「あ、あはは。そっか、それがあったわ」
「ミラヴィアは女の子の憧れですよ! でもやっぱり高いから、白粉だけ特別なときにとかの使い方になっちゃって。下地クリームとか化粧水とか揃えるのが私の密かな夢だったんです!」
目を輝かせるキャリーはやはり年頃の女の子らしい夢を語っている。
その姿に眩しさを感じながら、カモミールは改めて品質に妥協しなかったのは間違いではなかったと確信した。
「えーとね、まだ秘密にしておいて欲しいんだけど、ミラヴィアの商標権はロクサーヌ先生の息子のガストンに相続されちゃって、私は権利を持ってないの。だから『ヴィアローズ』っていう私独自のブランドを立ち上げる予定。
予定と言っても作る物はほとんどミラヴィアの商品をちょっとだけ改良した物だし、もうお披露目会を王都とカールセンの『クリスティン』でやることまで決まってて、最初の商品は1セット丸々王妃陛下に献上することになってるのよ。キャリーさんにはテスターもやって貰いたいし、お給料の少ない分は現物で1セットあげてもいいと思ってる」
「えええっ!? 貰えるんですか!? しかもお披露目会に、王妃陛下に献上!? ミラヴィアの時より規模が大きくなってるじゃないですか! あっ、だから助手さんが既にいるのに求人を出したんですね?」
飲み込みが早いキャリーにカモミールは頷く。
「マシュー先生の石けんも凄いのよ。そうだ、まだ使ってないのがちょっとあるからキャリーさんにあげるわ。これも香りを付けて販売するの。この上にある屋根裏部屋で今石けんは熟成中」
販売する低価格ラインの石けんサンプルを半分に切った物が残っていたので、それをカモミールはキャリーに渡した。石けんを手に取ってキャリーは不思議そうにそれを眺めている。
「いつも使ってる石けんより柔らかいように感じますね……。ありがとうございます、今夜から使ってみます。
それで、今日はどうしましょうか。なにかできる仕事があるならやりますし、カモミールさんがお休みにしたいなら明日また来ます」
「えーと、もし良かったら、明日私の服を買いに行くのに付き合って貰えません? 侯爵夫人から支度金として200万ガラムを受け取ったんだけど、服も買いなさいって言われてて。でも私小市民気質だし錬金術師だから、ついつい汚れの目立たなそうで洗いやすそうな地味な服を選んじゃうの。それじゃダメって言われてて」
カモミールが思いつきで提案をしてみると、キャリーは更に目を輝かせた。
「わあ、行きます行きます! 服の見立て大好きなんです! それで、まさかそれもお仕事扱いですか?」
「そう。だって、私の足りないところをキャリーさんに補って貰いたいの。デザイナーのタマラっていう友達も一緒なんだけどね。タマラだけに任せるより、もうひとり一緒に行ってくれる人がいたら助かるわ。
今日は、ここに発注書がまとめて置いてあるんだけど、本当に置いてあるだけだから、できたらでいいから工房の資金管理として帳簿に記録して欲しいな。支度金も私のお金と混ざっちゃってるから、お金の管理今はめちゃくちゃなのよー」
「なるほど、わかりました。ギルドでもやってた仕事ですし問題ありませんよ。
じゃあ、最初の設立金を200万としてそこから出費と収入を管理しましょう。カモミールさんの服も今回は経費ということにして、お仕事で必要な物は経費扱いです。
工房のお金は基本的に商業ギルドに口座を作って入れておいて、一定金額以上の出費があると先にわかったら出金しておきます。小さい金額で立替ができるときは、領収書を必ず貰って、用途をメモしておいてくださいね。
ふーん、これが発注書ですか。思ったよりも金額かかってますね。現金で払ったんですか? もう10万ガラム以上かかる場合は、口座を当座預金口座で作ることにして小切手で対応して貰うことにしましょう。現金で持ち歩くのも危ないし、その方が取引先がお金を引き出した後使用済み小切手が戻ってくるので、領収書代わりになりますし」
「……キャリーさん、待って、私今ついて行けてないです……」
発注書をチェックしながらすらすらと話すキャリーに、カモミールは肌を粟立たせた。
カモミールは経理関係は全くわからないが、驚くほどにキャリーがその辺はしっかりしていることだけはわかった。カモミールからすると天才的にすら思える。
