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第59話 ヴァージルの存在

 困り果てて、混乱して、カモミールがふと思いついたのは誰かに相談したいということだった。

 相手は――タマラしかいない。カモミールが気づく前から何度もヴァージルとカモミールの関係についてからかわれていたのだ。そのくらい、彼女にとってはわかりやすく見えたのだろう。


 重い足取りでタマラの家へ向かい、ドアをノックする。

 ドアを開けたタマラは、カモミールの格好を見て目を見開いた。


「ミリー! この前買った服ね! やっぱり可愛いじゃない!」

「う、うん。……エノラさんもヴァージルもそう言ってくれたわ」

「入って入って。今日はどうしたの?」

「あのね……」


 家の中に入ったはいいが、立ち尽くして言い淀むカモミールにタマラが眉を寄せる。


「何かあったの? 話しに来たんでしょう? ミリーの話ならいつでも聞くわよ」

「タマラ……。もし――もしもの話よ? ずっと近くにいて今までなんとも思ってなかった人のことを突然好きになったらタマラはどうする?」

「どうするも何も! ミリー、やっと自分の気持ちに気づいたの? ヴァージルのこと好きなんでしょう? 私なんかずっとそう思ってたわよ。それにヴァージルもミリーのこと好きよ。間違いないわ。お互いに好き同志なんだから告白しちゃいなさい」

「お互いにずっと好きだった……?」


 やはり、タマラはお見通しだった。自分のことではないとごまかしたつもりだったが見抜かれているし、相手がヴァージルであることもしっかりと把握されている。


 しかし、ヴァージルの気持ちについてはどうだろうか。自分たちはただの幼馴染みだとお互いに思っていたはずだ。言葉でもそれは何度も確認している。

 ――けれど、何故かタマラの言葉の方がしっくりくる。


「私、ずっとヴァージルのことが好きだった……だけど、思い返すと頭に靄がかかったみたい。なんでただの幼馴染みって言い続けられたのかしら」

「鈍いわねえ……」

「どうしよう、タマラ。ヴァージルに顔を合わせるのが恥ずかしいよぅ」

「あー、もう。ヴァージルが帰ってくる頃に一緒に行ってあげるわ。自分の気持ち、言える?」

「無理よー、無理! ……でも、このままは嫌……」


 タマラが優しくカモミールを抱きしめてくれる。安心しろと背中をゆっくりとさすられて、カモミールも徐々に落ち着いてきた。


「こういうことはね、当事者同士よりも見てる方が案外よくわかったりするの。

 向けるまなざしの優しさや、笑顔の輝きとかでね。私は間違いなくあんたたちは両思いだって自信があるわ。

 悪い結果にはならないはずよ。不安よね? そう思うのは仕方ないわ。一緒に行って近くにいてあげる。だから、落ち着かない気持ちを抱えたままでいないで、勇気を出すの。案外向こうもミリーが気づくのを待ってたかもしれないでしょ?」

「うー……」

「じゃあこのままでいる?」

「無理……だって、本当に胸が苦しいくらい好きなの。あのブローチを一目で選んだのは運命だと思ってたけど、タマラの言うとおりヴァージルの目の色だって思ったからなんだわ。……言うだけ言うことにする。怖いけど」

「偉いわ。恋する女の子ってとっても輝くのね。じゃあ今日早速行きましょ。他の人がいないときがいいんでしょ? 当たり前だけど」


 カモミールが無言で頷くと、タマラはヴァージルの帰宅を工房の前で待つのがいいだろうと助言をしてくれた。



 この時期、日が傾き始めてしばらくするとヴァージルが帰ってくる。

 カモミールはずっと落ち着かない気分を抱えたまま、冷たい手をぎゅっと握りしめて工房の外の道路寄りの場所で彼を待っていた。


 そわそわと道路を見ていると、涙が出そうな程に愛おしいシルエットが姿を現す。


「あ……ただいま、ミリー」


 カモミールの姿を見つけたヴァージルが、まだ少し気まずい思いを抱えているのか、困ったようなはにかんだ笑顔を向けてきた。

 いつものことなのにヴァージルにただいまと言われるだけでこんなに嬉しいなんて、おかしい。どうかしている。

 困ったように自分を見ている彼への愛しさで、目が潤んだ。瞬きをしたときに涙が一筋こぼれていく。


 カモミールが泣いていることに気づいたらしいヴァージルははっと息をのんだ。慌てて駆け寄ってくる。


「な、なにかあった!? ミリー、泣いて」

「ヴァージル……。私……私ね、あなたのことが好き。ずっとずっと好きだったの。思い出したわ。どうして忘れてたのかわからないけど、この気持ち、このまま隠して一緒にいられない」

「僕も、ミリーのことが好きだよ。心の底から愛してる。君は闇の中にいる僕を照らしてくれる太陽だ」


 ヴァージルは甘い言葉を苦しげに吐き出すと、カモミールをぎゅっと抱きしめた。その腕の力の強さにカモミールは驚いた。そして、間違いなく彼も自分を愛してくれているのだと言うことも伝わってくる。


