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第36話 ガラス工房と陶器工房

 ギルドを出てからは、ミラヴィア時代にも発注をしていたタリア陶器工房に行き、新ブランド立ち上げの挨拶と今後も発注をしたいという話をした。工房にとってもミラヴィアから受けていた仕事がいきなり無くなるのは痛いので、以前と同じ条件で契約がまとまる。

 陶器に入れるのは白粉で、蓋にタマラがデザインしてハリソンガラス工房でも使ったバラの図案を入れて貰うことにした。工房主の妻のタリアは華やかなバラのデザインに既にご機嫌になっている。


 そこからはハリソンガラス工房へ。以前数量少なめで発注していた香水瓶の数を大幅に増やし、王妃陛下へ献上するための香水瓶を特別に作って貰う必要がある。


「キャリーさんが来たら、こういう仕事は任せても平気になるのよね。……なんか、一人前の錬金術師になったって気がするなあ」


 キャリーはギルドでの仕事もキビキビとしていて感じが良かった。早いところ後任を見つけて来て欲しいものだ。


「ハリソンさん、香水瓶の追加発注に来ました」


 ハリソンガラス工房のドアを開けて中に声をかける。工房の奥ではガラスを溶かしているので、建物全体がむわっとする暑さになっている。


「おう、カモミール。追加だったら喜んで受けてやるぜ。で、その顔はそれだけじゃないんだろう?」


 少しにやついていたせいかすぐにアイザックにばれてしまった。カモミールは、他言無用と念押しして置いて、ヴィアローズの製品一式とトゥルー・ローズの香水を1瓶王妃陛下に献上することになったことを説明する。


「それで、バラの香水だから、前にローラが見せてくれた、蓋がバラの花になってる瓶を使いたいと思ってるんだけど」

「いや、ローラはまだあれはまともに作れねえ。だが、俺なら作れるぞ」


 アイザックが不適に笑う。自分の腕に自信を持っている職人しかできない表情だ。


「それで、物は相談なんだが、俺が香水瓶は作ってやる。しかも、金を使って鮮やかな赤い色を出した、バラそのものの香水瓶をな。値段も割引してやる。その代わり、瓶の底の部分にヴィアローズの名前と並んで、ハリソンガラス工房の名前を入れさせろ。うちの名前を入れて恥にならない超一流の品を作ってやる」

「なるほど! 確かにブランド名と並べれば、どこが作ったのか一目瞭然ね。いいわ、献上分だけじゃなくて、他の香水瓶にもハリソンガラス工房の名前を入れちゃって。その代わり、うちの仕事を優先して受けてくれる?」

「おう! そろそろうちの一番弟子も独立を考えててな。腕は確かな奴だから、こっちで回りきらない仕事はそっちに回すことも出来る。王妃陛下に献上したとなりゃ、今までのミラヴィアの比じゃないくらい数も出すんだろう? せいぜいこっちにも儲けさせてくれよ」


 パンと勢いよく背中を叩かれる。なかなかいい音がしたが、それほど痛くはなかった。


「うん、頑張る! じゃあ、これ前金ね」


 侯爵夫人が言っていた、経済が回るという言葉を思い出す。ヴィアローズの商品が売れればハリソンガラス工房の名前も上がるだろう。そこまで考えて、陶器工房の方にはそういった宣伝協力は何も取り付けていなかったことに気づいた。


「いけない! タリア陶器工房の方にも同じ条件持って行かないと! なんでハリソンさんのところだけってなったら困っちゃう」

「あー、そうだな。急いで行ってこい! タリアはそういうことにうるさいんだ」


 アイザックに見送られ、走って近所の陶器工房へ向かう。一度帰ったはずのカモミールが息を切らせてやってきたので、再び表に出て来たタリアは驚いていた。


「ああー、わかった! うちの旦那は職人気質でそんなことは気にしないけど、確かにあたしが知ったらじっくりねっとり恨むからね。アイザックはそれが嫌だったのよ」

「じっくりねっとり……」

「今まで何度、無茶言ってきた取引先に最終的に頭下げさせてきたことか……。ミリーちゃん、あんたはそういうことしないってわかってるから言うけど、どこかから理不尽な扱い受けたらあたしに言うのよ。相手が胃を押さえながら謝りに来るまでねちねち攻撃してあげるからね」


