翌日、ヴァージルは一度職場に行って侯爵邸訪問の許可を取ることにし、カモミールは先日持たされたばかりのクリーム色に花柄が散らされたワンピースを着て工房で待機していた。こういう日は半端に仕事をしても集中出来ないとわかっている。
「その服新しいですね、ひとりで買いに行ったんですか?」
めざとくキャリーが気づいて話し掛けてきたが、カモミールはそれに対しては否定した。
「侯爵家から帰るときにお土産に持たせて貰った包みの中に入ってたのー。侯爵夫人からは『お土産にお菓子をたくさん持たせてあげる』って言われてたし、本も何冊か借りてたからかさばりと重さに何の疑いもなく受け取っちゃって……」
「な、なるほど……侯爵夫人は結構実力行使で来る方なんですね」
「お話をしているとしみじみ思うんだけど、優しい方なのは間違いないけど、食えない方でもあるわ。さすが上級貴族って感じね」
ふたり揃ってはぁー、とため息をついた。キャリーは侯爵夫人と面識がないし工房の協力者であるので悪い印象は持っていないはずだが、釣られてしまったのだろう。
「まあいいじゃないですか。このくらいの服が無料で手に入ったと思えば」
「キャリーさん気楽ね……確かにお金の点で見ればそうなんだけど、私としては負い目が増えていくんだから」
「大丈夫大丈夫。昨日買ってきた雲母もありますし、侯爵領に貢献出来るような売り上げが出せますよ!」
「そうなることを祈るしかないわ。あー、そうだ、テオ! 私がいない間にこの雲母、できるだけ粉にしてくれない?」
「今晩屋台に連れてってくれるならいいぜ」
無料の労働力であるはずの精霊が、当たり前のように対価を要求してくる。いや、本来精霊は労働力に数えるものではないのだが。
だが人を雇うよりは安上がりだし、何しろテオは錬金術師の誇りなのか仕事が丁寧だ。
「それくらいならいいわよ。あー、助かるー! 私よりテオの方が力あるんだもん」
「任せろよ。その気になればフレイムドラゴンを退治できる腕力だぜ」
褒められて機嫌がよくなったのか、テオが右腕に力こぶを作って見せた。
フレイムドラゴンを退治したのはフレーメであってテオではないのだが、確かにテオの腕にはしっかりとした筋肉が付いている。基にした人物がよかったと言うことだろう。
「ミリー、お待たせ。じゃあ髪型だけ整えて行こうか」
工房にひょいとヴァージルが顔を出したので、カモミールは髪をセットしてもらい、ヴァージルと連れ立って侯爵邸へ向かった。
乗合馬車を使って侯爵邸の近くまで行き、そこからは徒歩だ。ヴァージルは高級店の店員だけあって、平民としては上質な物を着ていた。カモミールと並んで歩いても一切見劣りするところがない。
侯爵邸の門番に名前と訪問理由を告げると、あっさりと通される。もう侯爵邸ではカモミールの名前は完全に認知されているようだ。
「凄いね、僕だとここで待たされるんだけど。ミリーだと『どうぞお通りください』になるんだ」
「やっぱりこの前の客人扱いで、使用人全てに通達があったっていうのが効いてるんだと思うわ。……でも、うん、前みたいに緊張しない。
あそこの庭園の中にね、タイムだけが植えられた小さな丘があるの。フレーメが金を作ったことでその後錬金術師の技術が狙われて隣国が攻め込んできたとき、この町が最前線になって、ジェンキンス侯爵家が戦い抜いたことを忘れないようにっていうことらしいわ。私にも関係する話だから、繋がりに気づいて本当に驚いたの」
門から玄関まで、馬車のために整備されている道を歩いて行く。庭園の横を歩いていると、逗留の最終日にアナベルとジョナスと共に散策した記憶が蘇った。
歩きながら庭を眺めてヴァージルにその時の話をすると、ヴァージルは驚いていた。
「フレーメってテオの姿の基になった錬金術師だよね、あの工房を昔使ってた。……うわー、そんな繋がりがあったなんて」
「300年近く前のことよ、普通自分と関係あることだなんて思わないじゃない。――ああ、今日もここのバラは綺麗ね」
