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第49話 バラの妖精

 タマラの家は、カモミールが以前住んでいたロクサーヌの家からとても近い。久しぶりにその辺りを歩くと不思議な気分になった。

 同じカールセンという街の中にいるのに、工房の辺りとは雰囲気が少し違う。こちらの方が街の中心地にいくらか近い分賑やかだ。


「タマラー、ミリーよ。いる?」


 家のドアをノックして声を掛けると、中で物凄い音がした。それから間もなくタマラがドアを開ける。


「ミリー! 久しぶりじゃないの! 元気してた!?」

「げ、げんきだよ……胸板固くて痛い」


 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、タマラの胸にカモミールの顔がぶつかる。イヴォンヌの時は豊かな胸に窒息するかと思ったが、タマラの胸は筋肉だ。


「ごっめーん、こればっかりはどうしようもないのよねー。そうだ、柔らかい偽乳とか作ってくれない? きっと一部に売れるわよ-」

「暇があったら考えて置くわ。ねえタマラ、服を買うのに付き合って欲しいんだけど、今時間大丈夫?」

「ミリーの服? 行く行く! 仕事なら今すぐやらなくても帰ってきてからやればいいのよ。あー、騎士と違ってデザイナーはこういうときいいわねえ」


 表だって言うことは少ないが、タマラは過去にジェンキンス家の騎士だったそうだ。カモミールがカールセンにやってきたときは既に「ロバート」ではなく「タマラ」だったので、騎士だった頃のタマラは想像が付かない。


「今支度するから、上がって待ってて」

「はーい。お邪魔します」


 カモミールは1階のテーブルセットの椅子に腰掛けてタマラの準備を待つことにした。とはいえ、化粧を直して、服が気に入らなければ着替える程度だろうからそれほど待つとは思えない。


 思えば、タマラの家はロクサーヌの葬儀が終わってシンク家を追い出され、その日泊めて貰って以来だ。

 なんだか随分長い時間が経った気がするが、実際はそんなことはない。


「お・待・た・せ。今日の私はバラの妖精よ。ウフッ」


 手首をこすり合わせながらタマラが階段を降りてきた。微かに漂った香りで、それがデザイン料代わりにタマラに上げたトゥルー・ローズの香水だと気づく。


「あ、ああー……タマラ、その香水、使うのはいいんだけど持ってることは絶対人に言わないでね」

「とりあえず今まで言ってないわよ。名前もないし、トゥルー・ローズって言っても他の人には通用しないもの。何かあったの?」


 タマラの返答にカモミールはほっと胸をなで下ろした。そして、同じ物をジェンキンス侯爵夫人に献上したことと、王妃陛下にも献上することになって、「ふたりしか持っていない貴重な香水」という扱いにすることになっているのを説明する。


「危なかったわね……」

「うん、最近いろいろありすぎてタマラに上げたの忘れてたわ」

「後で聞かせてちょうだい。夕飯も一緒にどう?」

「今日はヴァージルと、うちの助手と屋台に行くことになってるの。明日だったら平気よ」

「助手! ミリーも出世したじゃなーい!」


 その助手は買った工房に付いてきた精霊ですとは言えず、カモミールはあやふやに笑ってごまかした。マシューとキャリーという従業員もいることはいるが、うっかりしゃべったら物凄い長話になりそうな気がする。


「で、今日はどんな服を買うの? わざわざ私に声を掛けたんだから、普段着じゃないんでしょ?」

「鋭い! さすがタマラ。そういえば、そのスカートの形は今はやってるの?」


 タマラが穿いているスカートは、クリスティンが穿いていたのとよく似たデザインだった。

 ふんわりと広がる形ではなく、すらりとしたシルエットで裾の方がフレアになっている。色はバラ色で、ウエストから裾まで斜めに付いたフリルがシンプルさの中に可愛らしさを出していた。

