目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第80話 本人は蚊帳の外

 不意の予定が入ってはいけないと思い、カモミールは翌日も侯爵邸へ礼儀作法の授業を受けるために向かった。

 身に纏ったのはタマラがデザインしてくれたバラ色のワンピースだ。柄のないシンプルな生地だが、色の美しさとたっぷりと作ったドレープで上品な華やかさに仕上げている。

 受け取りをしたときにしみじみといい品物だと思った。これが経費で買って貰えたのだから、侯爵夫人には是非とも見せなければならないだろう。


 胸元にフローライトのペンダントを飾ると、やはりバラ色によく映える。

 鏡に映った全体のバランスにカモミールは満足して笑顔を浮かべ、今日は昼に一度工房へ化粧のために足を運んでくれたヴァージルも大人っぽい雰囲気が出るように仕上げてくれた。


「カモミール・タルボットです。本日も礼儀作法の授業のために参上いたしました」


 門番に挨拶すると、昨日のように門内に招き入れられる。

 グリエルマの授業に間に合うように十分余裕を持って来ているので、今日も庭園を眺めながら屋敷へと向かった。

 ヴァージルが言っていたとおり、門番の詰め所から連絡する方法があるのだろう。今日はドロシーが玄関まで迎えに来てくれた。


「こんにちは、ドロシー。今日もグリエルマ先生の授業を受けに参りました」

「ようこそおいでくださいました、カモミール様。今日のお召し物はとても素敵ですね。普段より大人びて見えます」

「ありがとう。お化粧もそういう風にして貰ったの」


 ドロシーが率直な褒め言葉をくれたので、カモミールも笑顔で返す。


「それにしても、お化粧というのは本当に奥が深いものですね。私たち侍女もクリスティン流の化粧術を身につけましたが、カモミール様のように未成年と見紛う姿からしっかりとした大人の女性に見える姿まで自在に変われる方は見たことがございません」

「お化粧してくれる人の腕がとてもいいの。――それに、私は背が低いでしょう? 若く見えるのは逆に簡単で、年相応に見せる方が難しいのよ。ドロシーは背が高いから、幼く見せるのは難しいのだと思うわ」

「そうですね。確かにそうです――私とサマンサが並ぶと、必ず私の方が歳上に間違えられますので」

「間違えられ――えっ!?」


 ドロシーの何気ない一言で、サマンサに比べて歳上だと思っていたドロシーが実は歳下なのだと初めて知った。


「私が18歳、サマンサが21歳でございます」


 カモミールの動揺を見て、彼女もまた年齢を逆に見ていたことを察したのだろう。ドロシーが付け加えた一言にカモミールは更にうろたえた。


「私よりも歳下だったの? ごめんなさい、ドロシーの方がしっかりしているように見えるし、大人びているからてっきり歳上なのだと思っていたわ」

「幼い頃から年齢より上に見られるのが常でございましたので、お気になさいませんよう」

「……あら、もしかしてドロシー、そうやって驚かれるのを楽しんでいるのね?」

「ふふっ」


 初めて出会ったときには厳しそうだと思ったドロシーが、親しげに目を和ませて微笑んでくれたのでほっとする。


「お休みの日に街で会いましょう? 社交辞令ではなくあなたとサマンサと一緒に気楽におしゃべりしたいの」

「サマンサとは休日が一緒になりますので、次の休日にでもふたりで工房へお伺いいたします」

「嬉しいわ。うちの工房にもあなたと同い年の人がいるの。経理を主に担当して貰っているんだけど、彼女もとてもしっかりしているのよ。ドロシーとは話が合いそう」


 親しく話し合えるのも、「侯爵邸の客人」としての逗留あってのことだ。今のカモミールはその時ほど大仰には扱われていない。

 ドロシーと会話しながら歩き、通された先は侯爵夫人の応接室だった。グリエルマの授業が始まる時間までここで過ごすようにとのことなのだろう。

 侯爵夫人は今の時間は昼食中のはず――と思っていたら、すぐに彼女はこちらの部屋にやってきた。


「マーガレット様、ご機嫌麗しゅう存じます。本日もグリエルマ先生の授業を受けさせていただきたく参上いたしました」

「ごきげんよう、ミリー。その服はとても素敵ね。あなたのことだから普段着しか買っていないのではないかと思ってワンピースを誂えて無理矢理持たせたのだけど、きちんと用意していたのね。良かったわ」


