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第33話 環境を整えましょう

 カモミールが工房へ戻ると、外壁が仕上がったらしく久々にテオが外にいなかった。


「ただいま。漆喰塗り終わったの?」

「おうよ、なかなかいい出来だろォ? 釜の中のカオリンも乾燥が終わったから壺に移しておいたぜ」

「うわー、助かるー。さすがテオ!」


 テオは物凄く得意げだ。確かに、錬金術師の助手としては有能極まりないだろう。カモミールよりもテオの方が錬金術師としては素養があるくらいなのだ。

 カモミールは改めて外に出ると外壁を確かめた。鏝で波のような模様を描いた外壁は芸術的ですらある。いかにも一点集中したら他のことが目に入らない錬金術師気質が表れているようにも見えた。


「うん、凄く綺麗に塗れてる! 見た目だけならうんと新しい建物みたいになったね。――そうそう、侯爵夫人のところでいろいろお話をしてきたんだけど、ヴィアローズの実稼働を1ヶ月後に予定して、それまでに商品を揃えることになったの。テオと私だけじゃ人手が足りないから、白粉を計量してケースに詰めたり、誰でもできそうなことをする人を雇うことにしようと思って。テオ、精霊だって隠し通せる?」

「おいおい、馬鹿にすんなよ。というか、普通にしてるだけで精霊だなんて見抜く奴はヴァージルくらいのもんだぜ。魔法使いじゃない人間でも魔力がぼやっと見える奴はいるみたいだけど、おそらくその程度じゃ人間と精霊の区別は付かねえ。精霊を見たことがあって、それが精霊だと気づく奴は今のこの世界に何人いるんだろうな」

「えー、ヴァージルってそんなに特別なの?」


 いろいろ出来て魔力もあって精霊も見分けられるなんて、カモミールから見るとずるすぎる。魔力無しであるせいで錬金術もかなり制限されているのだ。魔力があるなら化粧品店で働くより錬金術やってよ! と言いたくなる。


「あいつは――まあ、現代に於いては特別な奴だよ。自分でどう思ってるかは知らねえけど」

「そっか……確かに、魔力持ちだといろいろそれで困ることもあるって聞いたことがあるし、あんまり突っ込まない方がいいか。あ、これマーガレット様が持たせてくれたお土産。お菓子だけど、テオが食べられそうなら食べてみてもいいよ。私はちょっとお隣に行ってくるね」


 カモミールはケーキをひとつとクッキーを数枚取り分け、それを手土産にエノラの家へと向かった。玄関をノックすると、エノラは在宅していたようですぐに中から返事があった。


「あら、ミリーちゃん……? よね?」

「はっ! お化粧したままでした! ちょっと待っててください」


 お化粧がそのままどころか、服も着替えていない。カモミールは急いで工房に戻り、イヴォンヌから借りた服の一式を脱いでいつものワンピースに着替えた。化粧は落とすのが面倒なので、とりあえずそのままエノラの元に戻る。

 一部始終をテオが見ていたが、テオはカモミールの中では男性に数えられていない。タマラが「性別・タマラ」なのと一緒で「性別・テオ」なのだ。周囲で男性に区分されているのはガストンとヴァージルくらいのものだった。今日そこにジョナスという特例が加わったわけだが。


「こんにちは、エノラさん。さっきはすみません」

「いいのよ、どこかお出かけしてきたの?」

「はい、ジェンキンス侯爵夫人に招かれて、それであんな服とお化粧を」

「まあー。御領主様のところへ! 入って適当に座ってちょうだい」


 カモミールはいつも食事で座るのと同じ場所に座り、お裾分けの菓子をテーブルに置いた。


「いただいたお菓子を少し持ってきました。美味しかったからエノラさんも食べてください。……それで、今日はご相談があって……私もここに間借りすることって出来ますか?」

「いいわよ。3階のヴァージルちゃんの隣の部屋が空いてるわ」

「ヴァージルの、隣……」


 それはつまり薄めの壁一枚隔てた向こうにヴァージルがいるということだ。――当たり前なのだが、少し躊躇もする。

 いや、工房の隣に間借り出来るという状況は、他の欠点を補って余りあるほど大きい。というより、エノラの家はカモミールが知る限り他に欠点などはない。


「お部屋見てみる? 3階の奥なんだけど」

「そうですね、見てみます」


 狭い階段を上り、限られた敷地を有効活用した結果上へ伸びた建物を進んでいく。

 1階は水回り、2階は主寝室で現在はエノラの部屋、3階は狭い部屋がふたつで、息子たちと娘たちの部屋にしていたという。工房の屋根裏部屋と広さを比べると段違いに狭いが、こちらは当たり前のようにきちんと立てる高さがある。


 部屋には古いがベッドとクローゼットが備え付けられていた。簡単に掃除をすれば今日からでも泊まれそうだ。


「実は、屋根裏部屋に私物を置いて寝ていたら、干したドクダミの匂いが服に移っちゃって、侯爵夫人に『部屋を借りるように』と釘を刺されちゃいまして」

「ドクダミを寝る場所に干したの? あらー、ミリーちゃん凄いことをするわねえ。臭かったでしょう」

「それはもう……」


 エノラにも、マーガレットがわざわざ『部屋を借りなさい』と指示した理由は納得出来たようだ。今までのように朝と昼の食事を付けて月3万5千ガラムという安い金額で間借りをすることがきまった。マーガレットは寡婦にしては珍しく生活に困っていないので、若い人が一緒に住んで賑やかになれば、と賃料を安くしてくれたのだ。


 カモミールの私物は主に工房で使うものなので、エノラの家へ持ってくるのはそれこそ着替えとごく少ない身の回りの品物だけだ。

 それを取りに工房へ戻ると、ヴァージルが神妙な顔で椅子に座っていた。


「お帰り、ミリー」

「ヴァージルもお帰り。あ、侯爵夫人からお土産いただいたの。食べる? フロランタンは全部私のだからダメだけど」


 いつも通り軽い調子で話すと、ヴァージルは一瞬変な顔をして目を瞬かせた。

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