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第55話 運命の出会い

「疲れた、休みたい」


 服はまとめて工房に配達して貰うよう手配し、店を出た途端カモミールは早速ぼやいた。

 途端にタマラとキャリーが同じ表情で振り返る。


「嘘でしょ? 早すぎよ」

「まだまだ始まったばかりですよね?」

「私としては終わったー! って思ったところよ!? ふたりとも元気すぎない?」

「ほら、やっぱり元気じゃない」


 つい大きな声を出してしまったら、タマラに素早く指摘された。カモミールはかくりと首を落とす。


「体力は全然よ? でもあんなたくさんの服に囲まれて、凄い勢いのふたりに囲まれて、しかも最後の最後で支払合計がわからなかったっていう私の心の疲れをわかってよ……」

「支払合計は13万7500ガラムです。高かったのはオーダーメイドのワンピースですね。その次がそれに合わせた靴です。その次は絹の靴下」

「うううっ」

「しっかりしなさい、ミリー! お金払っただけの価値がある服ができあがってくるわよ。侯爵夫人にお茶に呼ばれる度に服を借りるわけにはいかないでしょう? その時の申し訳なさを何度も繰り返すよりはマシだと思いなさい」


 タマラの言葉にカモミールははっとした。イヴォンヌはそんなことは気にするなと言うだろうが、申し訳なく思うのは間違いないのだ。


「それもそうね! なんか一気に気が楽になったわ。……大丈夫、大丈夫よ。ここで14万使っても、いきなり明日からパンと水の生活になったりしないんだから……」

「これから宝飾店に行きますけど、平気ですか?」


 せっかく精神が少し持ち直したところにキャリーが追い打ちを入れてくる。カモミールは道路にしゃがんで膝を抱えてしまった。


「怖いよぉ-……」

「キャリー! そっちの腕持って! 引きずって連れて行くわよ!」

「わかった、タマラ!」

「ひえー、知らないうちにふたりともすっごい仲良くなってるぅ~」


 抵抗もむなしく、カモミールは引きずられるどころかふたりに持ち上げられて宝飾店の前まで連れて行かれることになった。



「はい、着いたわよ。シャキッと立って!」

「はい……」


 見るからに平民には関係のなさそうな豪華な造りの店の前に連れてこられ、カモミールはスカートの皺を必死に手で伸ばした。

 まさか宝飾品を買う羽目になるとは思っていなかったので、髪型もいつものお下げで来ているのがとても恥ずかしい。


「さあ、行きますよ! こういうお店はお客を選びますから、なめられたら終わりなんです」

「私、選ばれないお客さんだよぉー」

「本当に何言ってるの? 個人的といえども侯爵家のお茶会に招かれる人間が、普通の平民扱いされるわけないでしょ。諦めなさい、いい加減」


 元騎士の言うことにはとてつもない説得力がある。カモミールは覚悟を決めて、深呼吸をすると背筋を伸ばした。キャリーが先に立って店に入り、それに付いていく。


「いらっしゃいませ。お客様。本日はどういった品物をお探しで? ひとつ向こうの通りにも宝石を扱う店はありますが」


 地味ながらも仕立ての良いことがわかるドレスに身を包んだ店員が、笑顔で3人の前に立った。迎える台詞に「入る店が間違っている」という意味が含まれているのはさすがにカモミールにもわかる。このような店に入るには、カモミールやキャリーの服はあまりにも貧相なのだ。


「いえ、このお店がいいんです。ジェンキンス侯爵家のお茶会に招かれる時に着るドレスをオーダーしてきたところなので、そのデザインに合わせたペンダントをあつらえようと思いまして」


 きっぱりとキャリーが言い切る。ワンピースがドレスになっていて話を盛っているが、こういうときの彼女はとても頼もしい。

 店員は怪訝そうな目をカモミールたちに向けた。そこへタマラが一歩前に出て、店員の顔をじっくりと見始めた。


「あら、あなた化粧品は何をお使い? 彼女は地味に見えるけど、ミラヴィアを作っている錬金術師のカモミール・タルボット嬢よ。共同経営者のシンク氏が亡くなって、新しい展開のためにジェンキンス侯爵夫人とこの子がたびたび相談することがあるから侯爵邸に出向くのにふさわしい装いが必要になったの。

 お店を間違えたかしら? ひとつ向こうの通りに行きましょうか」


 ぱっと見は迫力がある美人に見えるタマラが腕を組んで店員を上から見下ろす。そしてにこりと店員に笑いかけると踵を返して店から出ようとした。


「ミラヴィアの!? わたくしも使っております、大変失礼いたしました。こちらへどうぞ」


 ミラヴィアの名前を出した途端、店員の態度が手のひらを返したように変わる。カモミールとキャリーにだけ見える角度で、タマラがふふんと得意げな顔をした。

 化粧品は基本的には富裕層の物だが、中でも品質が良く最も人気があるのがミラヴィアなのは周知の事実なのだ。この店員もミラヴィアを使っているはずとタマラは読んだのだろう。


「とはいえ、王都に行くときの物は侯爵夫人が用意してくださるそうなので、今回はそれほど大げさなものを求めているわけではなくて……一通りケースの中のものを見せていただきますね」


