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第22話 いろいろするとお腹が空くよね

 カモミールが工房に戻ると、テオがはしごを使って屋根に近い部分に漆喰を塗っていた。なかなか丁寧な仕事ぶりで――つまりは、全て塗り終わるまでかなりの時間がかかりそうだ。


「ただいまー!」


 クリスティンから提案されたものが予想以上の成果だったので、カモミールは上機嫌でテオに手を振る。カモミールの声で振り返ったテオは漆喰を乗せたこてを持ったままで「お帰り」と応えた。


「その顔じゃ、成果は上々だったみたいだな」

「うん! これから製品を作ってある程度の数がまとまったら、お披露目会をしてくれるって。あとね、ヴィアローズの名前だけ入れたカードを作って、香水を1滴垂らしてお客様に配るんだって。ヴィアローズがなんなのかは秘密にしたまま! ちょっと考えただけでワクワクしない? 動き始めてるんだよ、私のブランド。

 あー、のんびりしてられない! 着替えてお化粧落として、タルクとカオリンを粉にして、薬草も摘んで化粧水の配合も考えて! やることたくさーん!」

「浮かれてやりすぎんなよ。壁塗りが終わったら俺も薬草煮出すくらい手伝ってやるから」

「ありがと! でも、こういう『今から始まるぞ!』ってときのワクワクが大好きなの」


 足取りも軽く工房へ入り、椅子の上に置いておいたいつものワンピースに着替える。髪型はせっかくなのでそのままにしておいて、石けんを使って念入りに洗顔して化粧を落とした。


「まずは時間かかる奴からやらないとね」


 錬金術ギルドから届いたカオリンの塊を、いささか大きすぎる錬金釜に入れてなみなみと水を注ぐ。カオリンは保水力が高いので、水を使って不純物を取り除き、漂白もして乾かすには数日単位の時間がかかる。撹拌棒でごんごんとカオリンをつつくと、水を吸った部分から崩れだして見る間に水が濁った。しばらく放置して沈殿していない不純物を取り除く。不純物がなくなったら炭酸ナトリウムに過酸化水素を反応させて作った過炭酸ナトリウムも入れて、白いカオリンを作り出すのだ。


 地味に時間がかかる作業だが、沈殿待ちの間に最大サイズの乳鉢で硬度が低いタルクをゴリゴリと粉にしたりして、並列作業を進めた。途中で手が疲れたので、ヴァージルに明日店に持って行って貰う分の香水も作る。


「ただいまー」

「お帰りー……って、つい言っちゃったけど、あなたの家は隣!」


 ヴァージルが当たり前のように工房にやってきて、カモミールは既に夕刻になっていることに気づいた。周りの家が当たり前のように3階建てなので、この平屋の工房は日当たりが悪くて日が傾いているのに気づかなかった。


「うん、それはわかってるんだけど、お腹空いちゃって。ミリーもご飯まだだよね? 早く食べに行こう!」

「あー、うん、そうね。そういえば私もお腹空いたわ。クリスティンさんに淹れて貰ったお茶を飲んでから何も食べたり飲んだりしてなかった」

「ええっ、ミリー、それは危ないよ。せめてお茶くらい飲まないと」

「庭に生えてる草の中でお茶にできるのがあるから、明日はそれを摘んで適当に煮出して置いておくことにするわ」

「ま、まあ、何も飲まないよりマシ……かな?」


 生水を飲むのが病気の原因のひとつであることは、「小さな錬金術」の創始者マクレガー夫人によって広められている。沸騰させて湯冷ましを作っておくか、ハーブティーを飲むか、アルコールの殺菌作用を利用して薄めたワインを水代わりに飲むのが一般的だ。

 カモミールの場合はハーブティーが一番馴染み深く、薄いワインを飲むと物足りなさに苛々してくるので、仕事中は飲まない。その代わり夕食にはワインなりエールなり果実酒なり、酒を飲むことが多かった。


「あーっ、今日は頑張ったから心ゆくまで美味しいお酒が飲みたい! ……と言いたいところだけど、明日もやることがたくさんあるのよねー。ほどほどにしなきゃ」


 作業をやめて思いっきり伸びをすると、背中がバキボキと鳴った。気づかぬうちに同じ姿勢が続いたせいで体が強ばっていたようだ。


「テオも行くかい? 近くの屋台だけど」

「いや、俺は今は壁を塗ることしか考えられねえ。暗くても見えるから全部塗り終わるまでこのまま続けるぜ」


 ヴァージルがテオを誘ったが、壁塗りにハマったらしいテオに断られている。しかし暗くなってからの作業は普通の人間にとっては危ないものなので、常識的には止めなければならない。


「テオ、今日はそこまでにして。精霊と普通の人間は違うの。暗いときにはしごに乗ったまま作業するなんて危ないの。人間は落ちたら怪我するの。精霊はどうなのか知らないけど」

「えええー」


 正論で説いたつもりだったのだが、テオは思い切り不満そうだ。拗ねるポイントが子供っぽい。

 カモミールが手を腰に当てて睨み続けると、テオはそのうち根負けして渋々とはしごを降りてきた。


「じゃあ、私たちはご飯に行ってくるわ。あ、お茶にできるハーブがあったら適当に摘んで置いて!」

「わかったよ。行ってこい行ってこい」


 物凄く雑に見送られたが、ヴァージルがカモミールの手を握って駆け出しそうな勢いで引っ張るので、慌てて自分も小走りになりながらカモミールは自分が手ぶらであることに気づいて焦った。


「待ってよヴァージル、私お金持ってきてない」

「店長から聞いたんだけど、新ブランドの計画が凄くいい感じにまとまったんだって? お祝いだから僕のおごりだよ。後、本当に今日はお腹が空いててもう待てない!」

「本当にヴァージルって食べたものがどこに入ってるの!?」

「今日はいろいろあってさ。妙にお腹が空くときってあるよね」

「んー、まあねー」


 カモミールは返事を濁した。どちらかというと、いつもと同じに食べたはずなのに妙にお腹が空くという経験よりは、集中しすぎて食べることを忘れることの方が多い。

 それでも今日は、初めて行く場所の屋台が楽しみだ。

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