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第21話 疑念

 カモミールが帰った後、クリスティンはミナに再度自分用のお茶の用意を頼んでからソファに全身を預けた。

 カモミールがこの部屋に入ってきたとき、恐ろしく緊張しているのはわかった。その緊張が、悪い知らせを告げるためなのか、良い知らせを告げて自分の支持を勝ち取るためなのかまでは判断が付かなかったが。

 気合いの入った化粧といい、おそらくはカモミールがミラヴィアを継ぐから、ロクサーヌ抜きでも今までと同様の取引を、と持ちかけられるのではないか。可能性として一番高いのはそれだろうと思ったのは、多分に自分の願望が含まれていたのだろう。


「率直に申し上げて、『ミラヴィア』は終わりです」


 紅茶で和んでいたカモミールから、真顔でそう告げられたときの衝撃はかなりのものだった。同時に、彼女が今まで錬金術師としての時間のほとんどを捧げていたはずのミラヴィアの終わりを、ああも堂々と告げた胆力に驚いた。


 ――驚きはしたのだが、その先はもっと驚いたし、カモミールがこの短い期間で用意した数々のものを知れば、「ミラヴィアは終わり」ときっぱり告げることができたのは当然のように思えた。先を見据えていたからこそ、カモミールは今まで着ていたミラヴィアというドレスを「もう自分には合わないもの」と脱ぎ捨てることができたのだ。



 クリスティンがカモミールの全面的な支持することを決めたのは、トゥルー・ローズの素晴らしさもあったが、カモミールがロクサーヌの正当な後継者であることを堂々と宣言したからだ。

 ミラヴィアは多くの人に愛されるブランドだ。しかし、最もミラヴィアを愛していたのはロクサーヌとカモミールだろう。クリスティンですら、ミラヴィアの商標がガストンに相続されたと聞いたときには理不尽な怒りを感じたのに、カモミールはそこで潰れることなく、羽ばたくための助走を始めている。


「ねえ、ミナ。カモミールさんのことをどう思ってる?」


 新しいティーセットを持ってきたミナにクリスティンは問いかけた。クリスティンは先程突っ込んだ話をカモミールとはしたが、普段のカモミールを知るのは店員の方で間違いない。


「カモミールさんは、明るくて頑張り屋さんのいい子ですよ。ロクサーヌ先生が倒れてからは看病もあって大変だったろうに、それでも製作を続けていて。納品に来たときにお客様がミラヴィアを褒めてくださるとすっごく嬉しそうで。自分のやってることが大好きなんだなあって、見てる側でもわかるんです。

 あと、ヴァージルとの関係をつつくと面白いですね。『そういうのじゃないの! ただの幼馴染みなんです!』って真っ赤な顔で言うんですもん。ヴァージルの方をつついてもいつものへらへら顔でするっと逃げられちゃうのでつまらないんですけど」


 結局女性の多くは恋の話が好きだ。ミナの話を聞きながら、彼女がカモミールの真似をしたのが予想外に上手かったのでクリスティンは思わず吹き出した。


「ヴァージルと言えば……一昨日急に休みを取ったことはご存じですよね?」

「ええ、休みを取ったというか、宣言だけでカリーナが受け入れちゃったと聞いたから、カリーナにはあんまり甘くしちゃダメよと釘を刺すつもりでいるんだけど」

「あの時、実は……」


 ミナが声のトーンを落とす。今までは楽しそうにしゃべっていたのに、急に悩み始めたようだ。


「誰かが知らせに来たわけでもなんでもないのに、急にヴァージルが『ミリーが大変なんです』って言い出して。『今日はもう帰ります。明日も休みます』って店長に言ったとき、店長の周りが陽炎みたいに揺らいだんです」

「陽炎? この時期に店内で?」

「私はほんの少しですけど魔力持ちなんですよ、何もできない程度なんですが。それでも、昔作られた強い魔道具を見たりすると、ゆらゆら~って魔力の気配のようなものを感じられるんですが。……あの時の陽炎、それに似てたなって」

