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第35話 新しい仲間

 カモミールが目を覚ましたのは翌朝だった。見慣れない場所で目を覚ましたので最初混乱したが、すぐにここがエノラの家だと気づく。問題は、昨日見せて貰った部屋ではなくて、ヴァージルの部屋で寝ていたことだ。部屋に細々とした物が置いてあるからそうだとわかった。


「あっれー、私昨日どうしたんだっけ……飲みすぎた? ううん、お酒飲んだ記憶すら無いわ。服も着たままで……って、お化粧! お化粧落とした覚えがない!」


 小さなテーブルの上にあった鏡を覗き込むと、そこには素顔のカモミールが映し出されていた。化粧が綺麗に落ちていたことには安堵するが、落とした覚えはないので疑問が増すばかりだ。


 小さな窓から外を見てみれば、いつもの朝食とあまり変わらない時刻になっているようなので、カモミールは階下に降りることにした。


「おはようございます」

「おはよう、ミリーちゃん。昨日は随分お疲れだったみたいねえ。ヴァージルちゃんが眠ってるミリーちゃんをこっちに連れてきたときには驚いたわ」


 チーズを切り分けている台所のエノラに挨拶をすると、これまた流せないことを言われる。


「眠ってる私を、ヴァージルが?」

「そうよー。屋根裏部屋に運ぶのは無理だから、ってヴァージルちゃんの部屋に寝かせてたわ。ミリーちゃんに貸すお部屋はまだお掃除が終わってなかったから」

「全然記憶が無いんですよね……で、ヴァージルは?」

「ベッドを譲った代わりに工房の屋根裏部屋で寝てるわ。もうすぐ朝ご飯だから呼んできてもらえるかしら」

「わかりました」


 いろいろ腑に落ちないことはあるが、ヴァージルにも聞いてみるしかない。特に化粧が落ちていたことについてはヴァージルがやったことなのだろう。

 カモミールは工房へ入ると、顔を洗い、例の「薬草の煮汁」をびしゃびしゃと顔に付けた。こういうものは惜しんではいけないのだ。効果がわからなくなる。


「ヴァージルー、起きてるー? 朝ご飯よ」


 顔を拭きながら上へ向かって声をかけると、ごそごそと音がしてヴァージルがはしごを下りてきた。


「おはよう、ミリー。調子はどう? どこか具合が悪く感じたりしない?」

「具合? 普通よ。そういえば、寝ちゃった私をヴァージルが部屋に連れてきたってエノラさんから聞いたんだけど」

「ああ、うん。昨日のミリー、凄く疲れてたみたいでさ、僕と話してる間に寝ちゃったんだよ。だから、僕のベッドを貸したんだけど」

「そうなの? そんなに疲れてた記憶は無いけど……」

「緊張してたのが後からどっと来たんじゃない? フロランタン摘まみながらしゃべってると思ったら、カクッて寝落ちしちゃったんだ。着替えさせられないから、お化粧は落としておいたよ」


 緊張していたのは確かだし、ヴァージルの言うことにもおかしな点は感じられなかったので、カモミールはとりあえずそれで納得することにした。横目で見ればテーブルの上にあるお菓子はしっかり減っているので、ヴァージルの証言とも一致する。


「お化粧、どうやって落としたの? すっごい綺麗に落ちてたけど」


 いつもなら風呂屋で体を洗うときに一緒に石けんで洗って落とすのだが、昨日に限ってそれはない。朝起きたときに肌がべたつきもせずもちもちしていたので、何かの技術があるのかと尋ねてみる。


「ミラヴィアの下地クリームを顔にたっぷり塗って隅々までマッサージしてね、蒸らしたタオルで丹念に拭き取るんだ。お化粧も落ちるし肌もしっとりするって、お客さんの間では評判なんだよ」


 まさかの、作った人間が知らない裏技だった。確かに下地クリームの上に白粉をはたいているので、クリームでマッサージすれば化粧は落ちる。だが、それはかなり贅沢な使い方ではないだろうか。


「もしかして、下地クリームが妙に売れてたのって……」

「こういう使い方をする人がいたからだよ。お金持ちのお客さん限定だけどね」

「へえええー、知らなかったわー。でもこれは確かにいいわね」


 化粧を落とすクリームも安価で出したら売れるかもしれないと、カモミールは頭の隅にメモをした。



 髪を結い直してから朝食を食べ、ほんの少しの私物を隣家へ運ぶだけの引っ越しをすると、カモミールは支度金の中から10万ガラムほどを持って錬金術ギルドへ向かった。

 花から作る染料は実家から材料が来てから自分で作ればいいと思っていたが、時間短縮のために売っているものを使うことにする。


 それと、一番の目的は求人を出すことである。石けんの作成はできれば手慣れた錬金術師がいいが、そういう人材がホイホイ上手い具合にいるとは思えない。もうひとりは錬金術のことがわからなくても良くて、白粉をケースに詰めたり、決まった分量で危険性のない材料を混ぜたりするだけの助手だ。


 求人票を書くのが初めてだったので、若い受付嬢に相談しながらなんとか2枚の求人票を書き上げる。それを入り口近くの求人ボードに貼ろうとすると、貼った側から受付嬢が片方を勢いよく剥がした。


