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第91話 ヴィアローズのデビュタント・1

 侯爵夫人から王妃への献上品はとても喜ばれたそうだ。

 ミラヴィアは国内で最高の品質と多くの人に認識されており、ミラヴィアの商標権こそ息子のガストンに受け継がれたが、彼が化粧品を作る気はないらしいということは既に噂として広まってしまっていた。

 それでは、共にミラヴィアを作っていたはずのロクサーヌの弟子は今どうしているのか? と一部では話題になっていたらしい。


 タイミング的には満を持して、というところだろう。「ロクサーヌの弟子」に対しての期待と、「ヴィアローズという言葉だけを入れたバラの香りのカード」の謎は貴婦人たちの話題としてはもってこいで、共通する「ヴィア」の名から「ロクサーヌの弟子による、ミラヴィアの後継ブランドではないか」という予測も出ているという。


 見事に的を射ているのだが、これはいくつかある仮説のひとつであり、他にもいろいろな憶測が飛び交っているのだという。想像する余地を多分に残した「ヴィアローズ」のカードはクリスティンの作戦勝ちのようだ。


 お披露目会にはミラヴィアを愛用していた貴族の夫人と令嬢、そして王宮付きの女官からの招待で数名のみが呼ばれている。狭い店の中、身分の高い来客を立たせた形式で行うのは異例だが、広さの問題でそうせざるを得ない。

 そして、招待者を絞るのは招かれた人々の虚栄心を大いに満足させ、自慢話となるだろう。ヴィアローズは最初から高級ブランドとしての箔付けが約束されている。


 クリスティンの店員は事前に全ての商品を試しており、特に石けんの違いを説明するための知識には力を入れたという。

 つまりは、カモミールはお披露目会で説明すべきことはなく、ただ挨拶をし、そこに「ヴィアローズの顔」として存在していればいいのだ。話し掛けられたことには応えても良いが、制作などの現実的な話題は全て避けてごまかすようにと侯爵夫人から指示されている。


 カモミールとしても、商品としての化粧品が売るのは美しさという夢で、原材料など知る必要はないと思っているので答えるつもりはない。原材料を聞かれたら「夜明けにバラの花びらに宿った露と、美しい姫君方の見る夢でできておりますわ」などと適当に躱すつもりである。妖精設定はある意味便利なのだ。そして、このために詩集も読みあさった。


「ミリー、緊張は?」

「してるに決まってるでしょ」

「だよね。僕も緊張してきた……」

「お願い、ヴァージルは緊張しないで。化粧筆が震えるのは嫌よ」

「だよね。ああ、深呼吸しよう」


 ふたり揃って腕を振りながら深呼吸をする。少しは落ち着いて、顔を見合わせて苦笑する余裕もできた。


 今はクリスティンの王都店の支配人室に場所を借りている。侯爵夫人とクリスティンは既に1階に降りていて、招待客の応対をしているところだ。

 まだ開始時間には間があるというのに、昨日の王妃セレナへの献上が既に伝わっていて、一目でも早く「ヴィアローズ」の品々を見たいという客が来てしまっている。侯爵夫人は挨拶のみで、お披露目会の時刻までは商品の説明もされない。

 招待客にできることは、今は数々の商品をその目で見ることだけだった。


 カモミールは既にドレスを纏っており、後は髪をセットして化粧を終えるだけになっている。

 制作者の特権として自分の肌の色に合わせたクリーム白粉を使い、ヴァージルが腕を振るってくれる化粧は特別な物になるだろう。


 そのヴァージルもいつもはふわふわとしている髪をきちんとセットしていて、侯爵家で用意してくれた服に身を包んでいる。服装的には使用人だが、「クリスティンの店員」というよりは「侯爵家の使用人」に見え、品の良い笑顔のおかげで貴族令息と言っても通じそうだ。


 ヴァージルは熱された鏝を使って手際よく、カモミールの髪を下の方だけくるくると巻いていく。

 くるりと巻いた髪を軽く彼が手でほぐすと、あんず色の髪をふわふわとなびかせ、動く度に髪の毛が弾むように動いている自分の姿が鏡に映った。前髪は固形のオイルを指先で溶かして付けてわざと癖を出し、横に流しているのでいつもと雰囲気も全く違う。


