工房に駆け込んできたカモミールを見て、キャリーは状況を察したらしい。カモミールの邪魔にならないようにとのことなのか、声を掛けずに書類仕事をしている。
カモミールはテーブルの上に金属板を載せ、雲母を乳鉢の棒で叩いて砕いた。脆いと言われただけあって、カモミールの力でも砕くことが出来る。
黒い不純物の部分を丹念に取り除いて、乳白色の部分だけを集めて乳鉢に入れて磨り潰す。これは力と根気が必要だったが、やがてきめ細かくきらきらとした光沢を持つ粉ができあがった。
「やったー! これだわ! これで正解なのよ!」
また顔を右半分と左半分で化粧法をわけ、その両方にブラシを使って雲母の粉を載せる。
「キャリーさん、どう見える?」
「あっ、どちらも良い感じですよ! 程良くきらきらしていて……これ、何ですか?」
「雲母の粉なの。アイアランド鉱工商会っていうところが採掘から流通までやってるって聞いてきたわ」
「わかりました、アイアランド鉱工商会ですね。商業ギルドで場所を聞いて行ってきます。どのくらい仕入れればいいですか?」
「えーと、まず3キロくらい? そんなになかったらあるだけでいいわ。後は売れ方を見て仕入れを変えるようにしないと」
「了解です、行ってきます」
キャリーが即行動に入る。きっと彼女なら値段交渉まで全てやってくれるだろう。
もうこれは新商品として決定だった。既存の白粉に混ぜても良いし、単独で使ってもいい。カモミールの作りたかった液体白粉はクリーム白粉になったが、この粉を上にはたくかどうかは人それぞれで良いと思うし、手間が1段階減るのは間違いない。
侯爵家から戻った翌日は二日酔いとその他諸々のショックでまともな活動は出来ず、夕飯をヴァージルに奢るために食べに行ったくらいしか出歩かなかった。
化粧水もできあがったことだしと、昨日今日は液体白粉の試行錯誤に費やした。
そうすると、グリエルマの言いつけ通りに侯爵邸に後2回行かなくてはならないので、あと4日のうちに2回出向くことになる。後回しにすると予定が入ったときに恐ろしいことになるので、明日出向くことにして、その時の化粧にこの粉を取り入れてみようとカモミールは思った。
夕方ヴァージルが帰宅するのを捕まえ、工房でカモミールは雲母の粉を見せた。
「ねえ、これお化粧の上から付ける粉にするつもりなの。どう?」
ヴァージルは興味深そうに、雲母の粉を少量手の甲に載せて見ている。
「きらきらしてるんだ、面白いね。これは凄く流行るんじゃないかな。白粉の上から顔全体に付けるつもり?」
「そのつもり。付ける度合いできらめきも変わるわ」
「アイシャドウに入れない? まぶたがきらきらしたら凄くいいと思うんだ。これから試してみてもいいかな」
「じゃあもうひとつ見てもらいたいものがあるの」
カモミールはクリーム白粉を持ってきてヴァージルの前で手の甲に塗り広げて見せる。
白粉の色自体は真っ白ではなく肌の色に近いので、ヴァージルはそこでこのクリームがただの下地クリームではなくクリーム状の白粉だと気づいてくれた。
「……これ、侯爵邸に行く前にはなかったよね?」
「前々から、液体の白粉を作りたかったの。簡単にお化粧ができるようになるだろうと思って。それで化粧水と混ぜて作ってみたんだけど上手くいかなくて、油とカオリンを混ぜたら感触がだいぶ変わったから下地クリームと混ぜることを思いついたのよ」
「ミリーは本当に凄いね。構想があったとはいえ二日でこれが作れるものなんだ。これも凄く面白いね。下地クリームと混ざっているなら直接塗れるんだよね? 試してみていい?」
「もちろんいいわよ」
カモミールが許可を出すと、ヴァージルは水道で手を洗い、手を拭ってから化粧水をカモミールの肌にペタペタと付けだした。
「あ、私の顔で?」
「当たり前だよ。僕は自分の顔に化粧をする趣味はないよ」
「ヴァージルがお化粧をしたら結構美人になると思うけど」
「タマラさんじゃないんだから……ほら、目を閉じて」
言われるがままに目を閉じると、まんべんなく化粧水を肌に押し込まれるように付けられ、その後で顔にクリームを塗り広げられる。