キャリーはカモミールの言葉に驚いたのか、ポカンと口を開けている。そして明後日の方を見てしばらく考え込んだ後、ぽんと手を打った。
「ああ! わかりました! カモミールさんは最初自分ひとりで全部やるつもりだったんですね! だから、自分のお金と工房のお金の区別も付いてなかったし、経理の概念がないんだ!」
「はい……全く仰るとおりです」
今すぐベッドに潜り込みたい気分になった。確かに自分ひとりでやるつもりだったのは間違いない。キャリーがそこまで指摘出来たのも驚きだ。
「あれ? でもテオさんは? テオさんのお給料って発生してないんですか?」
カモミールがここへ来る前にテオとキャリーは互いに名乗っているらしい。物凄く曖昧にしておきたかったことを突かれてカモミールも焦ったが、テオがそれらしいことを言ってごまかそうとした。
「お、俺は住み込みの弟子だから? えーと、食費は出して貰ってるぜ?」
「その場合、弟子として食費はカモミールさんの私財ですか? それとも工房のお金?」
「隠すつもりだったのに、キャリーさんが有能すぎる……マシュー先生もぽろっとこぼすかもしれないし、本当のことを言うわ。
他には言わないでね、テオはそこにある錬金釜に宿った精霊なの。服装とかも自分で好きに変化させられるし、基本的にはものを食べる必要も無いの」
「精霊……?」
キャリーは立ち上がるとふらふらとした足取りでテオの元に向かい、その背中や上腕をペタペタと触り始めた。
「や、やめろ、くすぐってえだろ」
「感覚はあるんですね。触った感じも人間と変わらないし……むしろ、人間じゃない証拠って見せられます?」
ああ、とカモミールはため息をついた。キャリーは自身は錬金術師ではないが、間違いなく父親の素質なり影響なりを受け継いでいるのだろう。
理屈っぽさと探究心の強さが、錬金術師顔負けだ。
「わかった! これでどうだ!」
テオが姿を消して見せると、キャリーは小さな悲鳴を上げた。それも恐怖でというより、喜びの声に近い。
「凄い! 確かに魔法的な存在なんですね! テオさんの魔力ってどうなってるんです? 錬金釜の精霊って事は、ここの歴代の錬金術師のことも知ってるって事ですか?」
「勘弁してくれー……」
ぐいぐい押してくるキャリーにテオが辟易としている。彼女押しの強さは予想通りだった。
「キャリーさん、私は隣の家に間借りしてるんだけど、そっちに戻るわね。満足いくまでテオをつついたら、今日はもう帰っても大丈夫よ。鍵はテオがいるから大丈夫だし」
精神的にどっと疲れたので、カモミールはエノラの家に戻ることにした。後はテオに押しつけることにする。
「あっ、ごめんなさい! 気になるとどうしても追求したくなって。これって錬金術師の血ですかね。
じゃあ私は、ここの発注書だけ整理したら、帰る道すがら商業ギルドで口座を作ります。……あれ、そういえば、ここの工房の名前ってなんでしたっけ」
キャリーの当然の疑問に、テオとカモミールは顔を見合わせた。
「なんでしたっけ?」
「それは俺が聞きたいことだぜ」
「……早い話が、それも決まってなくて個人名でやってたんですね。いい機会ですから工房名を決めましょう。テオさんを含めると4人も働いてるんですし」
キャリーの主張はごく当然のものだった。逆に、今までそこに考えが至らなかったことに自分で驚いてしまう。
「タルボット工房……いかにも地味ね」
「ヴィアローズはカモミールさんの知名度でやっていくんですから、名前の方にしませんか? アトリエ・カモミールとか。女性がやっている工房だってすぐわかりますし、化粧品とも結びつきやすいと思いますけど」
「そ、それならなんとか! ぎりぎりだけど!」
名前が工房名になるのは恥ずかしいが、確かに「カモミールの知名度でやっていく」という考え方は侯爵夫人の「カモミール自身を広告塔にする」というやり方に通じるものがある。
カモミールという名前自体も花の名前だから、錬金術師カモミール・タルボットを知らない人間でも不思議に思わない工房名だろう。
「では、後ほど『アトリエ・カモミール』で口座を作ります。今後はその名前で発注などは全て行ってくださいね」
キリッとしたキャリーはしみじみと頼りがいがある。
給料が本当に今の金額でいいのか悩み始めたカモミールだった。