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第45話 香水の構想を立てる

 一旦ヴァージルは店に戻り、カモミールが侯爵家からの連絡待ちだということを伝えて貰うことになった。


 今できることは香水の構想を練ることくらいか。仕方が無いので、精油を無駄にしないためにも3種類出す香水に名前を付けてイメージを膨らませることから始めた。


 ひとつ目は、最も値段が高いパルファム。これは貴族向けで夜会など社交界でも重要な場面で使える物にしたい。ヴィアローズの香水ラインでは看板商品と言うことだ。

 そうすると、トゥルー・ローズを軸に、出したいイメージは優雅さや気品。最後に香るラストノートは重めがいい。これに関しては原価は考えないことにする。購買層である貴族は、気に入ってくれれば買うときに値段なんて見ないのだから。


 ここで悩むのは、前面に押し出すイメージを「一輪の華麗なバラ」にするのか、「バラの入った花束」にするか、だ。


「王妃陛下の香水がバラ単体なら、差別化が必要よね……そうすると、純粋にバラに近い方が高級って思われる方がいいかも。夜遅くになるほど甘く香る花みたいな……うん、そうね、じゃあもう一種類は明るい華やかさをイメージして、爽やかさも組み込もう」


 手元のメモ帳に言葉でのイメージと、そこから連想される香りの候補を書き込んでいく。

 昔、衛生状況が良くなかった頃は香水の主な役目は体臭をごまかすことだった。今は毎日の入浴が当然のようになっているので、香水は純粋に自己表現のひとつだ。


 カモミールは悩んだ末に、パルファムを2種類とオードトワレを1種類作ることにした。

 一輪の赤いバラをイメージした「いとしの君」と、ピンクや白のバラを他の花と一緒に花束にしたイメージの「妖精の楽譜」。そしてイヴォンヌのために作ったオードトワレを元にした「セレニティ・ルビー」。


 イメージが固まってくると実際に精油を使って調香してみたいが、途中でイヴォンヌが来ると作業がそこで止まってしまう。

 お願い、早く来てぇぇぇ、とカモミールが祈っていたとき、工房のドアがノックされた。


「ミリー、いるかしら?」

「イヴォンヌ様! お待ちしておりました!」


 待ちかねた人がやっと来た嬉しさで、カモミールは勢い余って転びかけながらドアを開けた。バタバタと慌てた足音と嬉しそうなカモミールの様子を見て、イヴォンヌは虚を突かれたようだ。


「随分嬉しそうにするのね。私が今日来ることはわかっていたという事かしら」

「はい、必ずいらっしゃると思ってお待ちしておりました」

「うっ……なんていじらしいのかしら! 今すぐ抱きしめたい!」


 イヴォンヌを待ちかねていたカモミールという存在が、彼女のツボにハマったのだろう。カモミールはイヴォンヌの豊満な胸にぎゅうぎゅうと顔を押しつけられていた。苦しいやら胸の大きさが羨ましいやら、ちょっと嬉しいやらで気分はめちゃくちゃだ。


「い、イヴォンヌさま……もう、だきしめてます……」


 苦しげなカモミールの声で我に返ったイヴォンヌがカモミールを解放する。少し頬が赤らんでいるのはさすがにイヴォンヌも恥ずかしかったからだろう。 


「ご、ごめんなさいね。おほん――今日は奥様からの伝言で来ました。昨日届けられた石けんと2通の手紙について早急に話をしたいので、どうしても外せない用事が無ければこのまま私と一緒に来るようにとのことです」

「実はあの石けんをクリスティンさんにも渡しておりまして、そちらからも店に来て欲しいと先程言われました。侯爵夫人――マーガレット様からもきっとご連絡をいただくと思い、その連絡を待っているとあちらには伝言をしてお待ちしていた次第です」

「なるほど、それならちょうどいいわ。あなたをこのまま連れて、クリスティンも途中で拾って侯爵邸へ向かいましょう。今回はお茶会などではなくて、ヴィアローズの石けんの話なのだからクリスティンが同席するのはむしろ自然な事です。手間が省けたと言ってもいいくらい」


 確かに、侯爵夫人とクリスティンが一緒にいるならば話はいろいろと早いだろう。

 けれど、そのふたりを同時に相手にしてしまったら、緊張で死ぬのではないだろうか。


 そんな恐れを感じつつ、カモミールは控えめに準備が出来ていないことをイヴォンヌに伝えようとした。


「その、実は服も買うようにとマーガレット様は仰っておられましたが、時間が取れずにまだ新しい服は買えておりませんで……」

「気にすることはありません。あなたの服は地味ではあるけれども清潔で、身分を考えれば問題ない物です。先日のお茶会とは違うのだから、仕事着と思って堂々としていなさい。大丈夫、お化粧をしていなくても充分可愛いわ」

「あ、ありがとうございます……」


 退路は断たれた。イヴォンヌがいいと言えば彼女の責任に於いて許されるのだ。

 カモミールは覚悟を決めると、テオに留守を任せて侯爵家の馬車に乗り込んだ。



 途中、「クリスティン」の前で馬車が止まり、すぐにクリスティンが乗り込んできた。カモミールを見ると彼女はにこりと笑う。


「こんにちは、カモミール。ヴァージルからさっき話は聞いたわ。あの石けんについてのお話をと思ったのだけど、侯爵夫人からも同じお話でお召しがあったのならちょうどいいわね。……あら、どうしたの? 顔色が悪いわ」

「私……ごく普通の平民なんです……商団主のクリスティンさんだけでも割といっぱいいっぱいになるのに、侯爵夫人が同席されて、しかも主題が私の仕事の話って、どうしたらいいんですか!? もう緊張でさっきから馬車が揺れる度に口から心臓が出そうで……」

「まあ」


 今度はイヴォンヌが口に手を当てて笑う。イヴォンヌとクリスティンは顔を見合わせてクスクスと笑い合っていた。


「この子ったら、いつまでも慣れないのね。自分はこの先国中でも指折りの注目を集める人間になるって自覚が全然無いんだわ」

「そこが可愛くもあるけれど、この先を考えると少し荒療治をした方がミリーのためになるかもしれないわね」

「ひ、ひえええ……」


 馬車の中ではカモミールひとりが、狩られる寸前のウサギのように怯えて震えていた。

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