「ご挨拶が遅れました。わたくしはサマンサと申します。3日間、誠心誠意カモミール様のお世話をさせていただきますので、よろしくお願いします」
カモミールが慣れているだろうと気を利かせてくれたのか、紅茶ではなくほっとする香りのハーブティーを淹れてくれた侍女がお辞儀をする。
サマンサはドロシーよりも少し若く見え、明るい笑顔と可愛らしい声が特徴的だった。少しキャリーの面影を感じられて、それにも安心する。
「カモミール・タルボットです。よろしくね、サマンサ」
先程ドロシーに指摘されたように、敬語は使わず、けれど親しみを込めて挨拶を返す。サマンサは嬉しそうに笑い、話を続けてくれた。
「カモミール様のことは奥様やお嬢様、坊ちゃまからもお伺いしておりましたので、お会いするのを楽しみにしておりました。ミラヴィアをロクサーヌ・シンク様と共に作り上げられた錬金術師と伺っております。
同じ年頃の方があの素晴らしい化粧品を作り上げられたのだと思うと、尊敬せずにはおられません。――ドロシーはきっと顔には出しておりませんが、若い年齢層の侍女の中で、カモミール様は憧れの存在なのですよ。今回カモミール様付きということで選ばれて、とても喜んだのはわたくしもドロシーも一緒です」
若々しい声でそんな風に言われると照れてしまう。自分は何も凄いところがないのに、まるで偉い人のように勘違いしてしまいそうだ。
サマンサの言葉に、黒髪をまとめてキリリとした印象を与えるドロシーは彼女をたしなめる。
「サマンサ、言い過ぎです。カモミール様は同世代の友達ではなく正式なお客様なのですから、言葉を控えなさい」
「いいえ、失礼ながら、カモミール様にはお伝えした方がよろしいかと思ってのことです。わたくしたちが奥様から仰せつかったことは、カモミール様のお世話をすることと、カモミール様にご自分の価値を自覚していただくことですから」
ここでキャリーだったら「褒め倒しますのでよろしく!」と宣言しそうな勢いだった。けれどさすがは侯爵邸の侍女、言葉に少々勢いがあっても、落ち着きの方が上を行っている。
「わ、私はそんなに凄い人間ではなくて、ごく平凡な庶民よ。尊敬されるような人間ではないので、そう言われると困ってしまうというか……」
困惑をそのまま言葉に乗せて伝えると、元々真顔のドロシーどころかサマンサまで真顔になった。
「カモミール様、卑下はおやめください。誰かから尊敬を受けるというのは、それにふさわしい功績や人柄あってのことです。想像してみてください。カモミール様が尊敬する人にその尊敬の念を伝えたとき、相手の方がそれを否定されたら?
――おわかりですね。卑下は何も生みません。自分の価値を下げることは、相手に対しても失礼になりかねませんので。
出過ぎたことを申しました。お許しくださいませ」
サマンサが深々と頭を下げる。それを慌てて止めようとし、カモミールは彼女の言葉を思い出してぐっと止まった。
サマンサの言葉は全く正論だ。確かに自分はミラヴィアを生みだした。その功績はロクサーヌと共に得たものだが、カモミール無くしては作れなかったものも多々ある。
「……私は、正直戸惑っています。確かにミラヴィアをロクサーヌ先生と共に作り出したのは間違いないけれど、農家に生まれた平民だし、自分自身を特別な人間とは全く思えない。私がこれから売り出す化粧品は確かにジェンキンス領の特産品として扱われるかもしれないけど、私自身はごく普通の、このような扱いを受けるべき人間とは思えなくて。
あなたたちのように堂々としたい。自信を持てるようになりたい。マーガレット様はそれこそをお望みだと思うのだけれど、どうしたらいいのかが全くわからないの」
中身が半分ほどに減ったカップをテーブルに置いて正直な気持ちを吐露すると、サマンサとドロシーが頷いた。
