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第50話 乙女、舞い上がる

 タマラに工房まで送って貰いがてら、カモミールは彼女に道を教えた。タマラの家から工房へは歩いて15分ほどの距離があり、意外にくねくねと曲がらないと辿り着かない。


「ちょっと、私自力で帰れるか心配になってきたわ」

「大丈夫だよ。案外歩いてると知ってるところに出るから。帰りは都市の中心部に向かっていけば間違いないよ」


 工房に着いた頃には日が暮れかかっていて、工房の前でヴァージルがそわそわとしていた。カモミールの姿を見た途端、彼はパッと笑顔になる。


「ミリー! お帰り、遅かったね」

「ちょっとヴァージル聞きなさいよ。ミリーったらさっき頭痛で倒れて眠ってたのよ。疲れ溜めすぎよね!? 今日屋台にご飯を食べに行くのは許すけど、明日は1日休むように言ったわ。あんたも連れ出すんじゃないわよ?」

「頭痛で倒れて眠ってた?」


 タマラがヴァージルに向かってまくし立てると、ヴァージルはさっと顔を青ざめさせた。


「大丈夫よ、起きてからはもうなんともないし。テオが待ちかねてるだろうから、ご飯食べに行きましょ」

「本当に大丈夫? ……明日は、ゆっくり休むんだよ。エノラおばさんにも言っておくから」


 ヴァージルはカモミールの肩を抱くと、心配そうな様子で顔を覗き込んでくる。


「もー、ヴァージルは過保護! 大丈夫って言ってるでしょ。やることがたくさんあるからなんか焦ってばたばたしすぎたのよ。ほら、テオを呼んで出かけないと。お昼は侯爵邸でいただいたけど、緊張しすぎて味がよくわからなかったから、今日は好きな物を思いっきり食べたいわ」

「おっ、カモミール、帰ったのか?」


 玄関前で話し込んでいたせいで、中に聞こえたのだろう。テオがひょいと顔を出す。

 その瞬間タマラがヒュッと息を飲み込んだ。


「え、誰? ミリーの助手って人? 美形じゃないの……やだ、凄い好み」

「あああああーーー、しまった!」


 タマラが恋する乙女の目をしていた。テオは確かに美形だしエノラも絶賛していたが、カモミールの好みのタイプではないので普段は気にしていない。なにより、人間ではないということを知っているから、ときめきすら感じたことがないのだ。


「ふっ……でもこれは叶わぬ恋ね……。私のことを好きになってくれる男性に出会ったことがないもの。ああー、でもここに来ればこの人に会えるのね」

「カモミールの友達か? 俺はテオだ。よろしく」


 事情を全く知らないテオが屈託なく自己紹介をするので、カモミールは頭を抱えた。タマラは自分を普通に扱ってくれる人間に弱いのだし、既に一目惚れしているのだから。


「私はタマラよ、ミリーの友達なの。あ、あの、こんな私だけど、良かったらお友達になってくれないかしら……?」


 スカートのフリルをもじもじと握りながら、恥じらいつつタマラが自己紹介した。背の高さはテオと変わらないが、こちらは仕草からして乙女だ。

 テオは何も気にしていない様子で、むしろタマラが恥じらっているのが不思議なようだった。


「俺とか? いいぜ。じゃあ俺とタマラは今日から友達だな!」

「う、嬉しいーっ! テオ、大好き!」


 卒倒寸前のタマラをカモミールとヴァージルが咄嗟に支えた。ふたりは顔を見合わせて、途方に暮れる。


「どうしよう……テオがこんなに人間の心の機微がわからないなんて」

「いっそのこと、本当のことを言った方がいいかもしれないね」

「そうね、傷は浅いうちの方がいいわ。――あのね、タマラ、舞い上がってるところ申し訳ないけど、テオは人間じゃないのよ」


 タマラはきょとんとした顔で自分を支えるカモミールとヴァージルの顔を順番に見て、花のように艶やかに笑った。


「何言ってるの? 人間じゃなければ何なのよ。そんなことで私をひっかけようとしてもダメよー? ああー、今凄く幸せだわ……」

「本当に俺は人間じゃないぞ。この工房にある錬金釜の精霊だ。錬金釜が作られてから千年経って、人間の姿を得ることができたんだ。ちなみにこの姿は大錬金術師ことテオドール・フレーメの姿を写した物だな!」


