陶器製のバスタブに服を剥がれて放り込まれ、カモミールが声も出せずにいる間に全身と髪をとんでもない手際の良さで洗われる。
恥ずかしいとか口に出す余裕もなく、真顔のドロシーと終始笑顔のサマンサに翻弄され続け、気がついたらマッサージ用のベッドに寝かされていた。
髪には毛先までオイルを塗って、蒸したタオルで包み込まれて頭の後ろでまとめられ、体の方も全身にオイルを塗り込まれてこれでもかと言うほどもみほぐされた。頭の先から爪の先までというのは誇張でも何でも無く、手足のマッサージや爪のケアまでされる。
オイルにはラベンダーの精油が入っていたのか、覚えのある心身をリラックスさせる香りに包まれて、大変な事態になっていると思いつつもうっかり眠ってしまいそうになった。
「カモミール様、終わりましたよ」
サマンサの声でハッと我に返る。眠ってしまいそうになるどころか、知らないうちに眠っていた。最初こそ抵抗があったが、蕩けるような気持ちよさだったことは間違いない。
「気持ちよかった……痛いところもあったけど」
「脇の下のリンパ腺ですね。詰まっておりましたので少々強く流れるようにマッサージをさせていただきました」
血管と共に体中を巡るリンパ管は免疫系の重要な機関である。これに詰まりがあると流れが悪くなり――。
「脇の下のリンパって、詰まるとどうなるの?」
錬金医ではないカモミールは疑問を率直にサマンサに投げかけた。サマンサは少し微妙な顔で言葉を濁しつつ答えてくれる。
「本来、胸の方にある脂肪が流れずに滞ります。……ですので、他の部分が痩せたときにお胸だけが……」
「良かったのか悪かったのかよくわからないわ」
カールセンに来てから、特に太りもしなかったし痩せもしなかった。胸の大きさは身長なりで、お世辞にも豊かとは言えない。
だったら脇のリンパは詰まったままでも良かったんじゃないかと一瞬思ってしまった。
マッサージに使うオイルは毛穴から吸収される。今も肌にべとつくようには残っておらず、残っていた部分だけを拭われて着替えを促された。
リボンやレースは少ないが、スカートを膨らませるパニエを穿く必要があるドレスが用意されていた。見た感じでは新品ではなく、それにほっとしてしまう。
「これは、どなたかが着ていらっしゃったものなのね」
「奥様がご実家から引き取られたものです。つまり奥様が少女時代に着ていらっしゃったドレスということになります。今の流行からは外れておりますが、カモミール様に良くお似合いの可憐なドレスですよ」
「マーガレット様のドレス……」
なんということだろう。マーガレットの実家について詳しいことは知らないが、従妹に王妃を輩出するほどの家柄なのだ。お古でほっとしたのは確かなのだが、きっとカモミールが今後着る機会が無いような高級品なのだろう。
マーガレットはくすんだ金髪だが、カモミールは赤髪だ。用意されていたドレスは水色で、そのまま着たらカモミールの髪色には似合わない。――先日買ったスカートは最初それを気にして躊躇ったのだ。
どうするのかと思っていたら、ドレスを着付けられた後、髪を編み込みにされてまとめられ、黄色や白の花飾りの付いたピンを髪に大量に刺された。色を増やして赤を抑えるというやり方なのだろう。
化粧もサマンサとドロシーの手によって施される。用意されていた化粧品は、予想に違わずミラヴィアだ。先程の入浴とマッサージで肌は潤っているので、下地クリームを付けた後にそばかすの目立つ部分だけ白粉を練ったものを塗られて隠される。
全体に白粉をはたいた後で、アイラインを引かれ、睫毛をカールさせられ、眉を整えられ、頬に軽く紅を入れられる。アイシャドウはピンク色で薄めに入れられて。ジョナスに「妖精のように美しい」と言われたときのような若々しさを強調したメイクができあがった。
「素敵ですわ。本当に、お可愛らしい」
ドロシーが一歩下がって全体のバランスを確認しながら、珍しく笑顔でカモミールを褒めた。
やはり、侯爵夫人はこの「若々しく愛らしい」というイメージでカモミールを売り出したいのだろうか。
クリスティンの様な「いかにもできる女性」というのは憧れるが、カモミールがそういう化粧や装いをしたところで似合うかどうかは不明だ。
ヴィアローズを売り出すに当たって、しっかりした女性を制作者とするか、愛らしい女性を制作者とするか、どちらを選ぶかでイメージは変わってくる。
カモミールが考え込んでいるうちに、靴下を履かせられ、ドレスに合わせた水色の靴が用意されていた。ヒールはそこそこ高い上に少し細い。不安になったが履いてみると安定感があったので安心した。
「ヒールが細いから心配したのだけれど、驚くくらい安定感があるのね」
「はい、本当に良い靴というものはヒールが細くてもきっちりと重心を捉えて、決して歩きにくくなるものではないのです」
歩き回って確認するカモミールにドロシーが説明をしてくれる。靴職人に興味を持ったことはなかったが、どの分野にも素晴らしい技術はあるのだなあと感心をした。
「奥様の少女時代もこうだったのかしら」
「カモミール様と奥様はどことなく似ていらっしゃるわよね」
「私とマーガレット様が? 若く見える点は一緒だけど、髪の色も違うし私は似ていると思ったことはないわよ?」
大分ふたりと会話を交わすことにも慣れてきた。サマンサが真顔で「ここだけの話ですが」と口の横に手を当てて顔を近づけてくる。思わず耳を寄せると、こっそりと彼女が告げたことにカモミールは吹き出しそうになった。
「奥様もそばかすが残っていらっしゃるんです。事あるごとにそれを気になされて……領地の運営問題よりもそばかすの方が、奥様を悩ませていると言っても過言ではありませんわ」
「サマンサ、その話は……」
ドロシーも強い調子では止めようとはしない。侯爵邸の侍女の中では周知の事実なのだろう。
「それにしても、ふたりともとてもお化粧が上手なのね。私の幼馴染みがクリスティンで働いているのだけど、彼もとても上手なの。それに引けを取らなくて驚いたわ」
これ以上追求してはならないと、侯爵夫人のそばかす問題からは話を逸らす。そばかすを隠したいときにはカモミールも今のように厚塗りをしてごまかしてきたが、根本から薄くできたらどんなに良いだろうと思う。
ポーションを入れた化粧水ならあるいは、と思いついて、頭の中にメモを取っておくことにした。
「わたくしたちのお化粧の技術については、クリスティンから講師を招いて技術を磨いたのですよ。ですので、やり方としては同じだと思います」
「ああ、そういうことだったのね、凄く納得したわ」
鏡に映る自分を確認して、まるでヴァージルに化粧されたときのようだと思う。
これからの特訓はやりきって自分に自信を付けようと決心したカモミールだったが、今ヴァージルが隣にいて手を取ってくれて、「よく似合ってるよ」と言ってくれたらどんなに安心するだろうかと思った。