「ミリー、庭園を眺めながら歩く余裕があるんだね。僕はさすがに緊張するよ」
「仕方ないわよ。だって、平民が気軽に来られる場所じゃないもの。でもヴァージルが緊張してるの見るのって新鮮かも」
「面白がってるね? ちょっと前まで自分だってそうだったくせに」
ふたりでしゃべりながら歩いていると、長いはずの道のりが短く感じた。玄関の前に着く直前、内側から扉が開いてサマンサが姿を現す。
「カモミール様、ようこそおいでくださいました」
「サマンサ! ごきげんよう、今日はグリエルマ先生の授業の前に、マーガレット様にご覧に入れたいものがあって早く来たの。それにしても、どうして私が訪問したことが伝わったのかしら?」
「こういうところではね、門番の詰め所から声を伝える方法があって、それで来客を知らせてるんだよ」
侯爵家の担当として何度もここへ来ているせいか、ヴァージルはカモミールの疑問について答えてくれた。サマンサも頷いて肯定を示す。
「『クリスティン』の店員をしております、ヴァージル・オルニーと申します。侯爵夫人へのお取り次ぎをお願いいたします」
「かしこまりました。カモミール様、ヴァージル様、どうぞお入りくださいませ」
ヴァージルが流れるように取った礼がとても優雅だった。隣でそれを見てカモミールは思わず目を丸くしてしまう。
サマンサについて邸内を歩きながら、小声で隣を歩くヴァージルに尋ねる。
「ヴァージルの礼って凄く綺麗ね。どこで習ったの?」
「だから、僕はあの『クリスティン』の侯爵家担当だよ? これくらい習うし、出来なかったら担当を任されてないってば」
「それもそうよね……」
クリスティンの顧客には貴族も多い。店で働くヴァージルをじっくり見たことはあまりないが、店員たちもカモミールには気楽に対応しているが客によっては対応を変えないととてもやっていけないのだろう。
今日も通されたのは夫人の私的な応接室の方だった。座って待つようにと告げられたので遠慮なくソファに座らせてもらい、侯爵夫人の到着を待つ。
ヴァージルは初めて見る侯爵家の応接室に、物珍しげに辺りを見回していた。
やがて、応接室に侯爵夫人がやってきて、その後にワゴンを押すイヴォンヌが続いていた。カモミールとヴァージルは立ち上がって侯爵夫人に礼を取る。
「ご機嫌麗しゅう存じます、マーガレット様。本日はお約束もなく突然の参上にも関わらず御対応いただき、誠にありがとうございます」
「ごきげんよう、ミリー。礼儀作法の授業にも来る必要があるのに、それ以外に時間を取ってわざわざあなたが訪ねてくるのだもの。大事な話に間違いないのはわかっているわ。そちらは?」
侯爵夫人がヴァージルに目を向け、それを受けてヴァージルが自己紹介をしながら再度礼をした。やはり美しい所作で、これから家で礼の練習をするときにはヴァージルに見てもらった方がいいかもしれないとカモミールは思う。
「お初にお目にかかります。わたくしはヴァージル・オルニーと申します。『クリスティン』の店員でカモミール嬢とは幼い頃から付き合いがあり、その縁で本日は新しい製品を使った化粧を担当させていただきます」
「新しい製品? まあ! ヴァージルというのね、あなたの所作はとても綺麗よ。まるで貴族家の子息のようだわ。あなたもミリーのような礼儀作法の授業を受けたのかしら?」
「……奥様、彼は『クリスティン』でも侯爵家との連絡を受け持っております。それなりの教育を受けていることは間違いございません。今までも何度かわたくしは顔を合わせたことがございますし、ミリーの工房でも会ったことがございます」
「あら、イヴォンヌも彼を知っているのね。それならある意味安心だわ。どうぞ、ふたりとも座って楽にしてちょうだい。お茶をいただきながらお話を聞かせて貰うわ」
「それが……」
カモミールはこれからこの場で化粧を実演することを説明した。お茶を用意しかけていたイヴォンヌは手を止め、カモミールの化粧が済んでから改めてお茶を、ということになった。