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第17話 ヴィアローズ始動

 小山のようになっていた精油の瓶は全部で97個あった。これを売るだけでも一財産だが、加工して売るのがカモミールの仕事である。幸い、化粧品店を通して個人的に知り合いになった顧客もいる。


「ヴァージル、そのうちジェンキンス侯爵夫人に手紙を書くから渡してくれないかな。先生の訃報と、生前の御愛顧のお礼と、ミラヴィアじゃなくて私独自の新しいブランドでこれから商品を出すことをお伝えするわ。それで、夫人専用の香水を作るから、小さい瓶で一緒に持って行って。絶対気に入って大きな瓶で買うって言い出すから、20万ガラムで売る」

「20万……」


 唖然としているのはテオだけだ。ヴァージルはいいよと軽く答え、首をかしげて何事か考えていた。


「夫人専用の香水って言うと、瓶もそれなりに凝らないとね」

「そうよ。私のブランドではまず庶民向けの比較的安価なコロンから貴族向けのパフュームまで、トゥルー・ローズを使った香水を扱うわ。作りやすいし、小瓶で出して手に取りやすい価格に設定してね。その間に、白粉の製作をする」


 カモミールは拳を握りしめると、精油の瓶をひとつ手に取り、ため息をつきながらポケットに入れた。


「瓶のデザインをお願いしにタマラのところに行ってくるわ。……どうする? テオも行ってみる?」

「あー、俺は掃除の続きをしとくわ」

「そう? じゃあ私ひとりで行ってくるわ。帰りにベッド代わりの袋と干し草と毛布を買わないとね……」

「じゃあ僕も一緒に行くよ。外壁を修理する漆喰を買ってこないと。干し草持ってくるのにこの荷車使うよね?」

「ありがとう、助かる!」


 バッグを持ったカモミールと荷車を引いたヴァージルが工房を後にし、ヴァージルが先に干し草や漆喰を荷車に乗せて戻ってきた。そして、カモミールがぐったりとして戻ってきたのは1時間半ほど後のことだった。


「お帰り、ミリー。疲れてるね?」

「タマラにバラ精油一本あげたの。今回はこれをデザイン料にしてくれないかって。そしたら大変よ、香りを試して、キャーキャー言って乙女全開! その場で凄い勢いでしゃべりながらデザインをガンガン描き始めちゃって、早速香水にしたいって言うからアルコール買ってきて、そこで薄めて香水にしたわ。デザインは明日持ってきてくれるって。思ったんだけど、タマラとエノラさんが意気投合したら凄そう」

「あー……それは大変そう。その場に居合わせなくてよかった」

「ヴァージルも明日仕事だし、自分の荷物持ってきたりするんでしょ? 私は手紙を書いて調香したら、お風呂に行って帰りにご飯買ってきて寝るわ。……あ、それで、明日『クリスティン』に行ったら店長に話しておいて貰いたいんだけど」


 カモミールは不敵な笑みを浮かべてにやりと笑った。


「ロクサーヌ先生が亡くなったから新しい商品は入らないし、ミラヴィアは売り惜しみしないで売っちゃってくださいって。今の在庫だって少ないはずだから、すぐに在庫が切れるわ。それで、ロクサーヌ先生と一緒にミラヴィアを作っていた私が新ブランドの準備をしてるって話をばら撒いておいて欲しいの」

「やる気だね」

「もちろん」


 カモミールの頭の中では、自分だけのブランド設立の予定が既に立っていた。タマラの怒濤のおしゃべりを聞きながら、いろいろ考えていたのだ。


 まず、ガラスの加工職人に頼んで香水瓶を4種類作る。うちひとつはジェンキンス侯爵夫人用なので1本でいい。残り種類も、最初作るのは少量で構わない。今重要なのはスピードだ。

 高価な貴族向けの香水は精油の濃度を高く、優雅なバラの香りを強く打ち出す調香をする。一番安価な庶民向けのものは濃度は低く、甘やかな香りの中にも爽やかさを持たせたい。いずれは王都でも売り出す商品だから、爽やかさも演出したコロンは貴族令嬢にも好まれるだろう。その分は若干香りをアレンジして、高価に見えるデザインの瓶に入れればいい。まるきり庶民向けと同じでは貴族は買ってくれないのだ。