「えっ!? 何?」

「ギルド長ー! 私お仕事辞めまーす!」


 少女が叫んだ言葉にギルド内がざわめいた。奥から足をもつれさせながら中年の男性が駆けてくる。カモミールも何度か顔を見たことがある錬金術ギルド長だった。


「待て待て、キャリー、おまえ何を突然」

「だってミラヴィアのカモミールさんが求人出してるんですよ! 私はそっちのお仕事をしたいのでギルドの受付は辞めます!」


 カモミールがポカンとしていると、ギルド長がキャリーと呼ばれた少女の肩を掴んだ。それにもキャリーは臆した様子は見せない。


「まだ採用されると決まったわけじゃないだろう!?」

「カモミールさん! あなたが求人票書いてるのを見ながら私ずっと考えてたんです。それでそっちのお仕事をしたいって決めました! キャリー・ブライアン18歳です! 特技は精密な作業をすること! 硬貨をちょうど10枚ずつ取ったり、材料を10gずつ量ったりするのが得意なので、今回の求人の助手にぴったりだと思います! 錬金術師ではないですが、錬金術師の父の手伝いをこどもの頃からしていたので、その辺自信はあります!」


 キャリーは茶色の髪を顎の下で切りそろえた活発そうな少女だった。明るい茶色の目がきらきらと輝いていて、ミラヴィアのお仕事をしたいんです! と熱のこもった口調で語る姿には迫力がある。

 細かいことが得意で、錬金術師ではないけれど心得があるというのもポイントが高かった。正直に言えば、ここで即決したい人材ではある。しかし――。


「キャリーさん、ギルドの職員のお仕事は……?」


 心配なのはそこの所だ。キャリーがギルドを退職するにしても、ギルドと揉めたくはない。


「大丈夫です! 私が今してる仕事は誰でも出来る仕事なので。この求人票の通りに半月後からお仕事なら間に合います」

「キャリィィィー! 確かにお父さんは『人手が足りてないからその間だけ手伝ってくれ』と頼んだけど! こんなに突然辞められると困るんだよ!」


 ギルド長が情けない顔でキャリーに縋っている。そこは親子関係だったのかとわかるといろいろ腑に落ちた。ギルド長の娘が、人手の足りていないギルドの職員として手伝っていたのだ。


「半月! 半月の間に次の人に引き継ぎするから! 前から何度も言ってるけど、錬金術ギルドの中から職員を探そうとしてるから見つからないの! 錬金術師は自分の研究がやりたいんだから、わざわざギルドの職員なんてするわけないでしょ! お父さんだって毎晩ギルド長辞めたいって愚痴ってるじゃない!」

「そりゃあ辞めたいさ! 俺だって自分の研究がしたいんだ! だがギルド長ってのは先代からの指名制で……」

「変えちゃえ! そんな会則!」


 目の前でギルド長親子が物凄い勢いで言い争っている。だが、カモミールから見てもキャリーの方に分がありそうだ。そもそも錬金術師はひとりで研究をすることが多く、社会性のない人間が多くなりがちである。


「カモミールさん! どうですか!? 私雇ってもらえますか!?」

「うーーーん……採用!」


 キャリーの特技もいいし、押しの強い性格も気に入った。キャリーがその内理屈っぽいテオと言い争いになっても、これなら勢いで勝てる気がする。


「やったー!」

「キャリー! お父さんを見放さないでくれぇぇ!」

「大丈夫、責任持って代わりの人は見つけてくるよ! 商業ギルドとか、教会とかに求人ペタペタ貼り付けてくる」


 求人票を握ったキャリーが拳を突き上げて喜んでいる。足下には崩れ落ちたギルド長がいてなんとも情けない構図になっていた。


「お嬢ちゃん、ちょっと訊いてもいいかね?」


 ギルド長親子に気を取られていると、少し腰の曲がった老人に声をかけられた。


「主に石けん作りをする錬金術師を雇いたいんじゃな? 一度に作る量はどれくらいを想定してるか訊いてもいいかの?」

「えーと、一度に100リットルの容量で作る予定です」


 工房の大きさが取り柄の錬金釜を想像して答える。油脂とアルカリ溶液を足して100リットルということだ。釜は300リットルでも十分にいけるほどの容量があるのだが、かき混ぜなければいけないので、これ以上材料を多くすると撹拌棒が重くなりすぎて混ぜられない。


「錬金釜の容量は?」

「450リットルだったと思います」

「ふむ……カモミールさん、その錬金釜で300リットルの石けんを一度に作れると言ったら、儂を雇ってくれんかのう?」

「えっ……」


 失礼ながら、このおじいさんに300リットルの石けん素地をかき混ぜられるようには思えない。カモミールが困っていると、職員のひとりが立ち上がって助け船を出してくれた。


「その人はマシュー・キートンさんと言って、熟練の石けん職人なんですよ。最近目が悪くなって、逆に少量の石けんは作りにくいらしくて」

「年齢的にもそろそろ後進に道を譲らねばと思っていたんじゃがな。儂の技術を伝えられる弟子を取っていなかったことに気づいての。はっはっは」

「なーるほどー。それでギルドに張り込んで石けん関係の求人が来るのを待ってたんですか。手っ取り早く弟子を取ったらいいのに」

「引退宣言をうっかりした途端に、道具をあらかた息子夫婦に始末されてしまってな……なんとか死守したものもあるんじゃが」


 道具を始末されたと聞いてカモミールは悲鳴を上げそうになった。錬金術師にとって道具は命だ。これがなければどうにもならない。


「採用! マシューさんのその技、私に引き継がせてください!」

「おお、これからよろしく頼むぞい」


 人を確保出来るまで最悪半月くらいかかるかもしれないと思っていたが、カモミールの予想に反して求める人材があっさりと見つかった。

 キャリーは次の休みに、マシューは明日早速工房に来て貰うよう約束をして、カモミールは次の目的地に向かうことにしたのだった。

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