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第71話 庭園に秘められた歴史

 練り香水を作って見せた後、カモミールは図書室に案内してもらい、詩集を探した。

 今までこういった芸術的な文章は好みではないと思って触れてこなかったのだが、昨日グリエルマが持ってきてくれた詩集は偶然なのかカモミールの感性に合い、気持ちよく読むことができたのだ。


 以前読んだ詩は難しい言葉の羅列で、何を言っているのかさっぱりわからなかった。それがカモミールが詩から遠ざかった原因だ。

 昨日読んだ詩集は言葉選びの美しさや情景を現す比喩表現が豊かで、「これは商品名を付けるときに参考になるわ!」という思惑の元に読んでしまった。それでも楽しかったのだから、大当たりなのだろう。


 詩集がどの辺りにあるかを教えてもらい、著者の名前で探す。なかなか見つからないので焦ったが、なんとか1冊だけ見つけることができた。午前中にしか読む暇はないのだから、これでちょうど良いかもしれない。


 部屋に戻ると、ジョナスとアナベルがソファに掛けてカモミールを待っていた。


「ミリー、お庭に行きましょう! 朝のうちの方がお花がいきいきしてるのよ」

「妖精の君、私たちと庭園を散策しようとお誘いに来ました」


 手にした詩集を思わず見て、カモミールは困ってしまった。確かに花は朝が生き生きとしているし、侯爵家の庭園を散策するのも楽しいだろう。けれど、今苦労して探してきた詩集が少し不憫だ。


 カモミールの視線が本に向いたのに気づいたのだろう、ドロシーが声を掛けてくれた。


「図書室にある本でしたら、奥様にお話をしておけば貸していただけますよ。次にいらっしゃる際にお持ちいただければ問題ございません」

「そうなの? ご迷惑ではないかしら」

「持ち出しがあって差し支えがあるような本なら、最初から図書室には置きません。個人の蔵書としてお手元に置かれますから」

「カモミール様のご興味を惹くような本がございましたら、何冊か借りて行かれてもよろしいと思いますよ。錬金術の役に立つ本があるかは存じませんが」


 サマンサも提案してくれる。

 詩集はむしろ感性を鍛えるためと思って持ってきたので、これはじっくり読むために借りることにして、カモミールは午前中の前半をジョナスとアナベルのお誘いに乗って庭園を散策することにした。


「姫様、坊ちゃま、お誘いありがとうございます。是非ご一緒させてくださいませ」

「ええ! ミリーとおさんぽ、うれしいわ」

「では妖精の君、お手を」


 ソファから降りたジョナスが当然のように手を差し出してくる。身長差の関係で、エスコートと言うよりはただ手を繋いでいるだけなのだが。


「アナベル様も、よろしければお手を」

「いいの?」


 ジョナスと繋いでいる反対の手を差し出せば、嬉しそうにアナベルも手を繋いできた。エスコートの意味がなくなったが、ジョナスはそれでも嬉しそうなので良かった。


「それでは、お庭を散歩してくるわね」

「行ってらっしゃいませ」


 先程の練り香水を作った感想などを話しながら、3人は庭園へ向かう。

 今日は爽やかに晴れていて、庭師が丹精込めて整えたであろう庭園には黄色いバラが咲いていた。バラ以外にも、姿の美しい植物や丈が低い花も織り交ぜて庭が彩られている。


 ただ歩いているだけでも心浮き立つような場所だが、その中に見慣れた植物を見つけてカモミールは足を止めた。


「ああ、これはタイムですね。昔は戦場に出る兵士に、沿道の人々が手渡したとも言われています。勇気を象徴すると言われるハーブで、踏んでも枯れずにより丈夫に育つような植物なのですよ」


 他の草花を交えずにタイムだけが小さな丘に植えられている。カモミールが説明をすると、踏んでも枯れずにより丈夫になると聞いてジョナスが目を丸くしている。


「トム、このハーブは踏んでも大丈夫なの?」


 少し離れたところにいた庭師にジョナスが問いかけている。トムと呼ばれた中年の庭師は側に来て一礼し、頷いてジョナスの問いを肯定した。


「はい、大変に丈夫な植物でございます。一通り踏んでみてはいかがですか? 踏むと爽やかな香りが立ち上ります。カモミール様も、よくご存じで」

「私は錬金術師だから、ハーブのことはそれなりに詳しいの」


 さっき居間にはいなかった使用人だが、朝のうちにやりたい植物の世話が多かったのだろう。トムと顔を合わせた記憶はなかったが、侯爵家の使用人は全てカモミールを客人として相応の扱いをするように周知されていると聞いた。名前も当然知られているらしい。