「おかしなことばかりね」


 クリスティンは既に温められていたティーポットに茶葉を入れてお湯を注ぎながら考え込んだ。そのせいで危うく湯を入れすぎるところだった。


「ヴァージルも魔力持ちなのかもしれません。実際、ヴァージルが駆けだしていってちょっとしてから、ヴァージルを探してロクサーヌ先生のご近所の方が来て、カモミールさんが大変だって教えてくれましたし。

 聞いた話ですけど、ある程度魔力が強いと予知めいたことができたり、強く願うと相手に通じやすかったりすることがあるみたいですし」

「それは私も聞いたことがあるわ。予感と言うよりはほぼ確信でカモミールさんの危機を知ったヴァージルが、『休みます』と魔力を込めて宣言したからカリーナは逆らえなかった――そういうことなのかしら」

「だとしても……愛ですね……」


 しんみりとした口調であらぬ方向にまとめたミナの言葉に、クリスティンは再度吹き出した。


「魔力持ちは確かに珍しいわ。でも別に魔力があるということを周囲に知らせなきゃいけない義務はないし、子供によくある話だけども願いに引きずられて無意識に魔力を使ってしまうこともあるのよね。今回のヴァージルがしたことが、意図的に魔力を使ったのか、そうでないのかが――無理ね、意図的だったとしても本人に確認したとして、そんなつもりはなかったと言われたらそれ以上追求出来ないわ。はぁ……」

「普段落ち着いてるヴァージルが暴走するのはカモミールさん絡み以外にないですから、カモミールさんの身の安全を祈るしかないですね」

「……愛ねぇ……」

「愛ですよねぇ~」


 結局クリスティンも、着地点はそこになるしかなかった。


 ミナが部屋から出て行ってから、クリスティンはヴァージルのことを考えていた。

 女性ばかりのこの店で、そつなく仕事をこなす青年。いろいろな面で器用で、それこそお茶を淹れることから事務仕事、そして接客や化粧の技術に関しても優れている。いい人材だということは間違いない。

 ――けれど。


「おかしいわ……なんで今まで気づかなかったのかしら。『クリスティン』は女性の従業員しか募集していないはずなのに……。いくら中性的だといっても、雇用するときに女の子と間違えるわけがない。……そういえば、あの子を面接した憶えがないわ」


 砂時計の砂が落ちきったことにも気づかず、クリスティンはソファから立ち上がると執務机に向かった。上から2段目の引き出しには従業員が応募してきたときの書類が入れられている。


「これはあるのね。ヴァージル・オルニー。当時の年齢は17歳。両親は既に亡くなっていて、身元引受人は……ロクサーヌ? 確かにロクサーヌの推薦があれば私は間違いなく彼を雇用した。でも、ロクサーヌとヴァージルが知り合ったのは確か」


「オーナー、ダメですよ、それ以上考えたら」


 ノックもなく突然オーナー室に入ってきたのは、問題の人物――ヴァージルだった。穏やかな声と表情は、クリスティンの知るいつものヴァージルのもの。けれどこのタイミングで彼がやってきたことに奇妙な危機感を抱いて、クリスティンは咄嗟に立ち上がる。


「ヴァージル、あなたは」

「それ以上考えたらダメです。僕はロクサーヌ先生の推薦でこの店に入りました。面接もオーナーがしたじゃないですか。忘れちゃったんですか?」


 優しい声で話しながら、ヴァージルは体を引き気味にしたクリスティンと目を合わせる。ヴァージルの紫色の目がきらりと光って、クリスティンはこくりと頷いた。


「……そうね、なんで忘れてたのかしら」

「きっとお疲れなんですよ。ミラヴィアのことでご心労もあったでしょうし。そうそう、ミリーはどうでしたか?」

「カモミールさんは、間違いなく成功するわ。ミラヴィアの後継としてふさわしい実力もあるし、肝も据わっているしね。でも苦労もするでしょうから、ヴァージルもあの子が大切ならいろいろとサポートしてあげてちょうだい」

「もちろんです。ミリーには成功して貰わないと困りますし、僕の大事な『幼馴染み』なんですから」


 微笑んだヴァージルの目は、いつも通りの蛍石の緑だった。

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