 そんなことを笑顔で言うタリアが怖い。世の中の敵に回してはいけないひとりだ。さすが、製作に没頭して表に出ない夫の代わりに工房を切り盛りしているだけはある。「タリア陶器工房」の名前になっているのは伊達ではないのだ。


「発注が増えるのは大歓迎さ。でもミリーちゃんも無理するんじゃないよ」

「ありがとう。でも人を雇ったからこれからはひとりで走り回らなくて済むし、やることも増えるけど自分じゃなきゃ出来ないこと以外はできるだけ人に任せるつもり」

「それがいいよ。頑張りな」


 さしあたり、明日はマシューが工房に来る。石けんの製作に使う、ぎりぎりで捨てられずに済んだ道具を持ってくるというのでそれが楽しみでもある。


 その日は走り回った分夕刻前に風呂屋に行き、昨日入浴出来なかった分しっかりと体を洗った。


「熟練の石けん職人、ねえ……」


 自分が手にした石けんを洗い場で眺める。石けんのレシピはロクサーヌから教わったもので、伝統あるマルセラ石けんと呼ばれるものだ。全体の材料の内の72%がオリーブオイルで、残りの28%が水分という厳しい基準がある。この基準を守ると「マルセラ石けん」を名乗ることが許され、「72%」という刻印を入れることができ、一級品の石けんである証明にもなっている。


 なお、マルセラ石けんを名乗りながら他の油脂を使っていたり、オリーブオイルの比率が72%ではないことがばれたりすると、即刻販売停止にされ、二度と石けん産業には戻れない。その辺も物凄く厳しい。


 なので、カモミールはマルセラ石けん以外のレシピで石けんを作ったことがなかった。

それが予想せぬ大嵐を招くとは予想がつくわけはない。



 翌日、マシューは荷車に何かを乗せて工房へとやってきた。


「おはようございます、マシューさん。今日からよろしくお願いします」

「カモミールさん、おはよう。早速じゃが、儂が命がけで息子夫婦から守った石けん作りの秘密道具を持ってきたぞい」


 マシューが得意げに荷物に掛けられた布を外す。……が、カモミールにはそれが何かわからない。何か金属の細い板が複雑に絡まり合っているようだが、石けん作りとの関係は不明だ。


「これは、何ですか?」

「ふっふっふ、これはな、錬金釜の上に取り付けて、歯車の力で釜の中の材料を攪拌するための道具じゃ。材料は鉄で、強アルカリでも腐食はせんよ。錬金釜の深さに合わせて長さを調節出来るから、一部だけが混ざる心配も無い」


 マシューの説明にカモミールは目を丸くした。石けん作りは重労働だったのだ。何せ、材料をかき混ぜている間に油とアルカリの反応が進み、最初はさらさらとしていた油脂がどんどん固まって手応えが重くなってくる。これを型に流し込める固さになるまで続けなければならなかった。


「凄いじゃないですか! 人力じゃなくて攪拌が出来るんですね! 動力は何ですか?」

「この横に繋がったハンドルを回すんじゃ。そこから歯車を使って全体の機構を動かすように出来ておる。多少は重いが、人力でやるよりははるかに楽じゃぞ。ちなみに、作ったのは儂で世界にひとつしか無い!」

「うわー……」


 これが捨てられていたらと思うとめまいがしそうだった。同時に、マシューの石けん作りにかけていた情熱がよくわかる。これはもはや錬金術師が作るものではない。


「さて、これを取り付ける前に、作った現物の石けんとレシピを見せてもらおうかの」

「は、はいっ!」


 もしかしたら凄い人を雇ってしまったんじゃ――。緊張しながらも、カモミールは新たな知識が増えそうな予感にワクワクとしていた。


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