カモミールとテオは黙々と作業していた。普段ならおしゃべりのひとつくらいするのだが、微妙にテオがブスっとしている。
「あ、そうだ、さっき美味しそうなお菓子買ったんだけど、半分食べる?」
「いらね。食う必要ないし」
ダメは元々で、とお菓子で釣ってみる。案の定釣れなかったが。
「で、でもさー、食べたら美味しいかもよ? 口があるんだから食べることは出来そうだし」
カモミールの言葉に、テオは目を見開いて驚いていた。雷が落ちたような、とはこういう表情のことなんだろうなとカモミールの方が驚くくらいである。
「……! そ、そうだな!? 口があるんだから食べてもおかしくないんだよな? カモミール、早く半分くれ」
「釣れたー!?」
「なにがだ?」
「ううん、こっちのこと!」
驚きのあまり思わず叫んでしまったが、テオは「食べられる」という事に気づいて俄然興味が湧いたらしく、手を出して催促してくる。その手のひらの上に、先程買った小袋に入ったクッキーのうち2枚を載せる。
「はい、どうぞ」
テオはクッキーをじっと見た後、端の方をカリ、と囓った。一口で行くかと思いきや、思ったより慎重派だ。
「甘い! 俺ってちゃんと味がわかるんだな! 面白え! こっちのはオレンジの匂いがする。ちゃんと味の違いもわかるぞ!」
テオの機嫌が見るからに良くなった。しめしめ、とカモミールは内心ほくそ笑む。錬金術師は好奇心で釣るのが一番なのだ。
クッキーを食べきったテオはこどものように無邪気にニコニコとしている。
「今のクッキーは美味かったな。魔力を回復する足しになるのかどうかはわからねえけど」
「それで魔力が回復したらいいのにね。でも、テオが食事出来るってわかってよかった。きっとこれから興味持つ物がたくさん出来るよ。そうだ、明日の夕飯一緒に行こうか! 今日はお店に食べに行くから、明日は屋台で食べるつもりなの」
「行く! よーし、この石けんも早いとこ片付けて明日の仕事を減らしとくか!」
釜の中はできあがり一歩手前という状態で、この状態ならば常に攪拌をしていなくてもいい。今のうちが副材料を計量したり、木箱などを準備する時間なのだ。
今回の分量に合わせて必要なゼラニウム精油を計算し、カモミールの目が死んだ。安価なものではないのに、一度にこんなに使うのかと思うと小市民なので戸惑いが先に立つ。そうすると脳裏に侯爵夫人が現れて「1ヶ月で150万使い切るのよ、ウフフ」と笑って去って行くのだ。
「そ、そうだよ……売る物なんだし、そこに妥協しちゃダメ……」
100mlの大瓶を10本並べて、その圧倒的な量に笑いそうになった。この調子で精油を使ったら、錬金術ギルドの精油の在庫が尽きてしまいそうだ。
「あ、そうか。今回はなんとなくバラにこだわっちゃったからゼラニウムにしたけど、今度作るときは『季節の香り』とか言って変えてもいいのよね。時期的にラベンダーも咲くからラベンダーがいいだろうし、その後は夏だからミントを入れるのも良さそう」
「そこで安い精油で相性の良さそうなのを買って、ブレンドして入れるのも手なんじゃねえか?」
カモミールの独り言にテオがアイディアを出してくれる。それだ! とカモミールは手をパチンと鳴らした。
「テオがいて良かったー! あ、もし魔力が回復したら、ポーションの作り方教えてよ。私だといくらやっても煮汁止まりだから、せっかくならポーションが欲しいの。薬草の一番成分を引き出せる部位が知りたくて今実験してたんだけど」
「よーしよしよし! やっとカモミールも王道の錬金術をやる気になったな! いくらでも教えてやるぜ! 一番薬効を引き出せるのは薬草毎に部位が違う。それは明日みっちり説明してやるからな!」
テオのご機嫌が鰻登りで天井まで届きそうな勢いだ。そこへマシューが様々な物を積んで戻ってきた。
「戻ったぞい。先に昇降機を組み立てるとするか。石けんはどうじゃ? ……うむ、トレース一歩手前じゃの。ちょうどいい頃合いじゃ。テオ、屋根裏部屋の床に座って、儂が渡す物を受け取ってくれんか」
「おう! なんでも手伝ってやるぜ! 任せな!」
鼻歌を歌いながらテオがはしごを登っていく。彼のテンションがおかしいことに気づいてマシューが不思議そうな顔を向けてきたので、カモミールはこそっと呟いた。
「最初はお菓子食べさせてみて、物が食べられることに気づいたらそこからご機嫌になって、とどめにポーションの作り方教えてと言ってできあがりです」
「さっきは不機嫌じゃったのに……精霊は単純なのかのう……」
マシューは自分の腕よりも太い棒を下からテオに差し出す。長さは屋根裏部屋の入り口になる扉より少し長い程度だ。次にロープを渡し、先に渡した棒に2.3度巻き付けるように指示した。
棒は入り口をまたぐように置かれ、下に2本のロープが垂れ下がる。マシューは木箱の入る大きさの籠の四隅にロープを通し、水平が取れていることを確認してうむうむと頷く。
「これで、下からロープを引けばこちらの籠が上がると言うわけじゃ。一番簡単な仕組みじゃな」
「それを思いついて即作れるマシュー先生が凄いです」
「この仕組みは別に儂が考えた物じゃないぞい。もっと大がかりで人が乗れるエレベーターも既に作られておる。頼み込んで設計図を見せて貰ったが、あれはたいした物じゃった……研究に直接関係ない知識でも、頭に入れて置いて損をすることはないという事じゃな」
「……マシュー先生は石けん一筋かと思ってたんですが、いろいろな分野に知見があるんですね」
少々意外だった。マシューは石けんに向けている熱量が膨大そうなので、その他の道は通らないで来たようにカモミールには見えていたのだ。
「錬金術師はそんなもんじゃろ。そこに不思議な物があると思ったら、調べずにはいられない。今ある物をもっとよく出来ると思ったら、改良について考えずにはいられない。そのためには関係なさそうな分野にも足を突っ込む。金を作れなくなっても、本質は何も変わらん。テオもそう思わんか」
「俺自身は精霊だから人間とは多少違うかもしれねえが、面白そうだと思ったら追求せずにはいられないかもなあ……まあ、こうして体を得てから出会ったのがカモミールで、いまいち俺が興味を持てない化粧品を作ってるからピンと来ねえけど」
「はいはい、すみませんね、地味な家主で。でもテオが何かの拍子に化粧品作りにハマっちゃったら……」
「俺の外見がテオドールからおまえに変わるかもしれねえな……」
「せめてそれは私が死んでからにしてね……」
「えっ、ミリーが死んでから!? どういうこと!?」
玄関が開けっぱなしだったので、やりとりの最後だけを聞いてしまったヴァージルがうろたえている。その勘違いに、3人は顔を見合わせて笑った。
「もうヴァージルが帰ってくる時間かあ! あ、もう石けんの方も精油入れて大丈夫ですね。仕上げて上に上げちゃおう!」
カモミールは精油をどばどばと釜に入れるとハンドルをゆっくり回す。ゼラニウムの花の香りが工房の中に広がっていった。