ぺた、ぺた、とヴァージルの手のひらが頬を押さえる感触が少しくすぐったい。
「ムラにならないね。伸びも良いし、案外薄く広げることもできる……へえー。でも仕上がりは粉感がない分好き嫌いが分かれそうかな。そうか、だからこの雲母の粉があるんだ。へえええー」
普段化粧品を扱っているヴァージルの言葉は参考になる。彼はしきりに感心しながら、太いブラシを使って手の甲に載せた雲母の粉を軽くカモミールの顔に広げた。
「色はほとんど付かないのに、艶感が出るんだ。へえー」
完全にヴァージルは探究モードに入ったらしく、しきりに「へえー」を連呼しながら化粧品を並べ始める。
「口紅……はなんか違うな。頬紅の上からこの粉を付けた方が良さそうだけど、それは単に手順だから……やっぱりまぶただよね。ミリー、アイシャドウを付けるからもう一度目を閉じて」
「はいはい」
まぶたの上にヴァージルの指が滑って、アイシャドウを塗られているのがわかる。いつもより濃いめに塗られている気がしたが、多分気のせいではないだろう。
そこにまたブラシで今度は多めに粉を付けられた。
「ミリー、鏡を見てみて」
鏡を見るまでもなく満足げなヴァージルの様子を見れば大体のことはわかるのだが、カモミールは鏡を覗き込んで思わず「わあ」と声を上げた。
肌色としては自然に見えるのに、艶めきのせいで華やかさが増している。特にまぶたは濃いめに付けたアイシャドウの上に更に粉を多く付けているので、よりきらきらと輝いていた。
「自分で思っていたより差が凄いわ」
「だよね。僕もミリーにお化粧をしていて、凄く手応えを感じたよ。これは特に貴族の女性の夜会用化粧品として売れるよ、間違いない」
「やっぱり、ヴァージルは腕が良いわよね。私が自分でやったときとかなり違うわ」
「まあね、これでも努力してるから」
ヴァージルが得意げに笑った。テオは女性の美醜については全く興味を持たないので、彼の意見は全く参考にならなかった。その点ヴァージルは信頼が置ける。
「じゃあ、これはこのまま商品化出来るわね。一回り小さい容器を発注しないといけないけど」
石けんのせいでお披露目会の日程が延びていたので、今から発注しても容器はなんとかなりそうだ。明日の午前中にそれはキャリーに頼むことにする。
「ヴァージルのおかげでいろいろ参考になったわ! 明日侯爵邸に行く予定だから、お昼にまたお化粧をお願いしてもいい?」
「いいよ。……例えばだけど、侯爵夫人の前でこのお化粧を僕が実演してみせるのはどうかな?」
「礼儀作法の授業が昼食を食べてすぐ始まるから、それだと午前中から行くことになるけど……ヴァージルの予定は大丈夫なの?」
「店は僕ひとりいなくてもなんとかなるし、ミリーの化粧品の大事な話だからオーナーか店長に話せば許可が出ると思う。間違いなく『クリスティン』の利益に繋がる話だしね」
「確かにそうだわ……じゃあ、明日このクリーム白粉と粉を持って行って、実際にお化粧するところを見ていただきましょ! じゃあ夕飯食べに行こうか、どこがいい?」
「待って、その前にお化粧を落とさないと駄目だよ。クリームに油分が入ってるから、ただ洗うだけじゃ駄目だからね。石けんで落とすか、下地クリームで浮かせて落とすかしないと」
一仕事終えたから夕食に、と思ったらヴァージルに止められる。化粧は夕食後に風呂屋で落とせばいいと思っていたので、思わずカモミールは頬を膨らませた。
「後でお風呂に行ったときに落とせばいいじゃないー」
「よくないよ。ミリーが綺麗にお化粧をして出歩いたら、知らない男に声を掛けられるかもしれないんだよ?」
ヴァージルが真剣な顔で言うので、カモミールはつい吹き出してしまった。この幼馴染みは、どこまで過保護なのだろう。
「本当に心配性よねー、過保護だし」
「心配にもなるって。はい、下地クリーム。たっぷり塗って顔をしっかりマッサージするんだよ?」
「はいはい。はあ、化粧品に関してだけはテオよりヴァージルが口うるさいわね」
苦笑しながらカモミールは下地クリームを受け取り、それをたっぷりと肌に載せてマッサージを始めた。