昨日はヴァージルが買ってきてくれた藁を屋根裏部屋に運べる大きさの袋に移し、それをまとめて大袋に入れてベッドにして寝た。藁を袋に入れてベッド代わりにするのは農家である実家では当たり前のことだったので、久々の優しい藁の匂いに疲れも相まってすぐに眠ってしまった。
天窓から入る光で目を覚ますと、ドアが開け放されているのか外から話し声が漏れ聞こえる。顔を洗って身支度をして外に出ると、ヴァージルがテオに漆喰の塗り方を教えていた。彼が仕事に行っている間はテオに外壁の修復を任せるつもりなのだろう。
テオの手先の器用さはさすがで、
エノラの家で朝食をいただき、朝から突撃してきたタマラからは予想通り大量のデザインを渡され、カモミールは工房の中でそれらのデザインをチェックし始めた。
ヴァージルは「仕事行きたくない」と顔にあからさまに書いてあったが、「昨日の話お願いね」と念押ししたら仕方なさそうに出勤していった。
タマラのデザイン画から、4つに絞りきることができなかったので7枚ほどを持ってガラス工房へ。遮光瓶や普通のガラス瓶以外にも、この工房は凝ったカッティングを入れた香水瓶なども作れるので、ミラヴィア時代からの重要な発注先だ。
「3種類は正式な商品として、1個は侯爵夫人用に急ぎで、か。よし、これはすぐ型紙作ってエッチングしてやるから、明日の午前中にでも取りに来い。デザインはこれがいいな。後の図案に関しては、それまでにこちらで選んでおく」
ハリソンガラス工房の主、アイザック・ハリソンは40代半ばの屈強なガラス職人だ。ロクサーヌの死について簡単にお悔やみの言葉を述べた後は、すぐ仕事の話に切り替えている。根っからの職人なのだ。カモミールの持ち込んだ図案の中から、型紙を作りやすいものを素早く選び出しているのはさすがだった。
「ミリー来てるの? ねえ、見せたいものがあるの! 父さんはまだまだっていうんだけど、現時点の私の最高傑作なのー! 見てー!」
工房の奥から少女の大声が聞こえた。すぐにバタバタと慌ただしい足音がして、茶色いくせっ毛をアップにまとめた少女が早足でやってきた。
「工房の中は走るなって言ってるだろ!」
「走ってない! 早足しただけ!」
売り言葉に買い言葉で父に向かってポンポンと言い返す少女は、アイザックの娘のローラだ。17歳だが、カモミールと並ぶと歳が違うようには見えない。
ローラが挨拶もほどほどにカモミールの前に突き出したのは、丸いフォルムにガラスがより輝いて見える様にカッティングが施された小瓶だった。カモミールの目が離せなくなったのは、その一般的な容器部分ではなく、栓の部分だった。瓶の蓋をする側ではなく、飾りになる上部が八重咲きのバラを模していたのだ。
「これぇぇぇ!!」
ローラの香水瓶を見た瞬間、頭の中で何かがカチリと嵌まった気がした。
ガラスが溶けているうちに花びらの枚数に切れ目を入れて、引き延ばして形を整えて作ったのだろう。多少の歪みや花びらの大きさが揃っていない所などはあるが、カモミールが作ろうとしている香水の為にあるようなデザインだった。
「うわっ、びっくりした。ミリーの声って耳に刺さるわー」
カモミールの突然の叫びに引き気味のローラの腕をがしっと掴む。
「見て、ローラ。私が持ってきたデザイン全部バラがモチーフなの。私が新しく作るブランド名もヴィアローズっていうのよ。とにかくバラが売りなの! ……確かに、ちょっと花びらによってばらつきがあるから、これを使うことはできないけど、ちゃんとできてるものなら私が買い取るから頑張って作って? ね、お願い!」
「うっそ、偶然ー! 私もこれを確実に作れるようにして、ハリソンガラス工房じゃなくて私としての売りにしたかったの。頑張って作るから、ミリーも頑張って!」
「いつくらいまでにできそう?」
「えへ、わかんない」
あざとい笑顔でごまかされたが、未習得の技術だからローラもはっきりとしたことは言えないのだろう。「とにかく頑張って」とローラには圧を掛けておいて、アイザックには明朝の再訪を約束して工房を辞去する。
次に向かったのは商業ギルドだ。ヴィアローズの商標を登録して、手数料を払って手続きはすぐ終わった。ついでに錬金術ギルドに足を延ばして、残りの貯金と頭の中で相談しながら香水の材料であるアルコールと、白粉の材料であるタルクとカオリン、それと植物油を数種類買い込む。配達を頼むと、所持金は一気に半分になった。
それでも、あの工房を値引きせずに買ったときに残るはずだった金額よりははるかに余裕がある。――自分にそう言い聞かせながら工房へ戻ると、何故かヴァージルがカモミールを待っていた。
「どうしたの? お店は?」
こんな時間にいるはずがない彼に尋ねると、カモミールを待っている間に食べたらしい昼食のパンくずを払ってヴァージルが難しい顔をしている。
「それがね、オーナーがミリーと話をしたいから、できるだけ早い日にちで会う約束を取るか、今日の午後が空いてそうなら連れてこいって言われちゃって」
オーナーというのは店の名前と同じクリスティンの名を持つ女性だ。王都や他の貴族の領地にも店を持つ商団の経営者であるので、毎日店にいるわけではない。むしろいない方が多いので、カモミールも二三度顔を合わせたことがあるだけだ。
ロクサーヌの死で今後のミラヴィアがどうなるのか、カモミールにミラヴィア、もしくは後継ブランドを運営出来る才があるのかを確かめたいのだろう。緊張で手が一気に冷たくなるのをカモミールは感じた。
「今日の午後お店に伺うわ。これは避けて通れないことだし、後回しにしてもメリットは何もないわ……渡りに船と思えばいいのよ。ヴィアローズの計画をクリスティンさんに話して、認めて貰えるようじゃないとお店でまともに取り扱ってもらえない」
軽く唇を噛みしめながら、拳をぐっと握る。
「きっちりお化粧して、余ってる遮光瓶に香水を作ってからそれを持って行くわ。いまの私の手持ちの中で、トゥルー・ローズ以上に説得力があるものはないから」
覚悟を決めた顔のカモミールの緊張を和らげるように、ヴァージルがカモミールの頭を撫でた。
「さすがミリー、最高に格好いいよ。で、お化粧はどうする? 僕がしようか?」
「ううん、自分でする。ヴァージルは先にお店に戻って、遅くとも2時間後までにはお伺いしますと伝えておいて欲しいの」
「わかった。エノラおばさんの作ってくれたお弁当はちゃんと食べておくんだよ。ミリーはお腹が空いてると時々とんでもないポカをするときがあるからね」
「んもー、一言余計! 錬金術ギルドにさっき買った品物の配達頼んであるんだけど、それが早く届くことを祈ってて!」
香水の材料になるアルコールがまだここにはない。間に合わなければ原液を持って行くしかないが、今後作ることができる可能性があるにしろトゥルー・ローズは貴重だ。できるだけ無駄遣いはしたくないから、希釈して香水の形で持って行きたい。
ヴァージルを店に送り返し、配達が早く来ることを祈りながらエノラの用意してくれていた昼食を口に運ぶ。
あまりに気もそぞろだったせいか、味はほとんどわからなかった。