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第42話 テオの有効活用法

 冷ましていた苛性ソーダ水溶液の温度と油脂の温度がちょうど頃合いになったので、マシューは錬金釜の上に攪拌器を設置した。テオにハンドルを回させてゆっくりと油脂を攪拌しながら、そこに細い糸を垂らすように少しずつ苛性ソーダ水溶液を入れていく。

 金色だったオイルが攪拌するにつれて少しずつ不透明になっていき、クリーム状へと変わっていく。見た目だけなら美味しそうなクリームのようになり、攪拌器のかき混ぜた後が筋のようになって残るようになったら、副材料はここで入れる。カモミールもゼラニウム精油を中瓶1本入れた。肌に影響がない範囲で香りを付けることを考えると、この量になったのだ。


「よし、木箱に入れるぞい」

「はいっ!」


 錬金釜の下部には中の液体などを出すための栓がある。その近くにカモミールが木箱を置き、栓を抜く。

 どろりとした石けんがゆっくりと木箱の中に垂れてくる。最後は錬金釜に残っている分を木べらで集め、直接木箱に入れる。ぴったり木箱と同じ容量の石けんが出来て、カモミールは少し緊張していたのが解けた。


 ここまでかかった時間は1時間ちょっとだったろうか。思ったよりも早かったが、この後の乾燥熟成がとにかく時間がかかる。


 カモミールは屋根裏部屋の扉を押し開け、はしごに体が半分残った状態でテオから木箱を受け取って床に置いた。ここでもし中身を傾けてこぼしてしまったら大火傷だ。

 無事屋根裏部屋に木箱を持ち上げられると、マシューがその様子を見て考え込んでいる。


「危なっかしいのう……もっと安全に上げられるようにせんとな。さて、テオは錬金釜の方を頼む。もう一種類の石けんの方じゃが、今日作れるがどうする?」

「木箱が足りませんね……ここにある木箱の分だけ作って、箱から出せるようになる前に箱を買い足しておきますから……どのくらいで箱から出せるんですか?」

「1週間で出せる。まあ、それくらいがちょうど良かろうな。最初はどれほど売れるかわからんし、在庫を余らせすぎると石けんが酸化する」


 なるほど、とカモミールはうなずき、次の石けんを作るための準備に取りかかった。



「そういえば、見た目に区別が付きにくいですが、どうしたらいいでしょう?」


 マシューが蒸留水を計量しているとき、カモミールはふと気になったことを尋ねた。香りも同じだし、色もぱっと見でわかるほど違うわけではない。「最初の木箱が贅沢石けん」とわかっていても、切り分けた後に見分けが付かなくなるのが怖い。


「蒸留水の代わりにハーブティーを使うのもひとつの手じゃぞ。乾燥させたハーブを粉にして着色したりすることもできる。多少は効果も取り入れられるしの」

「さすが師匠! ラベンダーとローズマリーのハーブティーを使うことにします!」


 ラベンダーには炎症を抑える以外にも様々な効果があり、ローズマリーは美容系ハーブの代名詞と言ってもいい。飲むと癖が強くてカモミールは苦手なのだが、石けんの中に入れるのならば構わない。


 残りの木箱が43個あるので、43キロ分の石けんを作ることが出来る。さすがにこの分の苛性ソーダ水溶液をいちいち1リットル容量のメスカップで作るのは面倒だなと思っていると、マシューがテオの肩を叩いた。


「ここにレシピがある。儂とお嬢さんでハーブティーを作るから、錬金釜で直接苛性ソーダ水溶液を作ってくれ」

「俺が~?」


 見るからに嫌そうなテオだが、マシューがテオに苛性ソーダ水溶液の扱いを頼んだ理由はカモミールにもわかった。


 テオは、錬金釜に残った石けん(になる前の強アルカリの危ないドロドロ)を素手で掃除していたのだ。

 考えてみれば、錬金釜の精霊なのだから錬金釜に入っている物で火傷などするわけがないのだろう。


「テオ、お願い! その間に私道具屋まで行って、木製のバケツ買ってくるから!」


 苛性ソーダ水溶液ができても、その後に一旦錬金釜から出して油脂を釜に入れなければならない。そのためのバケツが結構大量に必要だった。今回は1個か2個で足りそうだが、300リットルの油脂を石けんにする場合はもっと必要だ。


「お主なら苛性ソーダ水溶液を触っても蒸気を吸ってもなんともなかろう?」

「確かにそうだけどよぉー……仕方ねえな。やってやるよ。今日だけだぞ? 次回からそのバケツで作れるだろ?」

「ありがとうテオ! じゃ、ちゃちゃっとハーブティー作っちゃう」


 水1リットルにつきラベンダーとローズマリーを15gずつ、とレシピの端にカモミールは書き足した。その横にマシューがちょこちょこと計算をし、水105リットルと書き足す。

 今まで作っていた物とは単位が違う。一瞬カモミールはめまいがした。



 先に使った道具は薄めた酢を使ってテオが洗い、カモミールとマシューでハーブティーを作る。その後は玄関を開けたままで苛性ソーダの扱いはテオに任せることにする。カモミールとマシューは荷車を引いて道具屋へ行き、ありったけのバケツを買った。このバケツは容量が決まっていて10Lだ。バケツの大きさ自体は若干ばらつきがあるが、内側に10リットルの印の溝が掘ってある。

 最終的には11個必要なのだがさすがに一軒では揃わなかったので二軒目で買い物をして工房へ戻った。道すがら、目に付いた「ある物」を買ってカモミールはポケットに入れた。


「テオ、ただいまー。そっちはどう?」

「暇だった! バケツ一個よこせ」


 声からして不機嫌そうだ。こういうとき、食べ物や酒でご機嫌を取れない分テオは面倒くさい。


 バケツを一個玄関に置くと、テオがその中に薄茶色い液体を入れて戻ってくる。それは外に置き、カモミールはあらかじめ持っていたバンダナで口元を覆うと工房の中を木の板で扇いで換気をした。


「お嬢さんとテオに今回の石けん作りは任せる。いいか、まず熱するのはココナツオイル、その次に固形の油じゃ。今回の場合はパームオイルがそれじゃな。その後でキャスターオイルとオリーブオイル。油脂の温度の目安は40度じゃ。苛性ソーダ水溶液の方もそれにプラスマイナス3度程度になるように温度を揃えるように。じゃあ、儂はちょっと材料を買いに行ってくる」

「えっ、先生どこへ!?」

「石けんを安全に屋根裏部屋にあげるために昇降機を作るんじゃ」


 昇降機ってそんな簡単に作れるんですか、とカモミールが驚きすぎて言えないうちに、マシューはふらりと出かけてしまった。


「ああいう奴なんだよ。この攪拌器だってあいつが作ったんだしな」


 テオの言葉になんとなく納得するも、カモミールは唖然としたままマシューの後ろ姿を見送っていた。

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