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第56話 回り始める工房

 化粧水に使うティンクシャーができあがるまでにまだ数日かかるので、カモミールは翌日を調香に費やすことにした。昨日の帰り道に原料にする精油も種類を買い足している。


 先日構想を立ててメモをした「いとしの君」、「妖精の楽譜、「セレニティ・ルビー」の3つだ。このうち「セレニティ・ルビー」だけはイヴォンヌのために作った香水のアレンジなので、一番作りやすいはずだとここから始めることにする。


 小さなビーカーと試香紙ムエツトを用意し、使うつもりの精油を周りに並べる。それが物珍しいのか、昨日の経費を整理していたキャリーが手を止めてこちらをじっと見ていた。


「これから香水を調香するの。キャリーさんにも感想を聞きながらやるつもりだからお願いね」

「香水を作るのを見るのは初めてです。うちの父は全然違う分野の、大錬金術の流れを引いた錬金術をしていましたから」

「ギルド長ってもしかして魔力持ちなの?」

「そうですね、私には引き継がれませんでしたけど」


 魔力があるなら大錬金術の流れを引いた錬金術を未だにやれるのは納得だ。案外、出回っているポーションなどは彼が作った物もあるかもしれない。


「魔力持ちで大錬金術をやってるのか? そいつここに連れてこいよ! 俺がいろいろ教えてやるから」

「嫌です。錬金術の研究してるより、ギルド長やってる方が収入が安定してるんです」


 大錬金術と聞いてテオが大喜びでキャリーに提案をしたが、すげなく断られている。テオがしおしおと項垂れた。


「確かになあ……金になる研究ができる奴とそうでない奴は落差が激しすぎるんだよなあ」

「しかも、金にならないとわかっていても、本人全く気にしないんですよね……」


 キャリーの声が低く、怨念がこもっている。テオは自分のことでもないのにキャリーに向かってぺこぺこと頭を下げた。


「すまん。錬金術師ってのはそんな奴らなんだ。……金にならないはずの研究から稀にとんでもない発見をする奴がいるから、自分の研究もいつか必ず世界の役に立つと思ってんだよ」

「賢者の石を作り出したテオドール・フレーメもそうだったの?」


 少し興味が湧いて尋ねてみると、いや、とテオは首を振った。


「あいつはバカだから……役に立つとか立たないかとかまで考えてなかったし、金になるかどうかも考えてなかったし、ただ面白そうかどうかでやってたな……」

「マクレガー夫人とは真逆ね」

「でも賢者の石も作ったし、エリクサーもホムンクルスも作ったし、金も作り出したんですよね? 無欲の勝利ってやつなんでしょうか」

「あ、なんとなくわかっちゃった……結局、探究心で突き進む人が一番いい結果を出すってことなんじゃないかな」


 フレーメは天然の天才で、マクレガー夫人は努力の人だ。夫と息子を失ったことが彼女を大疫禍に対抗する道へとより走らせたのだろう。

 きっとそこには悲しみや無力感があって、彼女はそれを突き進むための原動力に変えた。一方フレーメは自分が楽しいから爆走したということだ。


「カモミールもたいした錬金術はできないくせに、探究心と執念に関してはかなりいい線行ってるぜ」

「お褒めいただきありがとう。もうテオには夕食おごらない」


 ポーションも満足に作れないことを密かに気にしているのに、そこをぐっさりとテオは刺してくる。腹が立ったので、カモミールは調香に専念することにした。


「なんでだよ! 俺の楽しみなのに!」

「魔力使わなければ食べる必要ないでしょ? 大錬金術で食べ物でも作り出せば?」


 思わず声に棘が混じった。調香で悩んでいるところにコンプレックスをつつかれたのが相当苛立ったのだ。


「もうポーション作らねえぞ」

「……それはちょっと困る」

「あの、提案ですが、テオさんには歩合制でお給料を払うというのはどうでしょう。作ったポーションに関して、市場での買い取りと同じ価格で買い取りをするとか。確か品質は比べものにならないほど高いんですよね?

