香水瓶を見てカモミールがにやけていると、ノックの音の後に返事も待たずヴァージルが工房の玄関を開けた。
「ミリー、お化粧のことなんだけど」
「あれ? もうお昼? 集中してて気づかなかった」
ヴァージルは昼休みに来てくれる約束になっていたので、彼の来訪で今の時間を知る。
テーブルの上にふたつの弁当の包みを置いて、ヴァージルは今まで作業をしていたカモミールの向かいに座る。
「うん、もうお昼。それで、ミリーの服は借りることになったんだよね? どんな感じか聞いてた?」
「そういえば聞いてなかったわ。多分派手な服では無いと思うけど……」
「服に合わせたお化粧にした方がいいと思って。ミリーが着替えてからお化粧をして、それから帰るって店長に許可取ったから」
「甘ーい! カリーナさん、ヴァージルに甘ーい!」
「違う違う。ミリーが侯爵夫人の招待を受けたってことは、ヴィアローズに絶対影響が出るから、クリスティンにとっても重要案件なんだよ。ミリーは侯爵夫人に悪い印象を与えたくないでしょ? だったら見た目の第一印象は大事だよね」
ヴァージルが言っているのは確かに正論なのだが、ヴァージルがあまりに笑顔なので、彼が個人的にカモミールの「仕上げ」をしたがっているのは一目瞭然だった。
「まあ……確かにある程度服に合わせた方がいいわよね。落ち着いた服なのに頬紅が元気いっぱいなピンク色だったりすると事故だし」
「そうそう、そういうこと。じゃあまずはご飯を食べようか」
言いくるめられた気もするが、とりあえず向かい合ってエノラの作ってくれたお弁当を食べる。基本的に昼は食べやすいようにパンに何かが挟まれているのだが、今日はパイだった。
エノラの料理の腕は信頼しているので、お茶を淹れて躊躇無く食べる。中身はマッシュポテトとベーコンを詰めたベーコンポテトパイだった。美味しいし、お腹にたまりやすいのが良い。
一息ついたら、まずは髪のセットから支度が始まった。一応ヴァージルが弄りやすいようにと、今日は洗った髪はそのまま下ろして乾かしていた。
「うねってないミリーの髪の毛、新鮮だなぁ」
「あー、確かにそうかも」
いつもは三つ編みの癖が付いた状態からのアレンジばかりやらせてしまっている。ヴァージルは悩みながらも自分の手に髪の毛に良いと言われるオイルを付けてカモミールの髪に馴染ませ、唸りながら丹念にブラッシングしてくれた。
「敢えて顔の周りに後れ毛を残して、編み込みをしてアップに……いや、低い位置でふたつに結ってから
ぶつぶつと呟きながらも、艶を出すブラッシングの手は止めない。ヴァージルの職人魂が凄い。
結局、「よし、普段はミリーがしない髪型にしよう!」と彼は嬉しそうに宣言し、カモミールの髪型を飾り気のないハーフアップにした。後は服の色に合わせて生花を選んで髪に飾るらしい。
確かに髪を下ろしていること自体めったにないので、カモミール自身にも新鮮ではある。
「確かに……普段しない髪型だわ」
横顔が新鮮で、カモミールが鏡に向かって右を向き左を向きしみじみとチェックしていると、玄関がノックされた。まだ時間には早いはずだがと慌ててカモミールが出てみると、イヴォンヌが腕に服を抱えて立っている。
「イヴォンヌ様! いらっしゃいませ、今日はよろしくお願いいたします」
「こんにちは、カモミール。着替える時間がいると思って少し早く来ました。あなたに似合いそうな服を選んで持ってきたわ。サイズが合うとよいのだけれど」
合わせます! むしろサイズの方を合わせます! そう口走りそうになるが、カモミールはぐっと堪えた。
工房の中にイヴォンヌを迎え入れ、カモミールは香水瓶を手に取るとそれを両手で彼女に差し出した。イヴォンヌはカモミールの行動に目を瞬かせている。
「突然のぶしつけなお願いしたにも関わらず、お力を貸してくださったイヴォンヌ様にお礼の気持ちを表したくて。でも今の私にできることは少ないものですから、イヴォンヌ様のイメージに合わせて香水を作りました。お仕事中にも気軽にお使いいただけるオード・トワレです。侯爵夫人の好まれたトゥルー・ローズも入っておりますので、これならお気に召していただけるかと……」
「まあ……」
カモミールがしゃべりきる前に、香水瓶を受け取ったイヴォンヌはテーブルの上に包みを置き、感極まったように突然がばりとカモミールを抱きしめる。
「可愛いっ! しかもなんて健気なのかしら! 可愛い、可愛い!!」
「ふぎゃっ!?」
「謙虚で向上心があって礼儀正しくて、小さくて可愛くて、もー! 本当に可愛いわ! 可愛いが飽和状態だわ!!」
「そうなんですよ、ミリーは小さくて可愛くて頑張り屋さんで、本当に可愛いんですよ-」
混乱しているカモミールを助けようともせず、豹変したイヴォンヌにヴァージルがここぞとばかりに同調する。カモミールはイヴォンヌの胸で圧迫されて息が出来なくなっており、「お化粧してなくてよかった……」という意識だけがふわりと浮かび上がってくる。
「い、イヴォンヌ様……」
「あら、ごめんなさい、つい我慢出来なくなって。まるで私の妹を見ているようだったから思わず。さあ、カモミール――いえ、ミリー、私の持ってきた服を着て見せてちょうだい」
「は、はい」
カモミールがビクビクとしながらテーブルの上の服に手を伸ばす。そして取り上げた服は、胸元が白いフリルと飾りボタンで飾られていて、裾に赤い糸で花の刺繍のはいったピンク色の可愛らしいワンピースだった。
ぐふっと言いかけるのを気合いで飲み込み、カモミールはイヴォンヌに尋ねた。
「イヴォンヌ様のお妹様は、お幾つでいらっしゃるのでしょうか……」
「14歳です。私と年齢が離れているのは、継母の子だからよ」
「14歳、ですか」
年齢を間違えられている気はしていたのだが、ここまで盛大に勘違いされているとは思わなかった。カモミールは既に脱力しかけている。そして、笑いを耐えきれなくなったヴァージルが玄関から駆け出していったのが見えた。