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第30話 目指すところは

「さあ、お菓子も来たしお茶にしましょう。フロランタンは余ったら包んであげるから持って帰っていいのよ。もちろん他のお菓子もね。

 私はね、このレモンの入ったクッキーが好きなの。こっちのアップルパイもお勧めよ、うちの料理長の自信作なの」


 柔らかい花の香りの漂うお茶がカップに満たされ、皿にイヴォンヌがアップルパイを取り分けてくれた。確かに気になったことは間違いないのだが、そんなに顔に出やすいのだろうかとカモミールは少々へこむ。


「どうぞ、召し上がれ」


 真正面でニコニコとカモミールを見つめている夫人が怖い。いや、夫人の人間性は怖くはないのだが、普段会うことも叶わないはずの高貴な女性に、反応を見つめられているというのが怖い。


「は、はい。いただきます」


 アップルパイにフォークを入れると、サクッとした感触が伝わってきた。柔らかく煮えたりんごの下には、クリームの感触。深く考えないことにして、お上品に見えそうな大きさを切り取って一口食べると、こってりとしたカスタードクリームに、スパイスを効かせたりんごの甘煮が絡んでとても美味しい。


「美味しいです! このような場にお招きくださって、本当にありがとうございます」


 思わず笑顔になって礼を言うと、カモミールが食べている姿を見ているのが楽しくて仕方ないという様子で夫人は更に笑った。


「あなたのいいところは、そういう素直なところね。困っていたら思わず助けてあげたくなるような感じ。とてもいいことよ、そのままの自分を大事にね。それに、トゥルー・ローズの香水のお礼だもの、あなたがしたことが自分に返ってきたのだと思って、楽しく過ごしてもらえれば嬉しいわ」


 金策のつもりだったんです、とは口が裂けても言えない状況になった。アップルパイとフロランタンはそれは美味しいが、カモミールにとっては当てが外れたのが現状だ。


「それでね、あなたの手紙にもあったけど、新しいブランドを立ち上げるというのはいいと思うわ。ミラヴィアを引き継いで、それとは違うヴィアローズ――進化した、というイメージを持たせることが出来るわね。ロクサーヌもミラヴィアはあなたとふたりで作り上げたと常々言っていたし、あなたひとりでもミラヴィアの全ての商品を製作することは出来た。――あまり厳しいことは言いたくないのだけど、これからはあなたがヴィアローズの顔になるの。あなたが可愛らしくて、素直で素敵な人柄だということはヴィアローズの強みになるのよ。これは憶えておいてね」

「私が、ヴィアローズの顔、ですか」


 急にアップルパイの味がしなくなりそうだった。ロクサーヌは錬金医でもあるから人前に出ることは多かったが、カモミールは工房に籠もっている事が多い。外出もお使いが主で、ロクサーヌがいくら「ミラヴィアはカモミールとふたりで作り上げた」と言っても、師匠と弟子である以上他から見てカモミールが添え物に見えていたことは間違いない。


「しわしわのおばあちゃんや、化粧のことを知らない中年男性が作っていると言うよりも、若くて可愛い女の子が作った化粧品という方が説得力もあるでしょう」


 眉間に皺を刻んだガストンが化粧品を手にして「私が作った」と言っている姿を思わず想像してしまった。確かに激しく違和感がある。逆にクリスティンのような美女が作ったというなら、自分もあんな風になれるかと期待もしてしまいそうだ。


「確かに、仰るとおりです」

「ヴィアローズの販売が始まったら、一緒に王都にも行きましょう。宣伝活動の一環よ。……ああ、ごめんなさい、品質の良い化粧品は我が領の特産品だからつい口を出してしまったけれど、カモミール自身はヴィアローズをどこまで持って行きたいのかしら。自分ひとりで作りきれる量でカールセン内で流通して評判がそこそこあればいいと思っている? それとも、国中から求められて、女性の羨望を集めたい? まず、そこからあなたの計画を聞きたいわ」


 夫人の目は笑ってはいなかった。これはカモミールだけの問題ではない。ジェンキンス侯爵領の問題でもあるのだとそこで改めて思う。


「私は――」


 フォークを皿の上に置き、カモミールは俯いた。

 今まで考えたことがなかった問題だ。とにかく自分が出来ることをがむしゃらにやればいいと思っていた。テオにも手伝ってもらい、商品数を増やしすぎなければ商品が不足なく回る程度には作成することも出来る。でも、それは先に夫人が提示した「カールセンの中だけ」に限りなく近い。


 でもそれだけではなく、夫人はもっと広い視野でカモミールの行く先を見ようとしている。ミラヴィアは確かにクリスティンの王都の店舗に置かれていたし、カールセン以外では入手しにくいミラヴィアを買い付けるために他領の商人が来ることがあるとも聞いていた。化粧品には高めの関税がかかっていて、ジェンキンス侯爵領以外だと高いんだよとはヴァージルから聞いた話である。


 今まで他人事のように聞いていた話が、急に現実感を持つ。息が苦しくなりそうだった。


「私は、ヴィアローズを……」


 クリスティンや侯爵夫人の期待ははっきり言って重い。けれども、カモミールにはやりたいことがあって、それは譲れない。そして、どうせやるならば。


「この国で一番の化粧品にしたいです。名前を聞いただけで誰もが手に取ってくれて、実際に使ったら笑顔になってもらえるような、そんな化粧品に」


 ずしりと肩にのしかかった重みを受け入れて、カモミールは顔を上げてはっきりと告げた。

 視線の先にいる夫人は満足そうに笑んでお茶を飲み、その後ろのイヴォンヌは身を捩っている。何か叫びたいのを堪えているのだろう。


「今のあなたの表情、とても素敵よ。ロクサーヌは本当にいい弟子を育てたと思うわ。

 さて、クリスティンからも話は聞いているわ。ヴィアローズが本格的に出せるようになったら、お披露目会をするそうね。その前の段階ではカードに香りを付けて配って、名前だけ周知するとか。とても楽しそうだし、もし私がそんなカードを受け取ってしまったら朝晩香りを嗅いで、『ヴィアローズって何かしら? 新しい香水かしら』って気になって仕方が無いと思うの。――だから、カードの方は王都の上客限定で配るように指示したわ。話題にするには顧客の全員に行き渡らせる必要は無いのよ。むしろ持っていることがステータスになるくらいが一番興味を煽っていいくらい。王都とカールセンで同時にお披露目会をして、できればあなたには着飾って王都のお披露目会の方に出て欲しいと思っているの。それまでミステリアスなベールに包まれていたヴィアローズを、一番詳しく説明出来るのがあなただから」

「王都のお披露目会に私も、ですか」


 ほんのちょっと前に「ヴィアローズをこの国一番の化粧品にしたい」と言い切ったのに、既にカモミールは腰が引けていた。目標はがむしゃらに歩いて行った先にあるもので、目の前にいきなり「着飾って王都」なんて難問をぶら下げられたら二の足を踏んでしまう。


「それだけではなくてよ。私が貰ったトゥルー・ローズの香水と同じ物を、お披露目会に合わせて王妃陛下に献上しようと思っているの。できるかしら?」

「王妃陛下に……献上……」


 にこやかに爆弾発言をした夫人をまじまじと見つめつつ、カモミールの意識は遠ざかりかけた。

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