「ヴァージル……」

「ミリー、僕の目を見て。ずっと見てて。……愛してるよ。だから忘れて欲しい。僕の気持ちも君の気持ちも」

「なんで!? 何がいけないの? ――うっ!」


 気を失いそうになるほどの頭痛がカモミールを襲う。ヴァージルの手がカモミールの後頭部に伸びてきて、頭を支えられた。

 そして、ゆっくりと唇を重ねられる。驚きが心を支配しようとしているのに、頭痛がそれ以上の力でカモミールの何もかもを縛り付けている。


「僕だけ抱えていけばいいんだ……さあ、ミリー、眠って。いつも通り起きたら僕のことは……」


 ヴァージルの声が急速に遠ざかる。そして、カモミールの意識はそこで途切れた。



「ヴァージル! あんた、今何をしたの!」


 物陰に隠れてふたりの様子を見守っていたタマラが飛び出してくる。意識を失ったカモミールを抱いたまま、ヴァージルはハッとしてタマラから一歩遠ざかろうとした。


「タマラさん!? いつからそこに」

「最初からよ! ミリーが今日相談に来たの。あんたのことが好きだって気づいたって。でも勇気が出ないからって、一緒に来てたのよ。

 紫色の目……いつもと違うわ。ヴァージル……あんた、本当にミリーに何をしたの!? まさか、前に頭痛を起こして倒れたのもあんたのせいなの?」

「忘れるんだ、今見たこと全部。僕もミリーもただの友達同士、あなたもそう思ってる。僕たちの気持ちのことは忘れて」


 ヴァージルが強い口調でタマラに迫る。夕日に照らされてアメジストの目がギラリと光った。――けれども、タマラは変わらず怒りに満ちた表情でそこに立っている。


「魔法が効かない……何故」


 青ざめるヴァージルにタマラははっとして、服の中に潜っていたサファイアのペンダントをたぐった。


「魔法? まさか、あんた魔法使いなの? 家に伝わる退魔のペンダントよ。本当にそんな効果があるなんて信じてなかったけど、母の形見だからって身につけてて良かったわ」


 タマラがペンダント取り出してみせると、ヴァージルは悔しそうに唇を噛んだ。


「僕はミリーの側にいなきゃいけないんだ。でも、お互い恋愛感情を持つとややこしい関係になる。……だから、ミリーが僕への恋心を自覚する度に魔法で封じてきたんだよ」

「なんて事してるのよ! 人の心を魔法で操るなんて! ミリーに全部言うわ。それで、あんたから離れさせる」

「僕だって! 僕だって苦しいんだ……ミリーのことを誰よりも愛してるのに! 相思相愛だってわかっているのに彼女の感情を封じる苦しさがタマラさんにわかるかい!? 愛してるのにそれを押し殺してただの幼馴染みとして振る舞う苦しみは!? 僕は、彼女と永遠に結ばれることはないんだよ?」


 カモミールを抱き留めたまま叫ぶヴァージルの頬を涙がこぼれる。こんなにも感情を露わにしたヴァージルをタマラは初めて見た。


「……何か事情があるのはわかったわ。それに、やっとあんたの本音が聞けた。ミリーをあんたとのことでからかうのはやめるわ。苦しむのはミリーもだもの。でも、見逃すのは今回だけ。今度何かあったら、承知しない」

「見逃して、くれるのかい?」

「今回だけよ。だって今のあんた――ミリーの何倍も苦しそうだから。あんたの気持ちを考えたら、軽々しくミリーに言うことなんてできない。

 ねえ、これだけは憶えておいて。この子の恋心は本物なの。宝石を買いに行ったとき、ミリーは迷わずに紫と緑の混じったフローライトのブローチを選んだのよ。一目惚れだ、運命だって言って。……あんたの紫と緑の目と、全く同じ色の宝石だったわ」


 タマラはヴァージルに向かって手を伸ばした。ヴァージルはびくりとしたが、タマラの表情を見て踏みとどまる。

 そっとカモミールごとヴァージルを抱きしめながら、タマラはゆっくりとヴァージルに語りかけた。


「怒ってごめんなさい。私は……あんたのことも心配よ。ミリーみたいな特別な友達じゃないけど、友達だとは思ってるもの。できることならふたりとも幸せになって欲しいのよ。ミリーにあんたが言ってるみたいに、言って楽になれることがあるなら聞くわ。聞いちゃいけないことなら聞かない」


 タマラの腕の中でヴァージルは身を強ばらせていたが、優しく話す声が染みてきたのか、やがて嗚咽を漏らし始めた。


「ううっ……僕は……本当の僕を知ったらあなたはきっと軽蔑する……住んでる世界が違うんだ」

「だから、無理に聞かないわ。苦しんでる人を見るのは嫌なの」

「酷いことをしてる僕に、なんでタマラさんはそんなに優しくできるんだい?」

「……自分が悲しい思いをたくさんしてきたから、かしらね」


 慈愛に満ちたタマラの声に、ヴァージルは声を殺して涙を流し続けた。

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