 そして、商標。ブランド名だ。ミラヴィアの後継であることを打ち出しながらも、カモミール独自のものであることを示したい。

 タマラの家からの帰り道、うんうん唸りながら考えて、ブランド名は「ヴィアローズ」にすることに決めた。今のカモミールの最大の武器は、テオが大量に増やしてくれたトゥルー・ローズの精油だからだ。

 バラの香りをブランドイメージにして、バラを見たり嗅いだりしたらヴィアローザのことを思い出してもらえるようになったらいいと思う。幸い、タマラに発注したデザインもバラを中心にと頼んである。


 タマラは集中してやる気になると大量にいいデザインを出すので、カモミールが選びきれないほどのデザイン案が来るに違いない。明日はその中から香水瓶用と、白粉ケース用のデザインを選ぶ。将来的に作りたいものはもっとあるが、最優先は香水、その次が白粉だ。



「そういえば、ここの庭って薬草っぽいものが植えてあるけど、僕は詳しくないからミリーが確認してみて」


 風化して表面が脆くなっている壁にこてで漆喰を塗りつつ、ヴァージルが庭を示す。

 いくら街外れで工房とはいっても、建物と同じ大きさの庭があるのはとても珍しかった。おそらくここが建ったのが周囲の家に比べてとんでもなく古いのも関係あるだろう。隣のエノラの家などは3階建てで、こちらの方が民家としては一般的だ。


「草ぼうぼう……だけど確かにそれっぽいものもあるね。あ、これは知ってる! ヨモギ! 傷薬になるの。それと、よく見たらドクダミがいっぱいね。匂いはきついけどお茶にもなるし、肌にもいいから化粧水の材料にもなる。後はテオに聞いた方が早そう。テオー、テオー! ちょっときて!!」

「おー、でかい声で呼ぶなよ……。庭か? 薬草ねえ……そりゃ植えてただろうよ、歴代持ち主の誰かが。良かったな、ドクダミに埋め尽くされてなくて」

「私もちょっと思ったわ。ドクダミ強いから。私薬草にはあんまり詳しくなくて、テオが使える薬草かどうか見てくれない?」

「任せろ任せろ! 使い道までバッチリだぜ!」


 テオはウキウキと庭の草をかき分けながら、生えている植物を調べ始めた。時々「おっ」「うぉう!」と声を上げているので、何らかの収穫はあるようだ。この庭は錬金術師が使う薬草を植えたのが、放置されている間に雑草と入り交じって大変なことになっているらしい。


 しばらくするとテオは上機嫌になって戻ってきた。その手には数種類の葉が乗せられている。


「名前は別にあるんだが、錬金術師がよく使うやつがこれな。通称癒やし草、疲労回復と免疫強化に効果がある。ポーションの基本材料だな。こっちの細長いのはアヤメ。炎症を抑える効果があって、腹痛に使ったりするけど毒性もあるから触るときは気をつけろ。あと、これも毒だな。葉っぱじゃなくて根っこに猛毒があるから、うかつに触るなよ」

「ど、毒草だらけなの?」


 これも毒草、こっちも劇毒、とテオが楽しそうに解説するので、カモミールは顔を引きつらせた。


「毒と薬は裏返しだろ。これは多量に摂取すると死ぬけど、微量だったら強心剤になる。ポーションにも入れるぞ」

「毒と薬は裏返し……確かにそれはそうだけど」

「あと、いいものあったぜ! 虫除け草! 花に殺虫成分がある」

「除虫菊ね、まだ花の時期じゃないけど、秋になったらそれも収穫しよう」

「とりあえず、要らないやつは間引いて、カモミールが使う奴だけ増やせよ」

「……一番茂ってるドクダミが一番使うって話よね。摘んで乾燥させてから化粧水の材料にしようっと。わー、ただで使える素材が一杯あるって素敵ー!」


 この工房は本当に当たりだった。安くて器具付き、しかも錬金術に詳しい精霊付き。庭は最初「これがなければもっと安い」と思ったが、ここから出せる利益もある。消炎作用やしゆうれん作用のある薬草は化粧水に使うこともできる。


 一時はどうなることかと思ったが、カモミールの胸の中はこれから作ることができる様々なものでワクワクとしてきた。

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