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第39話 デビュー戦こそインパクトが大事……だよね

 お披露目に間に合わないといって、カモミールは妥協したくなかった。マシューの石けんはそれだけ素晴らしかった。

 今まで広まらなかったのは販路の問題や、原価が高いことによって大量に作れず出回らせる量が少量だったせいもあるだろう。


「でも、ヴィアローズの始動には、あのレベルの石けんは絶対欲しい! 侯爵夫人やクリスティンさんに迷惑を掛けることになっても……」

「そういうときは迷惑を掛けなされ。職人たるもの、できあがりに妥協してはいかん。それに日数が必要とわかったら、早い内に舵を切るのじゃ。結果的にその方が良い物が作れるなら、掛けた迷惑も利益になって相手に返るじゃろうよ」


 スケジュールとの兼ね合いで悩むカモミールに、マシューが人生の先輩らしくアドバイスをしてくれる。商業的にあまり成功していない人に言われても説得力が今ひとつなのだが、カモミールはそれで思い切ることを決めた。


「マシュー先生、これから錬金術ギルドに付き合ってください! 場合によっては商業ギルドも!」

「勢いのいいお嬢さんじゃな……儂は少々このお嬢さんと出かけてくる」


 家の中に向かって声を掛け、マシューは錬金術ギルドに向かってくれた。マシューを伴ったのは、一刻も早く材料を発注しないといけないのに、カモミールがそのレシピを憶えていなかったからだ。工房に取りに行く手もあったが、マシューに聞いたついでと本人を連れて行くことにした。


 錬金術ギルドで再びキャリーに頼み、取り扱いのある油脂のリストを出して貰う。マシューが道すがら「錬金術ギルドで全て手に入る」と教えてくれたとおり、カモミールが見たことのなかった油脂まで在庫があって驚いた。


「じゃあ、ココナツオイルとココアバターとキャスターオイルとシアバターとスイートアーモンドオイルとアルガンオイルを……うっ!」


 マシューの指示通りに注文票を書き、キャリーが出してくれた見積もりでめまいがした。なかなか稀少な油脂が多く、これで作った石けんをいくらで売ったら元が取れるのか考えると気が遠くなる。


「カモミールさん! 一気にたくさん作る必要は無いんじゃないですか?」

「この半分でもいいんじゃぞ? まずは『なかなか手に入らない凄い石けん』という評判で客を稼ぐのもありじゃぞ?」

「そうだ……石けんも2種類作りたいし、この豪華な石けんを全部の需要作る必要は無いんだ……」


 改めて発注書を書き直す。これで作れる石けんは3キロ程か。品切れにしたくないという顧客に寄り添う気持ちと、品切れさせてもいいのよ、作れる量しか作れないんだからという職人としての気持ちがぶつかり合った。


 結果、書き直した発注書は低価格ラインに使うココナツオイルとパームオイルとキャスターオイルを足して書く。ついでに大量のゼラニウムの精油も購入した。ゼラニウムはバラに似た香りで、「貧乏人のバラ」といういいのか悪いのか微妙な異名を持つ。

 現金を持っていなかったので、配達時に支払うことにした。実に60万ガラムものお金が飛んで、侯爵夫人の「150万ガラムを1ヶ月で使い切りなさい」という言葉が頭をよぎった。


「カモミールさん、代わりの人を見つけたので今引き継ぎしてます。もしそちらで働けるのが早まったら、早めた方がいいですか?」

「ええっ、凄い! ギルド職員なんてなかなか見つけられないって聞いたのに」

「仕事を探してる人なんてたくさんいますよ。ただ、そういう人がわざわざ錬金術ギルドに来て求人票を見ないだけで。結局、3カ所の教会と商業ギルドに求人を貼らせて貰って、読み書き計算が出来る人を絞ったんですが、教会からの推薦で来た人に決まりました。お仕事の飲み込みも早いですし、あと3日くらいで引き継ぎは終わります」