 そうすればカモミールさんは高品質ポーションを安定入手出来て、テオさんは時々なら自分で買い物をして好きな物を食べられるような収入を得られますよ」


 テオとカモミールの間に流れた微妙な空気を読んだのか、そろそろと挙手をしてキャリーが提案をする。

 咄嗟にこういった提案ができるところが彼女のいいところで、カモミールは錬金術ギルドでたまたま求人したときに担当したのがキャリーだったことを思わず感謝した。


「キャリーさん、賢いわー。でもそれをするとテオはポーション量産しちゃう!」

「1週間なり1ヶ月なりの買い取り上限を決めるんです。もしくは、テオさんに発注という形で」

「そうしよう。テオもそれでいい?」

「仕方ないからそれで妥協してやる」


 せっかく知った食べる楽しさを失うのが嫌なのだろう、テオは渋々といった体で了承した。


「うう……昨日は酷い目に遭わされたけど、キャリーさんが来てくれて良かった……」

「いやあれは! カモミールさんがちょっと常識外れに貧乏性で小心者なんですよ!」

「だからお金のことは任せます……」


 事案は丸投げして、再び調香に戻る。

 イヴォンヌに作った香水は唯一の物のつもりで作ったので、それなりにはトゥルー・ローズが入っている。しかし一番低価格ラインの「セレニティ・ルビー」にそれをやっていては限りあるトゥルー・ローズがそのうちなくなってしまう。


 トゥルー・ローズの半量を「貧乏人のバラ」ことゼラニウムに置き換え、トップノートは前回と同じミントとオレンジを使うことにする。ミントとオレンジは香りの相性がいいしどちらも香りが飛びやすいので中盤以降により強く出てくるバラの香りをそれほど邪魔しない。


 ラストノートにはシダーウッドを選んでいたが、迷いに迷ってラストノート自体を削ることにした。オードトワレはアルコールの比率に対して香料の比率が少ないので揮発性が高く、3時間程度しか持たない。それを考えるとミドルノートまでで止めておいてもいいかと思ったのだ。


 ビーカーに入れた精油とその量をメモに書き留めながら、香りを重ねていく。最初はごく少量で作り、薄める前の試作品にムエットを浸して香りを確かめる。

 スパイシーさと落ち着きを出していたシダーウッドがなくなった分、甘さが強く出たブレンドになった。


「キャリーさん、この香りどう?」


 キャリーにムエットを渡すと、彼女は香りを確かめてうっとりとする。


「甘くて爽やかで優しい香りですね。私、これ好きです」

「ありがとう、じゃあちょっと付けてみて。時間が経つと香りが変わるから、感想が欲しいの」


 ビーカーの中にアルコールを入れてオードトワレにして、スポイトで吸い上げた一滴を彼女の手首に垂らす。


「いい香りですー。だけど、私の好みは置いておいて『セレニティ・ルビー』っていうなんだか高貴なイメージとは若干ずれがある気がします」

「やっぱりそう思う? スパイシーさを削ったせいで深みがなくなってる気がするのよー」


 悩みながらビーカーにシダーウッドを入れて、トップノートのオレンジをレモンに変えた物とベルガモットに変えた物のふたつを用意する。嗅ぎすぎてしまうと感覚が狂ってくるが、試行錯誤は必要だ。


 ベルガモットの方が落ち着いた香りになったが、レモンの弾けるような爽やかさも捨てがたい。悩みに悩んだ末、「愛し君」と「妖精の楽譜」がフローラルな香りにするつもりであることを思い出し、差別化をはかるためにレモンを選ぶことにした。


「最初の印象と、時間が経ったときのイメージの差が結構ありますね。香水って今まで手が出ないから興味を持たないようにしてきたんですけど、面白いです」

「じゃあこれで決まり。最初に作ったオードトワレはキャリーさんにあげるわね」

「いいんですか!?」


 キャリーは立ち上がって驚いているが、試作品だったし使い道もない。このまま捨てるよりはキャリーにあげたほうがよほどいい。

 ビーカーの中身を遮光瓶に移してキャリーに渡すと、「カモミールさんのところに来て良かった……」としみじみ感謝された。


 それで弾みが付き、「愛し君」と「妖精の楽譜」の調香もなんとかその日のうちに終えることができた。最初に生産する量を発注した香水瓶の数から決定し、原材料をどのくらい仕入れるかをキャリーが計算する。


「じゃあ、この発注書は帰宅したら父に渡しておきます。父に明日ギルドで出してくれるように言いますので」


 ギルド内に身内がいると恐ろしく便利だと言うことをカモミールは知ってしまった。もうキャリー無しで工房が回る気がしない。


 なお、テオの扱いは「ポーション発注制」になった。これから化粧水がどれくらい売れるかで変化してもいいようにとのことだ。

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