 背の高いタマラが着ていると、凜とした大人っぽさと乙女らしさのバランスがちょうどいい。


「珍しいわね、ミリーがファッションを気にするなんて。さては、恋!? 誰? やっぱりヴァージルと?」

「違う違う、クリスティンさんが似たデザインのスカートを……痛っ! あたまが……」

「ミリー!? 大丈夫?」


 刺すような頭痛がカモミールを襲う。今まで何度も感じたことのある痛みだ。けれど、この頭痛を感じた後どうなったかは何も憶えていない。


「とりあえず横になりなさい!」


 椅子から落ちそうになったカモミールをタマラが抱き上げて2階へと運び、ソファに横たわらせた。


「ありがと、タマラ……」

「今お水を持ってくるわ」


 慌ただしくタマラが階下へ行き、コップに水を持ってきてくれた。それをゆっくり飲み下す間も、ズキズキと痛みは続く。


 ――それ以上考えちゃダメだ。


 脳裏にヴァージルの声が浮かび上がってくる。考えちゃいけない? 何を? と心の中で彼に問いかけた。


 ――眠って、ミリー。そうしたら全部忘れてるから。


 それは聞いたことのない言葉だった。間違いなくヴァージルの言葉で脳裏に浮かんでくるのに、記憶に全くない。


「ヴァージル……なんで……」


 眠気が大波のようにカモミールを押し流す。手からコップを落としたカモミールは、前触れもなくすうすうと眠りについていた。



「ん……」

「あ、起きた? 頭痛大丈夫?」

「あれ? 私なんでここで寝てたの?」

「頭が痛いって真っ青になってたから、ソファへ運んだの。そしたら、水を飲んでるうちに急に寝ちゃったのよ。寝てたのは1時間半ってところかしら。

 今はどう? 頭痛に効くお茶淹れる?」


 心配そうにこちらを覗き込むタマラは、眠るカモミールの様子を見ながら2階の小さなテーブルで仕事をしていたらしい。


「頭痛は、今は大丈夫。なんかぼんやりしてるけど、急に凄い痛みを感じたのは憶えてるわ」

「疲れてるんじゃない? 買い物は今日はやめときましょ」


 タマラの言葉に、最近の出来事を振り返る。そもそも今日一日でも随分とバタバタしていたし、最近休日らしき物はなかった。


「今日はお昼前から侯爵家へ行って、戻ってきて時間があるから買い物に行こうと思ったの。――そういえば、ここのところ全然休んでなかったわ」

「ダーメよ!! 休んでないなんて私が許さないわ! 今日は屋台に行くくらいは許すけど、明日は一日寝てなさい! 疲労が溜まったら余計に仕事の効率も落ちるのよ、こんな風にね」

「うん、ごめんね。タマラの言うとおりだわ。やることはたくさんあるけど、明日一日休むくらい大丈夫だから、少しゆっくりすることにする」

「……本当に、体には気をつけるのよ。大事な大事な友達のミリーが倒れるところなんて絶対見たくないの」


 心配そうに眉を寄せたタマラが、ゆっくりと頭を撫でてくれる。その手はとても優しくて、甘えたくなる。


「私って、そんなにタマラにとって特別なの?」

「特別よ~。男の体なのに心は女で、でもそんな私のありのままを当たり前に受け入れてくれたのはミリーが初めてだったの。今は堂々としてる分何も言われなくなったけどね。騎士時代の私を知ってる人たちなんか、最初の頃は酷い悪口言ってきたわ」

「タマラはタマラだよ。お化粧上手で、おしゃれで、背が高いから着こなしの難しい服とか着ててかっこいいなあって初対面の時から思ったもん。

 でも、私そんなに特別じゃないと思う。きっと侯爵夫人とかもありのままのタマラを受け入れてくれるはずよ」

「あの方はね……まあ確かにそういう方だけど、お友達じゃないでしょう? ミリーが15歳で初めてこっちに来て出会ったとき、私は自分の着たい服を着て、花柄のスカートを指さされて笑われてたの。その時あなたは、『背が高いと大きい花柄が似合うのね、素敵!』って目を輝かせて言ってくれたのよ。

 あの瞬間の嬉しさ、一生忘れないわ」


 タマラは優しい目をしてカモミールの手を取った。いつの間にか冷たくなっていた手に、タマラの手の温かさがとても心地よい。


「だって私背が低いから絶対着られないデザインだったんだもん。タマラは私の憧れだよ」

「んもう、そういう風に普通に接してくれるのが嬉しいのよ。ミリー、あなたは私の特別なの。いつもあなたのことを想ってるわ。――だから、本当に無理しないでね」

「ありがと。……特別って言ってくれるのはヴァージルもだけど、言われた感じが全然違うのね。これが女友達と男友達の違いなのかな?」

「あ……そういえばミリーが眠る直前、ヴァージルの名前を呼んでたわよ」

「私が? なんでだろ?」


 その疑問は抜けないトゲのように、カモミールの胸をチクリと刺した。


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