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第82話 侯爵夫人の翼

「これはある意味とても新しいドレスよ。自然で、けれども作り手の技巧を必要とするわ。

 最近はドレスも簡略化されていくのが流行だったから、そういった点では流行の最先端でもあるわね。そして、手を掛けるべき場所には手を掛ける。見る人が見れば価値がわかるし、八重咲きのバラのようだわ。

 お披露目会でミリーが着たら、話題になることは間違いないわ! ドレイク夫人、王都の系列店にすぐこのデザインの写しを渡して、色違いで細部を変えた物を10点ほど用意するように指示をして。そして、シフォン生地を押さえられるだけ押さえるように。こちらでもシフォン生地の買い占めを今から始めるわ」


 熱の籠もった侯爵夫人の指示が飛ぶ。それを受けるドレイク夫人の声にも力が入っていた。


「かしこまりました。それでは、カモミール嬢の採寸をいたしましたら、このタマラ嬢のデザイン画からドレスを作成いたします。王都への連絡は大至急。――ああ、タマラ嬢、後で少しお話をさせていただきたいのだけれど、よろしいかしら?」

「はい、では帰りの馬車に同乗させていただく際にお伺いします」


 カモミールを除くその場の女性たちの熱気が凄い。いや、ひとりイヴォンヌだけが落ち着いてその場の人数分紅茶を出してくれた。ドレイク夫人はメジャーを取り出して手早くカモミールの採寸をし、それを書き付けて急いで布見本を片付け始めた。

 こちらはお茶を飲む余裕もないらしい。


「さすがに喉が渇いたわね」

「はい、いただきます」


 タマラが優雅にティーカップを摘まみ、口元へ持っていく。そうした動作は洗練されていて、彼女の育ちの良さが窺えた。

 特に銘柄の指定が無かったのでイヴォンヌが気を回してくれたのだろう、紅茶はあまり癖が無く、香り高くても苦みも渋みもきつくなくてするっと喉を通っていく。熱いが、渇いた喉には心地良かった。


「今日はふたりとも、忙しい中をありがとう。特にタマラ、こういう形でまた会えて嬉しいわ。元気な姿を見られて安心しました」

「マーガレット様、ご心配いただいていたことを知り、大変ありがたく存じます。わたくしも、まさか今の姿で再びここを訪れることになろうとは思ってもおりませんでした」

「元同僚が何か言うかもしれないけれども、気にしてはいけないわ。あなたは今はタマラ・アンドリュースとして生きていて、過去のあなたとは違う方向からこの侯爵領を支えているのよ。

 あなたが迷いなく描いたデザインは素晴らしかったわ。細部にこだわり、カモミールの良さを引き出した秀逸なものよ。ふふふ、俄然お披露目会が楽しみになってきたわ。――

そうそう、お披露目会の日に王妃陛下に献上しようと思っていたけれど、予定を変えるわ。王妃陛下にはお披露目会の前日に献上します。そして王妃付女官の縁からもお披露目会に人を招けるようにしましょう」


 カモミールは思わずカップを空中で止めた。つまり、お披露目会が更に大規模になるという話だ。

 戸惑いはあったが、いなはない。お披露目会と同時に王妃に献上するよりも、1日早く献上することで王妃への敬意を表すことにもなる。「王国の誰を置いても先に王妃陛下へ」ということだ。こちらの方がより礼儀に則ったものになるだろう。


 カモミールはそのように思ったが、侯爵夫人からは違った意図もあったらしい。カモミールがカップを持った手を止めたのを見て、彼女はきゅっと口元を引き締めた。


「理由は、私がお披露目会の場にいることがとても重要になってくるから。私が親しくして見せることでミリーの価値を上げることが出来るわ。守ることにも繋がるしね。

 ヴィアローズという羨望の的を掲げて、ミリーは貴族の中に切り込んでいくことになるわ。平民と言うだけで侮る者もいるでしょう。賢く美しければ嫉妬を買うこともある。それを避けるための『貴族が着ているのとは全く違うドレス』であり、私の庇護よ」

「マーガレット様……ありがとうございます」


 カモミールは今羽ばたこうとしているが、やはり雛鳥に過ぎない。侯爵夫人はその雛鳥が強く羽ばたけるよう、力強く美しい翼を広げてカモミールを守ってくれているのだ。


「平民と侮る人も――わたくしも危惧しているのはその点でございます。マーガレット様はこのドレスが流行すると予見されてシフォン生地の買い占めを指示なさいましたよね?

 平民の着たドレスということで、格を下に見る方も必ずいるはずです。敢えて貴族のドレスとの差別化をする意図はわたくしにもございましたが、このドレスがどれほどの影響力を持つかは……」


 眉を曇らせ、タマラが顎に指を当てて考え込む。それに対して侯爵夫人はカップを傾けて紅茶を飲みきってから、ソーサーに戻しつつにこりと笑った。


「ええ、『平民の着たドレス』という見方ではそういう懸念もあるわ。でも私はミリーを平民としてお披露目会に出すつもりはないのよ」

「マーガレット様、それはどういった意味でしょうか?」


 ここへ来てエドマンド男爵家への養子の話が再燃するのかと思い、カモミールは驚きながら尋ねた。そのカモミールにも、含みのある笑顔を侯爵夫人は向けてくる。


「私はミリーを『妖精』としてお披露目会に出そうと思っているの。さっきから何度も言っているでしょう? 人間の枠組みに入れようとするから身分などで蔑もうとする者が出るのだわ。見た目で年齢を計れず、美しく、平民とはとても思えぬ優雅な所作を身につけていればそれはもう妖精と言われても思うしか無いわ。

 そして、妖精のドレスならば憧れて着ても何らおかしくはない。でしょう? ミリーの工房名も『アトリエ・カモミール』よね、そこに家名は出ていない。出す必要も無いわ。

 賢い妖精が作り出した、女性を幸せに導く化粧品がヴィアローズ。そういう構図でいいのではなくて? もちろん実際のところは違うわ。ただお披露目会ではそういう意図を持って、令嬢方に夢を見せるの」


 紅茶を飲んでいる最中で無くて良かったと、カモミールはしみじみ思った。

 侯爵夫人の前でなかったら、危うく紅茶を吹き出したかもしれない。――それほど、侯爵夫人の語った内容は現実のカモミールとはかけ離れている。


「わたくしが、妖精……ですか」

「できるわ、いえ、やるのよ。大丈夫、タマラのデザインしたドレスを着て、ヴァージルにお化粧をして貰って、最高に美しくなったあなたは微笑んでいればいいの。化粧品の説明などはクリスティンの店員に任せてね。

 年若くも見え、それなりの年齢にも見え、神秘的に美しい存在になりきりなさい。あなたならできるわ。いえ、タマラとヴァージルとミリーなら、それを成し遂げられるわ」


 カモミールはタマラと目を見合わせてしまった。タマラは「任せなさい」と言いたげに頷いている。ヴァージルの化粧技術もカモミールの外見年齢を自在に変化させられるものだ。彼に任せておけば間違いない。


「そうですね、わたくしひとりではございませんから、成し遂げられると信じて努力いたします」


 友がふたり付いていてくれるのだ。それはカモミールにとってとても心強かった。

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