 ほええええ、とカモミールは気の抜けた声しか出なかった。キャリーは間違いなく有能だ。


「助かります。今は何か用事があっても全部自分で駆け回らないといけなくて。やることが多すぎて自分で混乱しそう……」

「任せてください! このキャリー・ブライアン、カモミールさんのためなら身を粉にして働きます! なので、化粧品割安で売ってください!」


 最後の正直すぎる言葉に苦笑が漏れる。ミラヴィアとヴィアローズでは商品の製作数が4倍ほど違う。その中でキャリーに割引するくらいはなんでもない。


「いいですよ。テスターとかもやって貰うつもりだし」

「楽しそう……早くここ辞めたい」

「キャリィィィィ、そんなことを言わないでくれ-」


 キャリーの言葉に「辞めたいよな……」と頷くギルド職員と、泣きそうになっているギルド長という地獄絵図が現れた。



 マシューには翌日来てもらい、さっそく石けん製作とカモミールへの講義をして貰うことにした。

 いつもより遅くなったなと思いながらエノラの家に戻り、「ただいま戻りました」と言いかけたところで、跳ね飛ばされるような衝撃がカモミールを襲った。


「ミリー!! 遅いから心配したんだよ!」


 跳ね飛ばされるのではなく、勢いよく体当たりされてそのまま抱きしめられていた。カモミールの頭に頭を寄せて、ヴァージルが半泣きになっている。


「お、大げさー。エノラさんから何も聞いてない? 石けん職人の人の家と錬金術ギルド回ってきたの」

「女の子がこんな時間にひとりで歩き回っちゃダメだよ! そういうときは途中で僕を呼びに来て!」

「うっ……まあ、それはそうね。ごめん、ヴァージル。心配掛けちゃったわね」


 確かに、風呂に行ったのは夕方だったが、既に若い女性がひとり歩きをする時間ではない。お詫びのつもりでヴァージルの頭の後ろに手を回して撫でると、ヴァージルが少し頭を下げた。


「……もっと。最近ミリーは夕飯にも付き合ってくれなかったし、朝ご飯の時しか会えないし、寂しかったよ」

「もー、はいはい。ヴァージルは寂しがり屋なんだから」


 彼は既に両親を亡くしているから、甘えられる相手もいない。優しいということは、それだけ心が柔らかくて傷を負いやすいということでもある。

 いつもは自分が甘やかされる側だが、たまにはこういうのもいいかもしれないなと思いながら、小さいこどものようにカモミールにしがみつくヴァージルを撫で続ける。


「一応お風呂屋での実験は終わったから、明日から夕飯はまた一緒に食べましょ。ヴァージルの好きなお店に行ってもいいし。あ、ああああー! そうだ、クリスティンさんって今カールセンにいる?」

「オーナーは昨日からこっちに来てるね。何か用がある?」

「ごめん、ヴァージル!」


 カモミールは慌ただしくヴァージルを突き放すと、洗面所に置かれていた自分の風呂用品に向かった。今日使った石けんはなんとか半分程度の大きさが残っていて、表面は濡れたせいでとろりとしている。


「使いかけで申し訳ないけど、もうこれしかないのよね……」


 表面の水分を優しく布で拭い、小さくなってしまった石けんをハトロン紙で包む。カモミールはそれをヴァージルに渡した。


「これ、石けんなんだけど、ヴィアローズの台風の目になるかもしれないものなの。明日クリスティンさんに、必ず使ってみてくださいって渡して。それで、お披露目会の予定を今の予定から更に1ヶ月後にずらさせてくださいって伝えて。私が言うとそこで交渉が発生しちゃうから、ヴァージルが一方的に伝えて欲しいの」


 我ながら汚いやり方だと思うが仕方が無い。クリスティンも商売人だ。この石けんの凄さを知ったら、ヴィアローズのデビューに新規のラインナップとして一緒に並べたくなるに違いない。


「後は侯爵夫人だけど……ヴァージル、侯爵夫人の方も行ける?」

「もちろん行くよ、ミリーのためだからね。侯爵家担当は僕なんだし」

「ありがとう! 明日の夕飯おごるね! ちょっと工房行ってくる」

「だから、近いからってひとりで出歩いちゃダメだってば、僕も行くから」


 カモミールの後をヴァージルが付いて出て行く。

 台所の隅で一部始終を見ていたエノラはクスクスと笑うと「青春ねえ」と呟いた。



 カモミールは工房で贅沢石けんの残りと一緒に、2通の手紙を用意した。

 片方の封筒には「石けんを使った翌日にご覧ください」と書き添えてある。 


「多分イヴォンヌ様が対応してくださると思うよね。1通目の手紙に、この石けんが素晴らしいので是非お使いください。できる限り早急に、って書いたの。で、封筒にも書いたけど念のため、こっちの封筒の手紙は石けんを使ってから開封してもらえるように伝えて」


 2通目の封筒の中身は、「この石けんは素晴らしいが、作成に5週間かかり、ヴィアローズの初期ラインナップとして是非組み込みたいのでお披露目会をクリスティンと相談の上延期したい」と書いた。


 分けたのには理由がある。いきなり延期したいと言っても勝算は少ないが、石けんを使った後なら説得力が出るからだ。


 仕込みは済んだ。明日はマシューの講義と実際の石けん作りだ。

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