって、お花がしおれる前にどうしてもやらなきゃいけなかったんだもの。ほら、お茶に行きましょう。その後だったらずっと構ってあげるから」


 まるで小さいこどもに言い聞かすようなカモミールの口調に、ヴァージルも苦笑していた。


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