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第25話 平常運行の昼……にならなかった

「今日の予定! まずハリソンガラス工房へ行ってガラス瓶を受け取る。それからジェンキンス侯爵夫人用の香水を作る。ヴァージルに侯爵邸に持って行って貰う。その間に私はカオリンの水抜きをして……色素の調節をしたいのに材料がない! お兄ちゃん早く来てぇぇー!」


 予定を確認していたところで、花から取っている色素の材料がないことに気づき、まだ手紙の返事も来ていない家族に向かって思わず叫んでしまった。

 錬金術ギルドに行けば、専門の錬金術師が作った商品が揃っている。花を原料にした安全性が高くて、かつ退色しないように製造された色素もそのひとつだ。買う方が圧倒的に早いのだが、作った方が圧倒的に安い。


「ミリー、僕仕事に行くけど、侯爵夫人に持って行く香水って今日できるんだっけ?」


 カモミールが叫んでいるところにヴァージルがひょっこりと顔を覗かせた。


「そうそう、今日瓶を受け取ったらすぐできるから、お店に持って行くわ。綺麗に包んで欲しいの」

「うん、わかったよ。侯爵邸へのお使いは僕の担当だから、それも店の仕事のうちで行ってこられるしね。ヴィアローズが夫人の支持を得られるかどうかはクリスティンにとっても重要な話だし」

「大丈夫、絶対気に入ってもらえる。私もさすがにこの4年で侯爵夫人の好みは把握してるもの」


 そこに関しては揺るがない。侯爵夫人はバラが好きで、一度だけ去年お茶に招かれたことがあったがピンク色のバラの蕾をそのまま乾燥させたものがガラスのティーポットに入っていたのを憶えている。

 このとき出されたのはハーブティーで、平民のカモミールやロクサーヌが親しみやすいようにという配慮もあったのだろうが、侯爵夫人の好みによるところもあっただろう。香り高く飲みやすい味のハーブがブレンドされていて、とても美味しかった。貴族の間では乾燥させたバラの花びらを入れた紅茶を飲むこともあるという話も聞いた。


 バラの精油は高価なので、香水にするときには他の香料とブレンドすることが一般的だ。今までもミラヴィアでバラ単体の香水というものはなかった。


 その、バラ単体の濃厚な香りだけの香水を、気に入られないはずがない。カモミールとしては本当はバラの香りはミドル~ラストノートなので、トップノートとして最初に香り始めるものを何か配合したいところなのだが。……狙い撃ちの対象が好むものが一番だ。



 ガラス工房を訪れても迷惑にならない程度の時間に顔を出し、香水瓶を受け取る。今回は既存のシンプルな香水瓶にエッチングで模様を入れただけなので、特急料金を含めても2万ガラムで済んだ。白く浮かび上がる八重咲きのバラが華やかで感じが良い。


 その香水瓶に10mlのトゥルー・ローズの香水を入れ、手紙と一緒にクリスティンに持って行く。さすがに瓶むき出しで献上できないので、それを朝ヴァージルに頼んでおいたのだ。


「いらっしゃいませ……あ、いつものカモミールさんだ」

「こんにちは、ミナさん。いつものカモミールよ」


 今日のカモミールの服装は若草色のワンピースに白いエプロンだ。もうエプロンはトレードマークなので、昨日のような認識事故を起こさないために着て歩く。


「ヴァージル、これお願い」


 品出しをしていたヴァージルを見つけて瓶と手紙を託す。ヴァージルは任せて、と微笑むとカウンターの中に入っていった。手頃な箱を選んでそこに緩衝材を入れ、そっと香水瓶を収めると見る者が思わず見入ってしまう滑らかで迷いのない手つきで箱を包装し始める。木箱にリボンだけではなくて、印刷術が発達してきたので綺麗な印刷のされた包装紙を使うのが最近の富裕層での流行なのだ。


「じゃあ店長、ジェンキンス侯爵夫人のところに行ってきます」

「お願いね、くれぐれも、くれぐれもよろしく伝えて置いて!」

「やー、でも、いつもの侍女さんに渡すだけですよ」

「侍女さんも立派な顧客だから!」


 カリーナがカウンターから身を乗り出してヴァージルに念押ししていた。



 その日の夕方、カモミールが錬金釜に火を入れてカオリンの水分を飛ばしているところに、訪問客がやってきた。

 相変わらず外で壁塗りをしているテオのことは壁塗り業者だと思うことにして、錬金釜の下の薪を移動させてから客の応対をする。


 見知らぬ相手だったが、大体の想像は付く。お仕着せの服が、明らかに侯爵邸の侍女という身分を示しているのだ。


「こちらがカモミール・タルボットの工房かしら?」

「はい、私が工房主のカモミール・タルボットです」


 侍女の年の頃は30代前半辺りだろうか。平民とは違う威厳があり、思わずカモミールも背筋が伸びる。


「ジェンキンス侯爵夫人の使いで来ました。あなたから今日献上された香水を奥様はことのほかお喜びで、明日の午後のお茶に招待して直接お話をしたいとのことです」

「……こ、光栄です。喜んでお受けいたします」


 緊張しながらもなんとか応えると、使いの女性は鷹揚に頷いた。


「では、明日の午後2時頃に馬車を迎えによこします」

「あのっ! 失礼を承知でお伺いします!」


 そのままくるりと踵を返そうとした侍女の袖を、カモミールは思わず掴んでいた。突然の無作法に「何か?」と振り返った女性の目が怖いが、背に腹は代えられない。


「以前にも侯爵夫人のお茶にお招きいただいたことはあるのですが、その時には亡き師匠が一緒で私は完全にお飾りでしたので……その……私ごときの持っている服でお伺いしてお目汚しではないか、何かお持ちした方がよろしいのか、逆に失礼に当たるのか、全くわかりませんのでどうかご教授いただけませんか!」


 カモミールが一気に言い募ると、袖を捕まれた女性は目を丸くした後で僅かに口角を上げた。


「あら……まあ。なるほど、あなたの奥様に対する敬意はわかりました。そうですね、平民が招かれるのは確かに稀なこと。勝手がわからなければ戸惑いもするでしょう。私にあらかじめ尋ねたのは賢明なことです」


 完全に90度の角度で頭を下げたカモミールに、予想外に優しい響きの言葉が返ってきた。


「年端もいかぬ少女ですもの、ひとりで侯爵夫人に私的なお茶会とはいえ謁見を賜って緊張しないわけがありませんね。よろしいでしょう。私はイヴォンヌ・エドマンド。エドマンド男爵家の娘で侯爵夫人の専属の侍女です。できる限り失礼がないようにあなたが準備をするのを手伝いましょう。まず、手持ちの中で上等な服を見せてもらえるかしら」

「は、はいっ! イヴォンヌ様、よろしくお願いします」


 一目見たときには厳しそうに見えたイヴォンヌだったが、カモミールの必死な態度で態度を軟化させてくれた。微笑ましいものを見るような視線を送られている。 

 年端もいかぬ少女と言う言葉で「あ、また年齢勘違いされたな」と気づいたが、イヴォンヌの助力はありがたい。


「そちらにお座りになってお待ちください。服は屋根裏部屋にありますので取って参ります」


 上等な服と言っても、一枚しかないんだけどなあ……。

 屋根裏部屋へのはしごを登りながら、カモミールはイヴォンヌに聞こえないようにぽつりと呟いた。

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