 侯爵夫人の一言で、笑顔を崩さないままカモミールは「やはり無理矢理だと思っていたのか」と内心項垂れた。そういうことならば、先に服を誂えていると伝えておけば良かったかもしれない。


「ジョナスがバラの妖精と言って褒めそやすわね。綺麗なバラ色だけど、強すぎなくてあなたにちょうど似合っていてよ。それに、袖や首回りにたっぷり入ったドレープが優雅だわ。あなたのすらりとして華奢な首と小さい顔が引き立って見えるわね」

「お褒めいただき光栄に存じます。友人のタマラというデザイナーがわたくしに合わせてデザインしてくれたのです」


 タマラが「ミリーは首が華奢ですらっと長いから」とその部分が引き立つようにデザインしてくれた服だ。服の見てもらいたいポイントが的確に侯爵夫人に伝わっているのが嬉しくて、カモミールはタマラの名前を出していた。


「タマラ……。ミリー、そのデザイナーの家名を教えてくれないかしら」

「はい、家名はアンドリュースです」


 タマラの家名を口に出すのは実は初めてで、カモミールは少々ドキドキとしていた。間違っていたらどうしよう、という不安が頭をチラリとかすめていく。


「タマラ・アンドリュース……黒髪の? ああ、やっぱりロバート卿のことね。

 よく憶えているわよ。とても良くいろいろなことに気がついて素晴らしい騎士だと思ったのだけれど、その気配りは騎士としては行き過ぎた繊細さと優しさのせいだったのね。明らかに戦いに向いていない優しい気質の人だと、彼を見る度に思っていたわ。

 心を病む前に騎士を辞めたのも正解だと思うし、自分に合う道を選ぶことができたなら何よりね。

 それよりも――なんと呼ぶべきかしら、タマラ嬢と呼ぶのがきっとふさわしいのよね――タマラ嬢のセンスは素晴らしいわ。友人というけれど、ミリーとはどのくらいの付き合いの長さなのかしら?」

「わたくしがカールセンに来てすぐ知り合いました。シンク家の側に家を持っておりますし、兄弟子であるガストンとは昔からの友人だそうです。

 彼女にはとても良くして貰っております。ロクサーヌ先生が亡くなってシンク家から追い出された際も、わたくしを庇って宿を貸してくれたのはタマラでした。年齢は少し離れておりますが、親友と思っております」


 カモミールの言葉を聞き、ソファに座った侯爵夫人は花が綻ぶように笑んだ。


「親友と思っているのね、とても素敵。複雑な事情を持った彼女の側にあなたのような友達がいてくれるのは、本当に幸いなことよ。それに、タマラ嬢もあなたの良さの引き出し方をよく心得ているようね。

 急で悪いのだけれど、明日の午後タマラ嬢を連れていらっしゃい。王都のお披露目会であなたが着るドレスをそろそろ仕立てる準備に入らなければと思っていたのだけれど、お抱えの仕立屋だけでなくタマラ嬢にもデザインに参加して貰いましょう」


 明日とはまた急な話だ。しかしタマラも自分も都合を付けようと思えば付けられる仕事である。なにより、侯爵家と仕事をすればタマラのデザイナーとしての評判も上がる。


「かしこまりました。お伺いする時間は何時にいたしましょうか」

「2時で。あなたの工房の方に馬車を回すから、ふたり一緒に乗っていらっしゃい」

「お心遣いありがとうございます」


 お披露目会用のドレスと聞いてやはり少し緊張したが、タマラが側にいれば心強い。カモミールは頭を下げ、ちょうどそのタイミングで応接室がノックされてグリエルマの授業の時間だと告げられた。



 そして翌日――。


「こちらの形はいかがでしょうか。王都の令嬢の間で流行の最先端を行くドレスの形です。カモミール嬢はお若く見えますし女性が相手の仕事ですから、『年齢よりも若く見える』方が魅力的ではないかと」

「わたくしが心配しておりますのは、若く見えることで実績を軽く見積もられて侮られることなのです。むしろ、年相応よりも若干大人びて見えるほどがちょうどいいのではないかと思っております」

「悩ましいわね……。どちらにも長所と短所があるわ。私は流行に囚われないドレスにしたらいいと思うの。ジョナスがミリーのことを妖精の君と呼ぶのだけれど、実は私もその呼び方が気に入っていて、少し浮世離れした妖精のように見せたらどうかと思っているのよ」


 カモミールを下着一枚で立たせたまま、侯爵家お抱えの仕立屋であるドレイク夫人とタマラと侯爵夫人が頭を突き合わせて議論を繰り広げていた――。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?