年若い侍女を付けた、という侯爵夫人の意図が若干見えた気がした。年頃こそ同じでも、彼女たちは自分に自信を持ち、堂々としている。それがカモミールとの大きな違いだ。
「平民かどうかが重要ではないのです。カモミール様はジェンキンス侯爵邸の正式なお客様なのですから、それにふさわしい扱いをと奥様から言いつかっております。それだけ、カモミール様は重要な人物として認められているのです」
ドロシーの少し厳しい声の後にサマンサの明るい声が続く。
「奥様は常々仰います。本当に偉いかどうかは、生まれついた身分には関係ないのだと。奥様がジェンキンス侯爵夫人として敬われ、贅沢な暮らしができるのは、全てこの領民が働き、様々な産物を生み出しているおかげなのだと。
ご自分のお仕事は、それにできるだけの価値を付けて他へ売ったり、足りない物がある土地には必要なものを回したりと領地全体を調整することで、その仕事に尊さの差はないとお考えなのです。
侍女のことも、ご自分にできない身の回りのことをしてくれる職の者として大切にしてくださいます。だからわたくしは、そんな素晴らしい奥様にお仕え出来ることを誇りに思っています」
「平民であることは、単にそう生まれついたというだけ。それ以上の意味はありません。――少なくとも、この屋敷に勤める人間は共通してそのように認識しております。
イヴォンヌ様が侍女の中でも敬われる理由は、その経験と知識の深さ、そして奥様へ対する敬愛の念が形となって現れている侍女の鑑だからです。男爵令嬢という身分からではありません。
カモミール様にとっての誇りはなんですか? それを思い浮かべてみてください。きっと背筋が伸びて、自信が持てるようになりますよ」
ドロシーの落ち着いた言葉がカモミールに問いかける。
ああ、彼女らは「侯爵邸の侍女をしている」ということに、「自分に箔が付く」とかの理由ではなく、自らの内側から見いだした価値を抱いている――。カモミールはそれに気づいて心が震えるほどの驚きを抱いた。
自分の誇りは、なんだろう。――やはり、ロクサーヌと過ごした日々、そして作り出した化粧品だ。作り出したからにはいい評価を得たいし、商品を喜ぶ人たちに応えたい。
そのためなら、自分が広告塔になることなど、躊躇ってはいられない。何がきっかけでヴィアローズを手に取ってくれるかはわからないが、まずは手に取って貰わなければ良さは伝わらないのだ。
「ふたりともありがとう。目が覚めたような心地です。――そうね、私は自分の作り出した化粧品のためにも胸を張って、その価値にふさわしい自分であらねばいけないんだわ」
目の前が急に明るく開けたと思った。カモミールは自分に真に必要なものをここに至ってやっと理解したのだ。
ヴィアローズを本気で売り出したいのならばと広告塔になることを承諾してはいたが、それに対して必要なものは何なのかが「若く見える外見」しか理解出来ていなかった。
外見だけ取り繕っても自信が無いのが透けて見える人間が、ヴィアローズにふさわしい広告塔になれるはずはない。
「やっと、自分に必要なものがわかりました」
落ち着いてお茶を飲み干したカモミールに、ドロシーも今までよりも柔らかい微笑みで応える。
「それはよろしゅうございました。――それでは、カモミール様がご納得されたところで、あちらのバスルームに湯の準備が整っておりますので、まずはご入浴を。その後髪の毛のケアと、全身のオイルマッサージを受けていただきます。頭の先から爪の先まで磨き上げて、ジョナス様に『妖精のように美しい』と讃えられた美貌を引き出しますのでお覚悟を」
「お覚悟!? 覚悟が必要なの!? ま、待って、そっち方面ではまだ心の準備が」
「さあ、カモミール様、参りましょう」
ささやかな抵抗は、サマンサが笑顔で腕を取ってきたので封じられた。
一瞬前までの納得が吹っ飛んで、一気に顔を青ざめさせたカモミールだった。