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第47話 まさかそういう関係だったとは

 イヴォンヌが淹れてくれた紅茶に、砂糖とミルクをたっぷりと入れたものを3人揃って飲む。


「いつも通りに美味しいわ。イヴォンヌはお茶を淹れるのが上手なのよ」

「本当に、とても美味しいです」

「お褒めに与り光栄です、奥様」


 優しげな笑顔で紅茶を飲み、褒める侯爵夫人にイヴォンヌが嬉しそうに礼をする。


 前回クリスティンが淹れたお茶よりも美味しく感じる。というよりは、味が少し違うということにカモミールは気づいた。ミルクにクリーム分が多いらしい。よりまろやかでコクのある味わいになっている。


「ミリー、話の続きを」


 侯爵夫人に促され、カモミールは頷く。


「一般に流通しているマルセラ石けんと、あの石けんの違いは大きく分けてふたつあります。ひとつは、先程お話ししたように様々な油脂を使っている点。もうひとつは、『冷製法』という製法で作られている点です。石けんは通常、強アルカリの薬品と油脂との反応を早く進めるために加熱しながら作られております。

 冷製法はそれをせず、油脂に最低限の加熱をするのみで、攪拌による反応の促進と長期間掛けた熟成によって油脂を石けんにしているのです。そのために、5週間という長い熟成期間が必要になります。

 加熱により酸化した油脂と、極力それを抑えた油脂とでは、石けんとしてできあがっても肌に対する効果に違いが出てしまうのです。それに加え、マシューのレシピでは油脂の全てを石けんにせず、数パーセントではありますが油脂のまま石けんの中に残しております。これによって、肌に直接オイルを塗るのに近い効果が残った贅沢な石けんに仕上がっております」


 カモミールは一気に説明をすると、カップに残っていた紅茶を飲み干した。お替わりはと尋ねられたので、遠慮がちに「いただきます」と答える。


「そう、『贅沢な石けん』なのよ。今手元にあるあの小さな石けんしかないと思うと悲しいわ。毎日使いたいのに」

「マシューの手元に残っていないか確認をしてみます。マーガレット様が欲しがっていると知ったら彼も喜ぶと思いますので」

「そうしてもらえると嬉しいわ。ひとつ5000ガラムで買い取ると伝えてちょうだい」

「5000……」


 カモミールは思わずその値段を聞いて絶句した。確かにあの石けんは稀少だろうが、一般に出回っているマルセラ石けんの10倍もの値段だ。


「それで、例え作成に5週間かかってもあの石けんは作るべきだと私も思うの。王妃陛下に一緒に献上するために、スケジュールも変えましょう。むしろ、1ヶ月伸びて初夏になった方が都合がいいとも言えるのよ。王都は涼しいから夏が社交シーズンなの。その社交シーズンの始まりにヴィアローズのお披露目をぶつけるのが一番効果があるわ」

「私も侯爵夫人と同じ意見です。今回のヴィアローズ立ち上げに関しては、日程優先で品質に妥協をしてはいけないと思っておりますわ」

「ふふふ、楽しみだわ。あの石けんひとつで美容の世界に革命が起きるのよ。『生活必需品』の石けんが『嗜好品』になるの。王妃陛下が使った石けんとなれば箔も付くし、香水だけでなく目新しいものがひとつ増えて私も献上するのがとても楽しみよ。……ふふふふふ、セレナ――いえ、王妃陛下がどういう反応をするのか、本当に楽しみ」


 お茶を一口飲んで侯爵夫人が見たことのない種類の笑顔を浮かべた。そしてカモミールは、彼女が王妃を名前で呼んだことに驚いていた。


「失礼ながら、マーガレット様と王妃陛下は、何かご関係が……?」

「王妃陛下と侯爵夫人は従姉妹の間柄でいらっしゃるのよ」


 戸惑いながら尋ねると、クリスティンがカモミールの疑問に答えてくれた。


「あら……そうね、考えてみれば嫁ぐ前の家門のことまでミリーが知るわけがないわね。あなたはそういう事が必要ない世界で生きているのね。新鮮だわ。

 王妃陛下――いえ、ここだけなのだから敢えてセレナと呼びましょうか。セレナは私の4歳年下の従妹なの。それで、幼い頃から私の持っている物を欲しがる悪い癖があったのよ」


 その頃のことを思い出しているのか、苦い顔で侯爵夫人はこめかみを押さえた。


「彼女にとっては『大好きな従姉と同じ物を持ちたい』という親愛の表現の一種でもあったみたいだけど、私にとってはたまったものではなかったわ。既製品ならばお揃いでプレゼントすることも出来たけれど、乳母が私の誕生日に特別に作ってくれた手作りのぬいぐるみなんて、手放せるわけがないじゃない。――それで、泣きながら駄々を捏ねることこねること。

 私の両親もさすがにそれが世界にひとつだけの、私にとって特別な物であることをわかってくれたからよかったけれど。わかってくれなかったら『あげなさい、おまえのほうが歳上なんだから』とか言われたでしょうね。実際に、友人から贈られた万年筆とかも無理矢理持って行かれたことがあるのよ」