 侯爵夫人との付き合いがあることと王都でのお披露目会が決まっていることをを知っているとはいえ、キャリーが堂々と出任せを言っている。その度胸にカモミールは感心するしかなかった。


 タマラは店員が案内したソファに当然のように座っているが、カモミールはキャリーの後ろについて歩くことにした。こういった店では本当に高価な品物は店頭には並んでいないと、以前ちらりと聞いたことがある。――ならば、店頭にある品物こそがこの店の中では低価格帯のはずなのだ。


「わあ、綺麗……」


 入店する前には怯えきって腰が引けていたが、実際に宝石を前にすると美しさにうっとりとしてしまうのは女性のさがなのだろうか。金細工と透き通ったルビーで作られたペンダントや、スターサファイアのブローチなどに思わずため息が漏れる。


 しかし問題はお値段の方だ。スターサファイアのブローチは周りの他の品に比べても桁が違い、少し気に入っていただけにカモミールは落胆した。120万はいくらなんでも恐ろしすぎる。


 たくさんの宝石を見ているうちに、キャリーが言った「宝石は資産になる」という言葉がなんとなく理解出来てくる。それに、やはり美しい物をたくさん見るのは楽しい。


 気分が浮き立ってきたところで、カモミールの目はひとつのブローチの上で止まった。


「これよ、これ。私絶対これがいい」


 服飾店での迷いっぷりとは逆にきっぱりと主張するカモミールに驚いたのか、タマラがソファから立って品物を見に来た。


「え、これ? ミリー……」

「何か悪いかしら?」


 絶対譲れないと思うと強気な言葉が出る。

 カモミールがこれと見定めた宝石は、紫色と緑色が混じったフローライト――別名蛍石だ。蓄光性が高いが故に蛍に例えられている。


「目が吸い寄せられたの。このブローチをバラ色のドレスの胸元に飾りたいわ。絶対緑色が映えるもの」


 一応キャリーの話に合わせてドレスとは言ったが、その他の部分は全て本心だ。最初は美しい青色のスターサファイアに惹かれたし、それもバラ色のワンピースに映えるはずだが、逆にワンピースと釣り合わないだろう。そして、このブローチを見た瞬間これ以外にはあり得ないと思った。


「こちらをお願いします」

「えっ、カモミールさん、いいんですか?」

「だって、私が欲しいのはこれなんだもの。キャリーさん、小切手を。これは私の私財から出すから、工房の口座に後で入れておくわね」


 かなり大ぶりのフローライトを使ったブローチは、石の価値自体はルビーやサファイヤの足元には及ばないが、土台になっている金の価値が高いしその細工が繊細で素晴らしく、値段は35万ガラムだった。

 完全に想定していた予算を超えている。けれど、これを諦めたくはなかった。


 突然堂々とした態度になったカモミールに驚いたのか、店員が軽く目を見開いて小走りにやってくる。


「こちらのブローチでよろしいですか? ええ、宝石の格はそれほど高くありませんから、あまり大げさではない場ではよろしいかと。フローライトの中では品質も大変良く、紫色も高貴で美しい色ですし」

「ええ、その紫と緑が一緒に入っているところにとても惹かれたんです。この宝石が、まるで私を待っていたみたい」

「それは……良い出会いをされましたね。時折宝石とそういった出会いをされるお客様がいらっしゃいますよ。ええ、本当に、何故か今日はこのブローチが朝からきらきらと輝いて見えていたのですけど、タルボット様との出会いに気づいていたんですわ」


 最初の雑な扱いはどこへやら、店員は微笑ましいものを見るような笑顔でカモミールを見守っていた。



 購入してケースに入れて貰ったブローチを大事そうに胸元で持ったまま店を出たカモミールに、複雑そうな気持ちを隠し切れていないタマラが話しかける。


「そのブローチって、ヴァージルの目の色よね」

「あっ!? そういえばそうかも! でもヴァージルの目は緑一色よ。紫色混じりじゃないわ」

「そうなんだけどー……なんて言ったらいいのかしら。私は複雑な気分よ」


 ため息をつくタマラに、魂が抜けたようにふらふらと歩くキャリーが頷く。


「驚きました……あれだけお金を使うことを躊躇してたカモミールさんが、予算より高い物を買うなんて。絶対私たちに文句を言われないために20万ギリギリの物を選ぶと思ってましたよ」

「だってー、店員さんも言ってたじゃない? 宝石とそういう出会いをするお客さんがいるって。私の場合はこれだったの。一目惚れよ」

「それ、ヴァージルの目の前で言って見せなさいよ。あいつ涙流して喜ぶわよ」

「なんで? そもそもヴァージルは私に恋愛感情なんて持ってないわよ。付き合いが長い上に一緒の家に住んでて、それがわからないわけないでしょ」

「あ、やだ、めまいがしてきたわ……もー、ミリーのせいよ」

「だからなんで!?」

「どこかでお茶してから帰りましょうよ。なんだか私も驚きすぎて力が抜けちゃって」

「キャリーさんもなの? ふたりとも私をどういう人間だと思ってるの?」


 キャリーとタマラは顔を見合わせ、同時にため息をついた。


「それがよくわからなくなる瞬間に出会ったから困惑してるのよ」

「ですね」

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