 髪をセットすると今度は化粧だ。彼の手は休むことなくカモミールの眉を形良く整え、クリーム白粉で丹念にそばかすを消し、肌を陶器のように滑らかに変えていく。

 頬にはうっすらとピンク色を載せて少女らしさを醸しだし、まぶたの上と目の横に特製のオレンジ色のアイシャドウを塗り、最後に「真珠の夢」を濃くそこに置いていく。

 目を閉じていても、自分が今どうなっているかはよくわかる。何度もヴァージルはカモミール自身を練習台にして化粧を研究してきたのだから。

 最後に侯爵家が特注で作って貰ったという白いバラを模した髪飾りを髪に挿し、ヴァージルが声を掛ける


「できたよ、目を開けて」


 彼の声でゆっくり目を開けると、自分で化粧をしたくせに呆けたような顔になっている幼馴染みがそこにいた。


「どうしたの?」

「……あまりにも、ミリーが綺麗で。本当に妖精みたいだ。……あああ、どうしよう、ミリーを最高に綺麗にしたかったけど、これからいろんな人が見るんだと思ったら」

「ふふっ、ありがとう、ヴァージル。自信がついたわ。誰よりもヴァージルに綺麗って言って貰うのが一番嬉しい」

「ミリー……」

「だから、あなたがそんなに緊張してたらダメだってば、私まで緊張してくるでしょ? 侯爵夫人に呼ばれたら、ヴァージルのエスコートで階段を降りて行くことになってるんだからね?」

「そうだね。はぁー……。よし、お美しいお嬢様、エスコート出来て光栄です」


 ヴァージルが少しおどけて礼を取る。それは侯爵家の晩餐の時に侯爵がしたものと同じで、滑らかな動きがとても綺麗だった。


「凄いわ、ヴァージル。そんなに綺麗な礼ができるのね。侯爵様みたいだったわ」

「……ミリー、侯爵邸から戻ってきた日に屋台に行って、酔っ払って僕に『侯爵様みたいにエスコートして』って言ったことを……うん、憶えてないんだよね?」

「ごめんなさいごめんなさい。そんなことまで言ったのね、私ったら」


 恥ずかしさに赤面しそうだ。今はある程度厚めに化粧をしているのでぱっと見はわからないはずだが。


「そうだ、ヴァージル。すっかり忘れてたけど、明日一緒に舞台を見に行かない? マーガレット様が私の勉強になるだろうって侯爵家で席を押さえてくださったの。舞台の時間の前後は街中を散策して、家へのお土産とか新しい材料とかを探したいと思ってるし、行けるなら美術館にも行って、夜は王都の屋台で食べ歩き! どう?」

「王都の屋台で食べ歩きかあ。侯爵邸で出して貰ってる食事ももちろん美味しいけど、やっぱりここまで来たからには行ってみたいと思ってたんだよね。でも言い出す機会がなくて。ミリーのお誘いなら堂々と行けるよ」

「じゃあ決まりね。楽しみー。お酒も飲めるー」

「いや、ミリーは毎晩飲んでるよね? 僕も飲んでるけどさ」

「王都のビールはどんなかな? 造ってるところが違えば味も違うんだろうなあ」

「あ、僕の話もう聞いてないんだね」


 ヴァージルが肩をすくめたところで、階下からカモミールを呼ぶ声が聞こえてきた。


「カモミール、私の妖精。こちらへいらっしゃい」


 侯爵夫人の合図だ。私の妖精と改めて言われると思わず笑ってしまいそうになり、緊張も抜ける。カモミールとヴァージルは顔を見合わせて頷いた。

 先にヴァージルが階段を降り、カモミールに手を差し伸べる。カモミールはその手に軽く手を乗せて、練習通りにゆっくりと階段を降りた。


 イザベラにみっちりと仕込まれた優雅な笑みを浮かべ、階段で踏まないように片手で軽くスカートをつまみ上げて、カモミールは豪奢な衣装に身を包んだ貴婦人や令嬢が集うフロアへと降りて行く。


 緊張は無かった。その場の目が自分に向いているのはわかっているが、彼女らが見ているのはカモミールであってカモミールではない。


「皆様、長らくミラヴィアを御愛顧いただきありがとうございました。ミラヴィアの共同制作者にして、ヴィアローズの制作者、カモミールでございます。本日このように素敵な場を設けていただき、皆様のお目にかかれたことを嬉しく思います」


 微笑んでスカートを軽く摘まみ上げ、ヴァージルが手を引いたので空いた手は指の先まで計算し尽くされた動きで軽く横に広げ、幼女のように少し首を傾けて礼をする。

 本来平民が貴族に対してする礼ではない。けれど、誰も非難の声など上げなかった。

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