「……ご結婚されて距離が離れて、本当に良かったですわね」


 クリスティンの声に、なんとも言えない困惑が滲んでいた。さすがの彼女もそこまでの話は知らなかったのだろう。

 一方カモミールは自分が末っ子で姉に対して同じ事をしたことがあるので、内心冷や汗をかきながら黙って侯爵夫人の話を聞いていた。


「セレナが言うには、『お姉様がとても素敵だから、お姉様が持っている物もとっても素敵に見えるの』だそうよ。悪気がないから困りものなの……。それに未だに、公式でない場では私のことをお姉様と呼んでいるのよ。おかげで私は私の知らないところで一目置かれたり、嫉妬されたり」


 よほど辟易しているのだろう。侯爵夫人はとうとうため息をついた。


「だから、私の持ってるとても希少性が高い香水と言ったら絶対に欲しがるし、献上すれば喜ぶのは間違いないし、他の人の前で私とお揃いなのだと自慢するの。絶対にするのよ。私が一目置かれているのはセレナのそういった行動のせいね。

 そして、自慢するということは、見せた相手にも香水を試させるわ。本当に、なんて便利な広告塔なのかしら!」

「では王妃陛下がミラヴィアを使っていらっしゃるのも」

「端的に言うと、きっかけは私の真似よ。ジェンキンス侯爵夫人としては『王妃陛下』のそういった行動は願ったり叶ったりだけど、個人的にはとても複雑な気持ちなの」


 侯爵夫人の言葉がぐさぐさと突き刺さる。カモミールは心の中で姉に対して本気で謝っていた。


「……ヴィアローズを取り扱う商団主としては、大変に喜ばしいお話です」

「そうね、今回の件に関しては、メリットしかなくて私もほっとしているわ」

「……それでは、王妃陛下に献上するトゥルー・ローズの香水と『違うけれども近い物』を出したら、貴族の方々は喜んで買われますね?」


 ここに来る前に考えていた香水のことだ。王妃に近しい物なら価値を高められると思ったのはあながち間違いではないらしい。


「ええ。全く同じではセレナが拗ねるけれど、『違うけれども近い物』ならセレナも喜ぶわ。自慢したい物と『似ているけれども明らかに1ランク下の物』が売れたら彼女の自尊心は大いに満たされるでしょうね」


 今まで全く知らなかったのだが、どうやら我が国の王妃は少々困ったところがあるらしい。しかしカモミールは王妃の悪い噂は聞いたことがなかった。現国王が王太子だった頃に18歳で嫁いで以来、ふたりの王子にも恵まれ、貧困層に対する施策の多くは王妃の発案だと聞いている。

 立派な人なのだなあと薄ぼんやり思っていたのだが、身近な人間として見るとかなり違うらしい。


 カモミールがあまりに複雑な表情をしていたらしく、侯爵夫人が苦笑する。


「基本的には悪い人間ではないのよ。そうだったら王太子妃として推挙されなかったでしょうね。簡単に言うと、褒められるのが大好きなのよ。これも決して悪いことではないわ。褒められて嬉しくない人はいないでしょうし。褒められるためには努力を惜しまないという点は本当に美点でもあるわ。だから、セレナ王妃陛下は王妃としては大変立派に務められているの。王妃という立場も彼女の性格上、最もやりがいがあって能力を発揮出来る立場だわ。――ただ、ただね、従姉妹という近すぎる関係だと少々困ることもあったというだけ。

 ああ、思ったよりも話が長くなってしまったわ。イヴォンヌ、軽食ではなくもう少し食べ応えのある昼食を用意するように伝えてちょうだい。セレナのことを考えたら疲れてしまったわ」

「かしこまりました」


 イヴォンヌが伝言のために場を離れる。

 一瞬の沈黙の後で口を開いたのはクリスティンだった。


「それでは、お披露目会は6月上旬に延期ということで決定でよろしいでしょうか」

「私はそれで構いません。ミリーはどう?」

「ご了承いただけてとても嬉しいです。石けんは既に2種類作りましたが、他のことに回せる時間の余裕が出来ましたので」

「ではそれでいきましょう。それと、荒療治が必要とイヴォンヌが言ったという件なのだけれど、その余裕の出来た日程のうち、2.3日私に付き合ってもらえないかしら。考えがあるの」

「か、かしこまりました」


 侯爵夫人の「荒療治について考えがある」はとても恐ろしかった。しかし、次の瞬間カモミールは恐怖も吹き飛ぶほどの衝撃を受けた。


「ヴィアローズは王妃陛下とミリーというふたつの広告塔があるもの。焦らず行きましょう」

「わ、私が広告塔ですか!?」


 上擦った声で尋ねたカモミールに、当然という顔で侯爵夫人が頷く。


「いいこと、ミリー。……一定以上の年齢になった女性はね、若く見られることに大変な価値を置くのよ。つまり、知名度という点に於いては王妃陛下が最高の影響力を持つけれど、効果という点に於いてはあなたの若く見える容姿こそが、ヴィアローズの最高の広告なの」


 自身もかなりの童顔である侯爵夫人の言うことには、恐ろしいほどの説得力があった。揶揄ではなく本気でその容姿を羨ましがられてきたのだろう。


 それを理解した途端、「荒療治」の意味が真に迫ってきて、カモミールは恐怖した。

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