 ドレスを着てジョナスとアナベルと共に庭園に来たのだから、一目で客人とわかったに違いない。


 トムの言葉で、ジョナスとアナベルがこんもりと丘のようになっているタイムの群生している場所で元気よく走り回り始めた。


「あっ! 本当だわ、香りがする!」

「スッキリする香りだ」


 楽しそうな兄妹の様子を見て、トムもニコニコとしていた。


「おふたりともまだお体が小さいから、あれならいくら跳ね回っても大丈夫そうね」

「はい。ジョナス坊ちゃまはともかく、アナベルお嬢様まであんなに楽しそうに走り回る姿は本当に久しぶりに見ましたよ。――ありがとうございます、カモミール様」

「お礼を言われることなんて何もないわ。私はただ自分の知っていることを伝えただけで、踏んでみることを提案したのはあなたですもの」

「それはそうですね。では、おふたりの興味を引き出してくださったことを感謝いたします」


 トムはカモミールに深々と礼をした。庭園の中の植物についてこどもたちが興味を持ち、深い知識を得てくれることが嬉しいのだろう。


「さて、坊ちゃま、お嬢様、何故ここにタイムだけが丘のように植えられているかはご存じですか?」


 タイムの丘を小さな足で一通り踏んで回ったジョナスとアナベルが戻ってくると、トムがふたりに問題を出した。ふたりはきょとんとして、なかなか答えが思いつかない様子だ。

 カモミールも、料理に使うならわざわざこんな丘のように植える必要はないと疑問に思っていたので、黙ったままふたりが答えるのを待っていた。


「えーと、例えば病気に効くとか?」


 考えに考えてジョナスがやっと答えると、トムは真面目に頷いて見せた。


「そういった植物もございますね。

 カモミール様が先程仰ったとおり、昔は戦いに出る人々にこのハーブをお守り代わりに渡す習慣がございました。250年ほど前まで、このジェンキンス侯爵領は隣国と接していたので、戦いがあったときの最前線だったのです。

 何代も前の侯爵様も勇敢に戦い、この地を守りました。その後、戦争に勝って国境は動き、今はこの地が戦いの場になることはございません。――ですが、勇敢に戦った人々がいたことを忘れぬよう、ジェンキンス家が剣を取る家であることを忘れぬよう、このようにタイムを植えていると庭師に代々伝えられております。

 この歴史を、いつかは侯爵様も坊ちゃまにお伝えになることでしょう」


 昔ここが国境だったという話は聞いたことがあったが、今のジェンキンス侯爵領がとても平和で隣国とも緊張関係にないため、カモミールはそういったことを気にしたことがなかった。

 250年前程前の隣国との戦争と言われて思いつくのは、フレーメが金を作り出したことで、この国の錬金術師の技術が狙われ、攻め込まれたという話だ。よく考えるとカモミールとも密接に関わりがあるのに、「昔のこと」とそれ以上考えたことがなかった。


 けれども、侯爵家にとってはそれは生々しい歴史のひとつなのだ。その象徴がタイムなのだろう。


 爽やかな香気を立ち上らせているタイムを振り返ってじっと見て、ジョナスは目の奥に強い光を湛えて頷く。


「ありがとう、トム。僕は今教えて貰ったことを忘れないよ」


 物腰柔らかく、女性に対する褒め言葉が凄いので軽い気質かと思っていたジョナスが、侯爵家に生まれた重さを噛みしめているようだった。カモミールはそれを見てトムに尋ねる。


「トム、このタイムを一枝摘んでもいい?」

「はい、どうぞ」


 許可を得て、ふたりに踏まれていない折れていない枝を探し、カモミールはそれを摘んだ。そして、ジョナスの着ている服の胸にあるポケットにタイムの枝を差した。


「ジョナス様がいついかなるときも、侯爵家に伝わる『勇気』を心に掲げていられますよう」

「妖精の君……! やっぱり僕と結婚してください! 僕の伴侶はあなた以外考えられません!」

「んもー、おにいちゃま! おやめなさいな!」


 感極まったジョナスがカモミールに抱きついて駄々をこね始め、呆れた様子のアナベルが腰に手を当てて怒っている。その様子を見て、笑い出さないようトムが肩を振るわせていたが、すぐ後ろを向いてしまった。耐えきれなくなったのだろう。


「ジョナス様……以前はお話ししませんでしたが、わたくしは幼く見えても20歳なのです。その、ジョナス様とは年齢が」

「ということは、僕が15歳の時に妖精の君は28歳なのですね? 大丈夫! そのくらいの歳の差の結婚など貴族にはよくあること!!」


 よくあることかもしれないが、それは女性が歳下のケースだ。しかも相手が歳上な上に平民など――いや、以前ヴィアローズを売り出すために平民という身分が問題になるなら、エドマンド家の養女にすることも考えていると侯爵夫人が言っていた。

 ジョナスがこのまま本気でカモミールを想い続ければ、貴族家の養女に入れるくらいのことはされそうだ。それまでカモミールが未婚でいればの話だが。


 ジョナスが成長する間にもっとふさわしい相手に巡り会ってくれることを切実に祈りながら、カモミールは困り果てて力ない笑顔を浮かべるしかなかった。

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