カモミールは屋台で果物にカッテージチーズを載せ、蜂蜜を掛けた物を薄焼きパンで巻いて食べていた。これが必ず食べるほどの好物なのだ。ほろほろとしたフレッシュチーズと果物の酸味に蜂蜜の甘みが絶妙に絡み合っている。
テオは屋台に大興奮だった。結果として彼は甘い物でなくても大体美味しいと感じるようだ。タマラとヴァージル、そしてカモミールのお勧めを一通り食べてこどものように上機嫌になっている。
どれも甲乙付けがたい美味しさだったらしい。テオが楽しそうにしているのはいいが、全部カモミールが支払いをしたので途中から「そんなに食べる必要ある!?」と言いかけるのをぐっとこらえていた。
カモミールは約束通り黒ビールを大ジョッキ2杯で妥協したがほとんど酔っていない。ワインを飲みたいところだったが大人げを総動員して我慢する。タマラとヴァージルに怒られながら飲んでも美味しくないのはわかりきっている。
「あー、楽しかった! たまには屋台もいいわね」
食欲は乙女とはほど遠いタマラは、ヴァージルと同じくらいの量を食べていたしワインもガッツリと飲んでいた。ヴァージルはカモミールに付き合ったのか黒ビールを1杯だけ。
テオは興味深そうにしていたが、試しにとヴァージルのジョッキから一口飲んでビールの苦みに顔をしかめていた。お子様味覚なのかもしれない。
黒ビールはあまり苦みはないのになあと人間組は揃って苦笑し、テオはカモミールお勧めのアップルパイで口直しをした。本当にどれだけ食べるつもりなのかと殴りたくなったが、そもそもテオにはお金を節約するという概念がない。
この好奇心旺盛な精霊にとんでもないことを教えてしまった、とカモミールは深く反省することになったのだ。
翌日は朝からエノラに大分心配をされた。過保護なヴァージルが大分大げさに話をしたらしい。
「ミリーちゃん、無理はいけないわ。顔色は悪いわけじゃないけど、貧血とか起こしてない? 女の子は起こしがちなのよね。ちょっとまぶたの裏を見せて?」
「大丈夫ですって。エノラさんの作ってくれる美味しいご飯を食べて、たっぷり寝れば疲れも取れます。そうだ、共同浴場で夕方辺りからのんびりお風呂に入るのもいいかも。いや、敢えて久しぶりに蒸し風呂かな? 蒸し風呂、じっくり入れば肩こりとか取れますもんね」
エノラに言われたとおりにまぶたをひっくり返して貧血ではないことを示しながら、カモミールは明るく言って見せた。
正直なところ、やはり疲れは感じていて、昨日は帰宅して寝間着に着替えたら即寝落ちしてしまったのだ。朝ご飯も食べないでだらだらと眠っていたかったが、それではエノラに余計な心配を掛ける。
エノラには悪いが、こういうときは工房の屋根裏の方が気楽だったかも、などと思った。
しかもこの家にはエノラに輪を掛けた心配性がもうひとりいる。
「ミリー、何か食べたい物とかない? 僕が昼休みにでも買ってきてあげるから、遠慮無く言って。あ、でもお酒はダメだよ」
「んもう、ヴァージルってば! いくらなんでもこの状況で飲みませんー。あと、特に何も要らないから、お昼も寝かせておいて。あ、でも夕飯は何か適当に買ってきて貰えると助かるかも」
「ミリーちゃんのお夕飯はいろんなお野菜をほろっとほぐれる鶏肉と一緒にとろとろに煮込んだスープを作ってあげるわ。生姜を入れてね。風邪を引いたりしたときにとてもいいのよ。せっかくだし、ヴァージルちゃんも今夜はうちで食べたら?」
「それは美味しそうだなあ、じゃあ僕もたまにはここで食べることにします。パンは帰りに買ってきますよ」
心配性ふたりに挟まれて、夕食のメニューまで決まっていく。カモミールは苦笑しながら、定番の朝ご飯になった目玉焼きとチーズを載せたパンとスープを食べた。
朝食を食べた後はまた着替えてベッドに潜り込み、とろとろと眠る。惰眠を貪るのはとても久しぶりの感覚だ。
シンク家にいた頃はガストンが朝に弱かった上にロクサーヌも
――もう、ガストンの事を思い出してもあの日のような痛みは感じなかった。
「ミリーちゃん、起きてるかしら? テオさんが来てるんだけど」
エノラの控えめな声で目を覚ます。どのくらい眠ったのか気になったが、太陽の位置は高く、まだ午後を少し回った頃と思われた。
「テオがですか? 着替えて工房に行くと伝えてください」
幸い、眠気はあまり残っていなくて「休んだなあ」という感じがする。カモミールは朝来ていた服に着替えると、髪を梳いて下ろしたままで工房へ向かった。
「テオ、来たよ」
工房には常にテオがいるので、鍵を掛ける必要もほとんど無くて楽なことこの上ない。
けれど、テオが呼びに来たというのは初めてで、何が起きたのだろうと少し心配になる。
「こんにちは、カモミールさん! やっと引き継ぎが終わったのでこちらに来ました。今日はお休みにしてたってテオさんから聞いて『やっちゃったー』と思ってたんですが……お体、大丈夫ですか?」
椅子から立ち上がったのはキャリーだった。そういえば数日前にキャリーが「あと3日」と言っていたことを思い出す。
「キャリーさん! 来てくれてありがとう。昨日酷い頭痛を起こしちゃって、ここのところ休みも取ってなかったって気づいたら周りに『今日は寝てなさい』って怒られちゃって休みにしてたの。でも怠くもないし特に具合が悪い感じもないし大丈夫よ」
「そうですか、でも無理はしないでくださいね。錬金術師って何かに夢中になると倒れるまでやる癖があるから……」
自分にも当てはまることだが、キャリーが言っているのは錬金術ギルド長の父親のことだろう。思わず吹き出し、カモミールはキャリーが座っていた向かいにある椅子に座る。
「紹介するわね。彼は助手のテオ。錬金術の知識に関しては私よりずーっと上なんだけど、化粧品のことはさっぱりなの。この工房で寝泊まりしてるわ。
キャリーさんにやって貰いたいのは、経費の計算とか売り上げの管理、あと、商品を容器に詰めたり、それと……どこまでお願いしていいのかなあ?」
「売り上げ分析して制作数を管理したりするのもできますよ。お金を扱うこと全般と、発注管理、あとはこまごましたお遣いや、専門知識の必要ない製作のお手伝い、ってことでどうでしょう?」
ハキハキと答える様がとても頼もしい。売り上げ分析して製作数を出してくれれば、カモミールにとっては大助かりだ。思ったよりキャリーが有能そうなので、カモミールは逆に申し訳なくなった。
「キャリーさん、このお給料でそんなにいろいろして貰って大丈夫? もう少しお給料上げた方がいいよね?」
「週5日の勤務予定ですよね? 実家にいるからこれで十分です! むしろミラヴィアの化粧品を安く卸してくださーい!」
元気よく商品の値引きをねだるキャリーは本当に頼もしい。カモミールは思わず苦笑した。