今でもごく稀に弟のことをぼんやりと夢に見るの。
でも、夢は夢なのだわ。現実ではない。だって、家族に聞いても、書類を見ても、「私の弟」がいたという事実は何の痕跡も残っていないのだもの。
だから、これは私の夢と現実が混じった思い出。
私ひとりの胸に秘めている、鍵の掛かった日記帳のようなもの。
母が亡くなったのは私が本当に幼い頃で、私は母の死を重く捉えられなかった。思い出に残るほどの記憶がないの。
ただ、とても寂しかったのはうっすらと憶えているわ。
だから、父が再婚するという話を聞いたときには反対などなく、むしろ嬉しかった。
私にもお母様ができるんだわと、私自身がもう成人しているのに思ったの。
父よりは私の方に年齢が近い女性が嫁いでくる直前、父は男の子を孤児院から家に迎えた。おそらく、下級貴族ではあるけども家を継ぐべき男子がいなかったことが心配の種であったのね。
もちろん、父と新しい母の間に男子が生まれることも十分に期待出来たけれど、父は継母にそういう重責を負わせたくなかったのではないかしら。歳こそ離れているけれど、父と継母はとても仲がいいから。
男子が生まれたらその子を嫡男とすればいいのだし、養子にした子はその後も十分な教育があれば貴族家などで補佐役として働くことも出来る。
ああ、何を考えているのかしら、私ったら。
こんなことは細かく考えても意味はないのに。だって弟なんて「いなかった」んだもの。
トニーというのが、私の弟の名前だったわ。まだ当時は5歳くらいだったかしら。ふわふわした金髪で、孤児院育ちなのにおっとりとしていて、とても優しいいい子だった。
私のこともお姉様と呼んで慕ってくれたわ。ええ、間違いなく私は、家族が増えて嬉しかった。それまでのエドマンド家は灯りが消えたようで、重苦しく感じたの。
トニーは必死に勉強し、貴族家の子息にふさわしい振る舞いを身につけるために努力していた。こんなに幼い子がどうしてここまで頑張れるのかしらと思ったけれど、父が彼の聡明さを買って、繋がりがある家からではなくあの子を選んで迎えたのだと聞いて納得したわ。
「エドマンド男爵家の末席に連なる者として恥じないよう、勉強しているのです。僕がいつか家を継ぐことがあっても、生まれるかもしれない弟が家を継ぐことになっても、この研鑽は無駄になることはありません」
そんなことを少し恥ずかしがりながら言っていたのは、あの子が7歳の頃だったかしら。ちょうど妹が生まれて、男子ではなかったことで家の中全体に微妙な空気が漂っていたときだったような気がするから。
なんていい子なのかしらと本当に思ったわ。だから、私は私の弟を誇りに思っていたし、何度も抱きしめて母代わりの愛情をあの子に注いでいた。
……おかしいわね、こんなにあの子のことを憶えているのに、顔ははっきりと思い出せないの。
思い出せるのは、あの子の金髪と、「お姉様」と私を呼ぶこどもらしい高い声ばかり。
本当に、思い出せないの。
いつの間にか消えてしまった私の弟……。
時々夢の中にだけ出てくる、私の可愛いトニー。普段は、忘れていることすら気づかない、夢の欠片。
なんでこんな夢をまた見たのかしら……。
トニーと同じ年頃のはずのミリーを可愛がっているからなのかしら。
それとも、ヴァージルという青年が、思い出の中に残るトニーとよく似た金髪だったからかもしれないわ――。
でも彼とは前にもミリーの工房で会ったことがあるわ。あの時は夢を見たりしなかった。
どうして、今日に限って。
ああ……わかったわ。
あの青年の美しいお辞儀が、トニーと本当によく似ていたからなのよ。