 場の空気を一切読まず、テオが得意げに宣言する。途端に、タマラが崩れ落ちた。


「嘘…………やっと理想の人と巡り会えたと思ったのに、人間じゃないなんて……」

「ごめんタマラ!! テオが人間じゃないって言うとややこしいことになるから、伏せてたの! この事を知ってるのは私とヴァージルとタマラと、うちの石けん職人のマシュー先生だけよ。ちなみに精霊に性別はないそうよ。だからテオは外見は男性だけど、男性じゃないの」

「外見は男性だけど、男性じゃない……」

「おい、どうしたタマラ。そんなに驚いたのか? 俺が精霊でもおまえが友達っていうのは変わらないぞ。むしろ、俺に対して友達って言ってくれたのはおまえが初めてだぜ! なんか嬉しいな!」


 テオが眩しい笑顔でタマラに笑いかける。カモミールとヴァージルは「うわぁ」と同時に呟いた。


「うわぁ、残酷……人でなし……って、テオはそもそも人じゃないのよ」


 テオの対応があまりに酷く感じてカモミールが半泣きになっていると、タマラがふらりと立ち上がった。


「それは……私と同じね。そうよ、男だけど男じゃなくて、女だけど女でもない私と一緒だわ。テオは性別の事なんて気にしないのね。

 うん、そうよ、私たちきっといい友達になれる! ミリー、テオと出会わせてくれてありがとう!」


 目の端に涙を浮かべたままで笑うタマラが痛々しくも美しい。カモミールはタマラの体に腕を回してぎゅっと抱きついた。


「タマラのそういうところ、大好きよ! テオのいい友達になってあげてね。考えてみたら、本当に誰もテオを友達って言ったことなかったのよ。私も工房の付属品みたいに思ってるし」

「おい、カモミール! どんだけ俺に対して酷い扱いをしてるんだ!?」

「しょうがないでしょ! 壁塗りにはまってたり、大錬金術を勧めてきたり、トゥルー・ローズを増やした以外そんなに役に立ってないんだもん!」

「おまえなあ……俺が毎日地道に蒸留水を作ってたおかげで石けんが作れたんだぞ!? ポーションだって作っただろうが!」


 カモミールとテオの言い合いに、タマラが笑い出す。そんなタマラにヴァージルが声を掛けた。


「僕たちこれから夕飯を食べに行くけど、たまにはタマラさんもどうかな? 4人で楽しく食べようよ。テオは今日が屋台初体験なんだ」

「ありがとう、そのつもりはなかったけど行くことにするわ。よーし、飲むぞー!」

「飲むぞー。おー!」


 便乗して拳を突き上げるカモミールに、タマラとヴァージルが同時に厳しい視線を向ける。


「ミリーは1杯までよ! 休めって言われてる人間が深酒してどうするのよ」

「明日寝てられるからって、飲んでいい理由にはならないよ。タマラさんの言うとおり1杯だけにしておきなよ」

「なんでよぉー! たまには潰れるくらい飲みたいの! この工房に来てから3杯以上飲んだ日なんかないんだから。この私が、すっごい我慢してるのー! 今日くらいいいでしょー、ねーえー! もう頭痛しないんだからー」

「うわ、これ本気の駄々捏ねだわ……」

「仕方ないなあ。2杯までだよ」

「大ジョッキね!!」

「ヴァージル! あんたミリーに甘すぎよ!」


 3人が言い合う姿を見ながら、テオは興味深そうに口角を上げた。


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